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ポーカースマイル  作者: 城井龍馬
第六章
13/40

暴かれる仮面

東雲裁判長が入廷し、証人尋問の再開を告げた。


法廷の空気が再び張り詰める。


次の証人は、かつて須田さんを診察した医師だ。


証言台に立ったのは、青木修二医師。


白衣ではなくスーツ姿だが、ボサボサの髪を無造作に掻く仕草に研究者肌の気質が滲み出ている。


私は立ち上がり、質問を始めた。


「青木さん。七年前に須田さんを診察されたとのことですが、その時の状況を教えてください」


「はい」


青木医師は淡々と、しかし明瞭な声で答えた。


「須田さんの診察時、身体的虐待の明確な痕跡が見られました。具体的には腕や背中に複数の青あざ、そして肋骨の軽度の打撲と……古いあざなどです」


「精神的な影響については、いかがでしたか?」


「慢性的なストレスによる精神的影響が顕著で、PTSDの初期症状や解離性障害の兆候が見られました。これらの症状は、長期的に見て感情制御や対人関係に影響を及ぼす可能性があります」


専門的な見地からの証言が、法廷に響く。


「虐待が青年期の精神発達にどのような影響を与える可能性があるか、説明していただけますか?」


「虐待を受けた青年は感情を抑圧し、表面上は問題がないように見えることがよくあります。これは適応のメカニズムですが、内面では深刻な問題を抱えている可能性があります。長期的には対人関係の困難、感情制御の問題や自尊心の低下などが現れることがあります」


「須田さんの症状は、将来的にどのような行動につながる可能性があったでしょうか?」


「虐待の影響は個人差が大きいですが、一般的には対人関係の問題や感情制御の困難、うつや不安障害などの精神疾患のリスクが高まります。極端な場合、自傷行為や攻撃的行動につながることもあります。ただし、これらの影響は環境や個人の努力によって軽減される可能性もあります」


私は少し考えてから、さらに踏み込んだ質問を投げかけた。


「先生。虐待の影響を判断する上で、遺伝的要因は考慮されるのでしょうか?」


青木医師は真剣な表情で答えた。


「はい、精神疾患のリスクを評価する際には環境要因だけでなく遺伝的要因も考慮します。ただし、遺伝と環境の相互作用は非常に複雑です」


「その場合、DNA鑑定などは行われるのでしょうか?」


「……通常の診療では行いません。ただ、研究目的で行われることはあります。DNA解析技術の進歩により、以前は見過ごされていた遺伝的特徴が明らかになることもあります」


その時だった。


青木医師の言葉。


そのひと言に隣の被告人席に座る須田さんが、わずかに体を強張らせるのが見えた。


いつも微動だにしない彼の、明らかな動揺。


「須田さん、今の医師の発言に何か心当たりがありますか?」


私は思わず尋ねた。


須田さんは一瞬驚いたような表情を見せ、口を開いた。


「いえ、ただDNA鑑定のことを……」


と言いかけて、ハッとしたように口をつぐんだ。


「DNA鑑定ですか? それについて……」


「弁護人」


裁判長の声が鋭く響いた。


「被告人への不規則な質問は控えてください」


当たり前の指摘だった。


だがその当たり前のルールが、真実へと伸ばす手を阻んでいる気がしてならなかった。


「申し訳ありません、裁判長」


私は深く頭を下げた。


「では、青木さんに質問を続けさせていただきます」


青木医師に向き直り、私は質問を続けた。


「青木さん、DNA鑑定についてもう少し詳しくお聞かせいただけますか? また、須田さんのDNA鑑定をされたことはありますか?」


青木医師は少し困惑した表情を見せた。


視線が一瞬泳ぐ。


「DNA鑑定については、先ほど申し上げた通りです。須田さんの件については、申し訳ありませんが、守秘義務がありますので回答は控えさせていただきます」


私は青木医師の言葉に頷きながら、一瞬須田さんの方を見た。


須田さんの表情は既に普段の穏やかな笑顔に戻っていたが、その目には微かな安堵の色が浮かんでいるように見えた。


まぁ、五十島さんと須田さんのDNA鑑定については触れられないか。


そう納得しつつも須田さんの反応から、何か重要な情報を見逃しているような感覚が残った。


五十島さんの話、須田さん自身の出生に。


「わかりました、以上です」


と言って席に戻った。


東雲裁判長は白浜検事の方を向いた。


「検察官、反対尋問はありますか?」


白浜検事が立ち上がった。


「青木さん。虐待の影響による精神的症状と成人後の反社会的行動との関連性について、一般的な見解を教えていただけますか?」


「虐待経験と成人後の行動には複雑な関係があります。虐待を受けた青年の中には成人後に様々な社会適応の問題を抱える可能性があります、それでも多くの人は適切な支援や自身の努力によって健全な社会生活を送ることができます。直接的な因果関係を一概に述べることは困難です」


「被告人のPTSDや解離性障害の症状が、八年後まで継続していた可能性はどの程度あるでしょうか?」


「症状の継続性は個人差が大きく、適切な治療や環境の変化によって改善することもあります。逆に長期化する場合もありますので、八年後の状態については現在の診断が必要です」


白浜検事は深く考え込むような表情を見せた後、


「以上です」


と言って席に戻った。


証言が終わると、東雲裁判長は青木医師に退廷を命じた。


東雲裁判長は次の証人を呼び出した。


「次の証人、府内大輔さんを呼び込んでください」


金髪の青年、府内さんが緊張した面持ちで証言台に立つ。


私は質問を始めた。


「府内さん、須田さんとはどのような関係でしたか?」


「バイト先の同僚です。約二年間一緒に働いていました」


「久留島さんはスタッフの間でどのような評判でしたか?」


府内は少し躊躇したが、やがて話し始めた。


「久留島店長は……バイトやパートにパワハラやセクハラばかりしていました。何人ものスタッフがそれを苦にやめてしまったんです」


「具体的にはどのようなことがあったのですか?」


「例えば、女性スタッフに対して、『君は接客業に向いてないね、体を売った方がいいんじゃない?』なんて言うんです。男性スタッフには『お前みたいなのがいるから売上が上がらないんだ』と怒鳴ったり、金属バットで小突いたりして……」


「須田さんは久留島さんの行動に対してどのように対応していましたか?」


「須田さんは店長の矛先を自分に向けて、他のスタッフを守っていたんです。例えば女性スタッフがセクハラを受けそうになるとわざと間に入って話題を変えたり、店長の気を引いたりしていました。男性スタッフが怒鳴られそうになると、自分が責任を取るような形で店長の怒りを引き受けていました」


「そのせいで、須田さんはより酷い扱いを受けていたということですね」


「そうです、でも須田さんはいつも笑顔を絶やさなかった……『大丈夫、僕は平気だから』って」


私は頷き、


「以上です」


と言って席に戻った。


この証言は、須田さんが周囲を気遣う優しい人間であることを示す重要な証拠となる。


東雲裁判長は白浜検事の方を向いた。


「検察官、反対尋問はありますか?」


白浜検事が立ち上がった。


その目には鋭い光が宿っていた。


「府内さん、事件当日の状況について伺います。被告人は皆原さんを殺害した後、通常通りバイトに来ていたそうですね」


「はい……そうです」


「その時の被告人の様子はいかがでしたか?」


「普段と変わらず、笑顔で接客していました。むしろ、いつもより機嫌が良さそうでした」


「機嫌が良さそうとは、具体的にどのような様子でしたか?」


やっぱり来るよな。


こちらとしてはあまり触れてほしくない話題になってしまった。


「はい……須田さんが店長のモノマネをして、みんなを笑わせていたんです。普段はあまりしないことだったので、印象に残っています」


その証言を聞き私は天を仰いだ。


府内さん、できればそのエピソードはあんまり詳しく話さないで欲しかった。


検察に利用される。


須田さんの異常性を強調される恰好の材料になってしまう。


とは言え口止めはしていなかった。


したくなかったのだから仕方がない。


「その後、被告人は久留島さんを外に呼び出して殺害しています。バイト中の被告人に何か異常な点はありませんでしたか?」


ちょっとそろそろ勘弁してほしい!


まるで言葉が出てこない。


「裁判長、証人は須田さんの心理状態を推測できる立場にありません」


私は反論した。


「弁護人、これは証人の観察した事実を問う質問です。証人、続けてください」


まぁそうですよね、私もそう思います。


「府内さん、質問を繰り返します。バイト中の被告人に何か異常な点はありませんでしたか?」


「特に……ありませんでした。むしろ、いつも以上に活発に仕事をしているように見えました」


「被告人が久留島さんを呼び出す直前、何か変化はありましたか?」


「須田さんが店長に『少し話があります』と声をかけたのを覚えています。その時の表情は……いつも通りの笑顔でした」


白浜検事は証人府内さんに向き直り、鋭い視線を向けた。


「では最後の質問です被告人は久留島さんを暴行し、通報後に再度暴行を加えました。そしてとどめを刺さずに逃走しました、なぜだと思いますか?」


私は即座に立ち上がり、声を張り上げた。


「裁判長、証人は被告人の心理状態を推測できる立場にありません。この質問は不適切です」


東雲裁判長は一瞬考え込み、静かに頷いた。


「弁護人の指摘の通りです。検察官、この質問は取り下げてください」


しかし、白浜検事はすぐに切り返した。


「では、弁護人に伺いたいのですが、裁判長よろしいでしょうか?」


裁判長は私に目を向けた。


「弁護人、よろしいですか?」


私は一瞬迷ったが、毅然とした態度で答えた。


「構いません」


白浜検事の目には鋭い光が宿っていた。


「では伺います、弁護人は被告人がとどめを刺さなかった理由についてどうお考えですか?」


私は深呼吸し、一瞬考えを巡らせてから答えた。


「被告人には良心の呵責があったのではないか、そう考えています」


白浜検事はすかさず反論する。


「それはどうでしょうか、被告人は先程の証言からカッターナイフを所持していました。とどめを刺さなかった理由として考えられるのは、いたぶることが目的だった可能性や加減を誤りとどめを刺す前に警察が来てしまうと考え慌てて逃げ出した。いずれにしても、被告人の行動には悪質性が伴うと考えるべきではないでしょうか」


その言葉には明確な攻撃性が含まれており、言い返せない自分がいた。


筋も通っている。


瞬間的に呆然としてしまった。


あ。


どうしよう、反論が浮かばない。


勝算があるなんて啖呵を切っておいてこのザマか。


ふと、目の前でネイビーのスラックスが揺れる。


私はゆっくりと視線を上に向ける。


白浜検事が『以上です』と締めくくろうとした瞬間、私は立ち上がり声を張り上げた。


「勝手に終わらせないでいただきたい!」


体が勝手に動いていた。


考えなどない、知るか。


どうせ失うものなど何も無い、そんな事すら忘れていたのか。


法廷内がざわめく中、私は冷静さを装いながら続けた。


「私としては、決してそうではないと考えます」


そう言いながら全速力で反論を纏め上げていく。


記憶の断片を繋ぎ合わせ、法的知識を総動員した。


「良いですか? 考えてもみてください」


私は胸を張る。


こんなところで引き下がってたまるか!


「もし本当にいたぶることが目的ならば、カッターナイフでも致命傷を避けることは可能だったはずです。また、明確な殺意があるのであれば最初からカッターナイフを使用する選択肢もあったでしょう。それにも関わらず、とどめを刺さずに現場から逃走した。いたぶることが目的というのも警察到着前に逃げるというのも的外れであると言わざるを得ない!」


「弁護人、発言は冷静にお願いします」


東雲裁判長は淡々と告げる。


しかしその声音と目に、孫でも相手にするような少し温かいものを感じた。


「失礼しました」


私は頭を下げるが、頭を上げたあと白浜検事に目を遣る。


彼女も私を見ている。


「検察官、よろしいでしょうか?」


東雲裁判長の問いかけに白浜検事は一瞬歯噛みしたが、すぐに冷静さを取り戻した。


「承知しました。以上で質問を終わります」


証言が終わると、東雲裁判長は府内さんに退廷を命じた。


須田さんは相変わらず穏やかな表情を浮かべていたが、その目には何か言い知れない影が宿っているように見えた。


私は彼の心中を察しようと努めたが、何も掴めなかった。


「次の証人、里村久恵さんを呼び込んでください」

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