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ポーカースマイル  作者: 城井龍馬
第一章
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聖人の仮面と狂気の遊戯

自動ドアが開くと同時に、間延びした電子音が店内に鳴り響いた。


そこに足を踏み入れると、昼白色の蛍光灯が網膜を刺す。


深夜の捜査で疲弊した目には、コンビニエンスストア特有の眩しすぎる光量は暴力にも等しい。


鼻をつくのは長時間保温されたホットスナックの油と、清掃用洗剤が混ざり合った独特の匂いだ。


本部から派遣されたという店長代理が、レジカウンターの奥から飛び出してきた。


中年の小柄な男性だ。


額には脂汗が滲み、疲労で目の下がくぼんでいる。


我々の姿を認めると、明らかに肩を強張らせた。


「い、いらっしゃいませ……あ、いえ……お疲れ様です!」


店長代理は深々と頭を下げた。


過剰なほどの低姿勢が、この店がいかに『警察沙汰』に怯えているかを物語っている。


「お話はバックヤードにおります府内が承ります、どうぞこちらへ」


俺は軽く会釈を返し、彼の背中を追って店内を進んだ。


整然と並ぶ商品の色彩が、視界の端を流れていく。


突き当たりの扉を開けると、そこは雑多なバックヤードだった。


狭い。


在庫の段ボールが天井近くまで積み上げられ、ただでさえ狭い通路を圧迫している。


業務用冷蔵庫の低い駆動音が、足元から響いてきた。


呼ばれた府内は、パイプ椅子から弾かれたように立ち上がった。


髪を派手な金色に染め、耳には銀色のピアスが光る20代前半の若者。


だがその外見とは裏腹に、制服のシャツの襟元は乱れ指先は小刻みに震えている。


落ち着きなく泳ぐ視線には、隠しきれない不安と怯えが浮かんでいた。


「府内さん、少し話を聞かせてもらえますか?」


俺は静かに尋ねた。


これ以上萎縮させないよう声を低く、ゆっくりと響かせる。


府内は身を縮めながら、上目遣いで答えた。


「はい、構いません」


怯えてはいるが、拒絶の色はない。


むしろ誰かに話を聞いてほしいという、切迫した空気すら感じる。


俺は狭苦しいバックヤードを見回した。


埃っぽい空気と、積み上げられた荷物の圧迫感。


これでは落ち着いて話も聞けないだろう。


「ここでは少し話しづらいですね、警察署まで来ていただくことは可能ですか?」


府内は一瞬躊躇し、視線を彷徨わせた。


だがすぐに、覚悟を決めたように顔を上げた。


「……大丈夫です」


短く答えた彼を連れ、俺たちは署へと戻った。


警察署の取調室。


殺風景な灰色の壁に囲まれた密室は、外界の喧騒を遮断し沈黙だけを落とす。


パイプ椅子に座らせた府内に温かい茶を出し、少し落ち着くのを待ってから俺は切り出した。


「久留島店長について、教えてください」


俺は努めて穏やかな視線を彼に向けた。


府内は膝の上で両手を固く握りしめ、しばらく視線を落としていた。


やがて重い口を開いた。


「久留島さんは……」


彼は言葉を選びながら、腹の底に溜まっていた泥を吐き出すように続けた。


「バイトやパートにパワハラやセクハラばかりしていました、何人ものスタッフがそれを苦にやめてしまったんです」


予想通りのクソ野郎だったみたいだな。


俺は内心で毒づきながら、表情を変えずに先を促す。


「具体的にはどのようなことがあったのですか?」


府内は深く息を吐くと、眉間に深い皺を寄せて語り始めた。


その声には、恐怖よりも嫌悪感が勝っていた。


「例えば女性スタッフに対して、『君は接客業に向いてないね、体を売った方がいいんじゃない?』なんて平気で言うんです。男性スタッフには『お前みたいなのがいるから売上が上がらないんだ』と怒鳴ったり、金属バットで小突いたりして……」


俺は証拠品の写真を取り出し、テーブルの上に滑らせた。


「その金属バットとはこれですか?」


写真に写っているのは赤黒い血痕がこびりつき、無惨にひしゃげた金属バットだ。


府内は一瞬顔をしかめ、すぐに目を逸らした。


「汚れて変形もしていますがそうだと思います、久留島さんのお気に入りでした」


その『お気に入り』で殴られ、殺されたということか。


皮肉な因果だ。


「パワハラやセクハラといった行為に対して、誰かが声を上げることはなかったのですか?」


府内は悲しそうに首を振った。


「みんな怖くて……店長の機嫌を損ねたらシフトを減らされたり、もっとひどい扱いを受けるんじゃないかって誰も逆らえませんでした。……でも」


そこで言葉が途切れた。


「でも?」


問いかけると府内の曇った表情に、微かな光が差したように見えた。


「須田さんは皆を庇っていました。自分が店長の標的になることで、他のスタッフを守ろうとしていたんです」


俺は思わず眉をひそめた。


あの取調室で見た、感情の欠落した虚無的な笑顔の男。


『殺したかったから殺した』


そううそぶく男が、人を庇う?


府内の言葉が俺の中で固まりつつあった、須田の『冷血な殺人鬼』という像に鋭い楔を打ち込む。


「そんなことまでしていたんですか?」


訝しむ俺に、府内は力強く頷いた。


その目には、須田への確かな尊敬の色があった。


「はい。例えば女性スタッフがセクハラを受けそうになるとわざと間に入って話題を変えたり、店長の気を引いたりしていました」


柔らかい表情を浮かべる府内。


「男性スタッフが怒鳴られそうになると、自分が責任を取るような形で店長の怒りを引き受けていました」


その懐かしむような顔を見れば、彼の目に須田がどう映っていたのかは明白だ。


深く考え込みながら、俺は尋ねる。


「そのせいで須田は、より酷い扱いを受けていたということですね」


府内は目を伏せ、悲痛な声で答えた。


「そうです。でも須田さんはいつも笑顔を絶やさなかった、『大丈夫、平気だから』って……」


自己犠牲と、貼り付けたような笑顔。


俺は深いため息をついた。


聖人君子のような振る舞いと、取調室での不気味な態度。


その乖離が、より不気味さを増幅させる。


「最近の須田の様子で、何かおかしなことはありませんでしたか?」


府内は記憶を手繰るように、視線を中空に漂わせた。


彼の指が無意識に、制服の袖口をいじっている。


「そうですね……」


彼は何かを思い出したように、ハッとして口を開いた。


「実は事件のあった日に」


俺は身を乗り出した。


「須田さんが突然、久留島店長のモノマネを始めたんです。他のバイトも集まってきて、みんなで笑っていました」


モノマネ?


注意深く聞き入る。


「そのモノマネの内容は?」


府内は少し笑みを浮かべながら説明を続けた。


その場の空気を思い出し、恐怖が薄れているようだった。


「須田さんは店長の口調をそっくりに真似て声も低くして『お前ら……仕事中にへらへら笑うんじゃない、客が逃げるだろうが……』って、本当にそっくりなんです!」


府内は少し照れくさそうに、身振り手振りを交えて続けた。


「それに、人を見る時のゴミでも見るような目つきがそっくりで……思わず『須田さん、口調と目つきがそっくりですよ!』って笑っちゃいました」


ゴミでも見るような目つき。


あの笑顔の下に、そんな冷徹な眼差しを隠し持っていたのか。


背筋が薄ら寒くなる。


「なるほど、皆さんの反応は?」


府内は少し興奮した様子で答えた。


「もう爆笑でしたよ。私も含めて皆、お腹を抱えて笑っていました。須田さんのモノマネがあまりにも上手くて、まるで店長本人がそこにいるみたいでした」


府内は少し間を置いて続ける。


「そう言ったら須田さんはにっこりと笑って、さらにモノマネを続けたんです。皆で笑い合って、あの時はすごく楽しかったです」


楽しかった、か。


だがその笑顔の裏で、須田の心の中にはどす黒い何かが渦巻いていたのではないか。


他に何か予兆はなかったのか。


「それだけですか?」


府内は肩をすくめた。


「いや、その後がちょっと……」


府内の声のトーンが、急速に落ちる。


場の空気が冷えた気がした。


「休憩中の須田さんを見かけたんです。普段から明るい人でしたが、その時は特に上機嫌そうでした。鼻歌を歌いながら、何かを空中に投げてキャッチして遊んでいました」


府内は続けた。


彼の目はその時の異様な光景を幻視しているかのように、一点を見つめていた。


「最初は気にも留めませんでした、でもよく見ると……」


府内は一瞬言葉を詰まらせた。


乾いた喉をごくりと鳴らす音が聞こえた。


「それは刃が出たままのカッターだったんです」


俺は眉をひそめた。


「カッターナイフですか」


「はい」


府内は青ざめた顔で頷いた。


「危ないからやめた方がいいと言うと、須田さんは『あ』と言って止まりました。どうやらカッターの刃を握ってしまったようで……」


鋭利な刃物を素手で握る。


想像するだけで掌が痛むような感覚を覚えながら、俺は注意深く聞いた。


「それで? 怪我は?」


「いいえ」


府内は右手を握りしめながら、首を横に振る。


「須田さんはゆっくり手を開きましたが、そこに傷はなかったんです」


そう言って握っていた手を開いて見せた。


「そして……」


肝心なところで言葉を飲み込んだ。


「そして?」


俺が促すと、府内は意を決したように口を開く。


「須田さんは『なんだ、こんなもんか』って呟いたんです」


府内の声は、消え入りそうなほど小さくなっていく。


「モノマネの直後にカッターナイフで遊んでいたと」


府内は頷いた。


「はい、須田さんってなんだか不思議だけど……本当に優しい人なんです! でもあの時は正直……ちょっと怖かったです」


恐怖を感じないのか、それとも痛みすら感じなくなっていたのか。


『なんだ、こんなもんか』


その呟きが、不気味な余韻を残して耳にこびりつく。


「その時のカッターナイフは?」


「店の備品では無かったので、須田さんの所持品かと」


皆原の遺体の近くに落ちていた、血のついていないカッターナイフ。


恐らくあれだろう。


点と点が繋がっていく感覚があるが、その絵図はあまりに歪だ。


静かに息を吐いた。


「わかりました、これで終わりです。お疲れ様でした」


府内も立ち上がるとほっとしたのか、強張っていた表情がようやく柔らかくなる。


「お役に立てたでしょうか」


俺は意図的に口角を上げた。


相手を安心させるための、大人の営業スマイルだ。


「ええ、とても参考になりました」


取調室を出ると、廊下で待機していた瀬戸が俺に近づいてきた。


蛍光灯の下。


彼女の表情からは先程の車内での柔らかな雰囲気は消え、捜査官としての鋭い眼差しが戻っている。


「十河さん……」


瀬戸が静かに口を開いた。


まだまだ調べる事がある。


須田という男の底知れなさが、俺たちを待ち受けている。


俺と瀬戸は、府内からの聞き取りを終えて捜査一課のオフィスへと向かう。


長い廊下を歩きながら軽く息を吐いた。


張り詰めていた空気が少し緩むが、胸のつかえはまるで取れない。


「須田の同僚からの証言は、予想とは少し違っていたな」


瀬戸も同じ意見のようだ。


歩調を合わせながら答える。


「須田が他のスタッフを守るため、自ら標的になっていたというのは意外でしたね」


瀬戸は廊下の先、遠くを見ているようにも見えた。


その横顔には、何かを深く思案する影が落ちている。


「表面上の印象と実際の行動にギャップがあるのかもしれない」


俺が言うと、瀬戸が口を開いた。


「十河さん、近隣住民への聞き込み結果はどうでしょうか? 他の捜査員から何か報告は入っていますか?」


俺はポケットからスマートフォンを取り出し、警視庁のチャットツール画面をスクロールさせながら答える。


「少し前に中間報告が入った。須田については『良い子だった』という評判ばかりで、特に問題行動は見られなかったそうだ。皆原については、あまり外出する姿を見かけなかったという証言が多いらしい」


瀬戸は少し考え込んだ様子で言った。


「カッターナイフの話と合わせると、須田の二面性が見えてきますね……」


それは俺も同意見だ。


聖人のような自己犠牲と、刃物で遊ぶ狂気。


ゴミを見る目と、優しい笑顔。


あまりに振れ幅が大きすぎる。


「そうだな。表面上は模範的な若者に見えるが、内面には何か複雑なものを抱えているのかもしれない」


捜査一課のオフィスに到着し、扉を開ける。


電話のベル音や怒号、足音が渦巻く喧騒が俺たちを包み込んだ。


俺はその熱気に負けないよう、他の捜査員たちに声を張り上げて指示を出した。


「今日の情報を整理して、明日の捜査方針を立てよう。須田の過去の記録も確認する必要がありそうだ。司法解剖の結果が出るまでには数日かかるだろう。それまでは関係者への聞き込みと現場から得られた情報を整理だ」


瀬戸は無言で頷き、自分のデスクへと向かう。


俺も自分の椅子に腰を下ろす。


だが頭の中では須田優司のあの空虚な笑顔だけが、いつまでも張り付いて離れなかった。

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