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ポーカースマイル  作者: 城井龍馬
第六章
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断末魔の残響

白浜検事はしばらくの間、呆然とした表情で机の一点を見つめていた。


彼女の目は動かず、眉間にはわずかなしわが寄っていた。


どうした?


編集前後の録音の違いは被害者の声の有無くらいだ。


初めて聞いたわけでも無いだろうに。


普段の鋭い眼差しは失われ、何か遠くを見ているようだった。


「検察官」


東雲裁判長の声に白浜検事はハッとして顔を上げた。


一瞬の混乱の後、彼女は急いで姿勢を正した。


「はい、裁判長」


白浜検事の声には、まだ少し戸惑いが残っていた。


「証人への尋問を続けてください」


裁判長は静かに促した。


白浜検事は深く息を吐き、意識を取り戻すように小さく首を振った。


彼女は立ち上がり、声を整えてから話し始めた。


「佐藤さん、この録音についてのあなたの印象を聞かせてください」


佐藤さんは深呼吸をして答えた。


「はい。この通報は私が聞いた中でも、非常に特異なものです」


「どのような点が特異だったのでしょうか?」


「まず、須田さんの声のトーンが異常なほど冷静だったことです。通常このような重大な犯罪の通報では、通報者の声に動揺や焦りが感じられます。しかし、須田さんの声にはそういった感情が全く感じられませんでした」


白浜検事が大袈裟に頷き、


「通報を受けた時、宇野さんはどのように対応していましたか?」


「最初は落ち着いて対応していました。それが途中から慌てて大きな声を出したので、即座に事態の深刻さを理解しました。すぐに皆で車両の手配をして、それから宇野さんに詳細を聞こうとしましたが落ち着くのに少し時間が掛かりました」


「被告人が自ら一一〇番通報をしたことについて、どのようにお考えですか?」


「非常に珍しいケースです、通常犯罪者が自ら通報することはあまりありません」


白浜検事が席に戻ると、法廷内にはまだ重苦しい空気が漂っていた。


東雲裁判長は咳払いをして、場の雰囲気を変えようとした。


「弁護人、反対尋問はありますか?」


私はゆっくりと立ち上がった。


胸には録音を聞いた後の動揺が残っていたが、そんなこと言ってられない。


「本日宇野さんは出廷されなかったんですね」


ヤバい、動揺して変なこと聞いちゃったよ。


「宇野さんは現在別部署に異動になりました、勤務の都合上出廷できませんでしたので通報時隣にいた私が参りました」


佐藤さんは淡々と答えた。


「勤務の都合というのはどういった内容ですか?」


「裁判長、今の質問が本件に関係あるとは思えないのですが」


すかさず佐藤さんが裁判長に声をかける。


「弁護人、本件に関係のある質問をしてください」


佐藤さんは笑顔で私を見る。


冷静な判断力と的確な指摘。


うん、手強いな。


「それでは、須田さんは自ら一一〇番通報をしていますね?」


「はい、そうです」


「これは須田さんに罪の意識があったことを示唆しているのではないでしょうか?」


「裁判長、弁護人の質問は証人に推測を求めるものです」


白浜検事がすかさず異議を挟む、さすがに露骨だったか。


「弁護人、事実に基づいた質問をしてください」


「佐藤さん失礼しました、須田さんの通報内容は正確でしたか?」


「はい、須田さんは犯行の場所と内容を明確に伝えていました」


「裁判長、補足質問よろしいでしょうか」


この女またかよ。


「どうぞ」


裁判長が促す。


「佐藤さん、被告人は通報後現場に留まっていましたか?」


「いいえ、通報後に須田さんは現場から立ち去っていました」


まぁそう来るよな。


「裁判長、反対尋問の機会をいただけますでしょうか」


「どうぞ」


「佐藤さん。須田さんはその後自首したと聞いています、これは事実ですか?」


「はい、私も後からそのように聞いています。ただ自首の詳細については私の担当外でしたので、詳しいことは分かりません」


「ありがとうございます、以上です」


東雲裁判長は両者を見渡してから言った。


「他に質問はありませんか?」


白浜検事と私が共に首を横に振ったのを確認すると裁判長は佐藤さんに、


「証人、退廷してください」


と告げた。


次の証人は須田さんの部屋の大家、田中さんだった。


白浜検事は静かに立ち上がり、田中さんに向き直った。


法廷内に緊張感が漂う。


「田中忠男さん、被告人についてどのような印象をお持ちでしたか?」


田中さんは少し考え込んでから答えた。


「須田さんは、いつも笑顔の礼儀正しい青年でした」


白浜検事は頷く。


いきなり印象を問う質問?


私は訝ったが、須田さんに取って悪い証言でも無いのでそのまま聞くことにした。


白浜検事は次の質問に移る。


「田中さん、事件当日の被告人の様子はいかがでしたか?」


「普段と変わらず、バイトに出かけていきました」


田中さんは答えた。


「変わらないとおっしゃいましたが、具体的にはどういった様子でしたか?」


田中さんは眉をひそめながら答えた。


「笑顔で『いってきます』と挨拶をして出て行きました」


白浜検事は次の質問をした。


「田中さん、被告人がその日バイトに行ったことを不自然だと感じませんでしたか?」


「正直その時は気にも留めませんでした、でも後から考えると……」


田中さんは言葉を選びながら続けた。


「あんな事をした後に、いつも通りの顔でバイトに行くなんて……普通じゃないですよね」


私は即座に立ち上がった。


「裁判長、この質問と回答は証人の個人的な意見を求めるものです」


東雲裁判長が、


「異議を認め……」


と言いかけたところで、白浜検事が割って入った。


「裁判長、反論させていただきます」


私は思わず息を呑んだ。


白浜検事は私を見据えながら続けた。


「確かにこの質問は証人の意見を含みますが、一般的な社会通念に基づいた印象は被告人の行動の異常性を示す重要な証拠となります」


東雲裁判長は少し考え込んだ後、


「検察官、質問の仕方を変えてより客観的な事実に基づいた回答を得るようにしてください」


白浜検事は頷き、田中さんに向き直った。


「では田中さん、あなたの知る限り被告人は事件当日、普段と同じように行動していましたか? それとも何か違いはありましたか?」


田中さんは少し考えてから答えた。


「特に変わったところはありません、いつも通りでした」


白浜検事は満足げに頷いたが、さらに一歩踏み込んだ。


「田中さん、最後にもう一つ質問させてください。人を殺した後にいつも通り笑顔で挨拶をして、アルバイトに行くという行動は一般的にどのような印象を持たれるでしょうか?」


私は即座に立ち上がり、冷静を装って言葉を選ぶ。


「裁判長。この質問は証人の個人的な意見を求めるものであり、また須田さんに対して不当に偏見を与える可能性があります」


白浜検事はすかさず反論した。


「裁判長、この質問は被告人の行動の異常性を示すために必要不可欠です。被告人が殺人を認めている以上、その後の行動を評価することは重要な証言となります。更に今回の質問では個人的にではなく一般論でどう評価されるかを問うていますので、弁護人の指摘は当てはまらないと当職は考えます」


東雲裁判長は両者の主張を聞いた後、しばらく考え込んだ。


私は内心で焦りを感じながらも、表情を変えずに裁判長の判断を待つ。


「弁護人の異議を却下します」


東雲裁判長の声が響く。


「検察官、質問を続けてください」


私は歯がゆさを感じながらも、席に戻った。


やはりこの女、一筋縄ではいかない。


田中さんは少し戸惑った表情を浮かべながら答えた。


「それは……普通ではないと評価されると思います、何か感情が欠けているような印象でしょうか」


法廷内にざわめきが広がる。


白浜検事はその反応を確認しながら、


「ありがとうございます。以上です」


と告げて席に戻った。


東雲裁判長が私に向かって、


「弁護人、反対尋問はありますか?」


と尋ねた。


私は立ち上がり、田中さんに向き直った。


この不利な証言の影響をどう最小限に抑えるか、頭の中で必死に戦略を練る。


「田中さん、須田さんの日頃の態度についてお伺いします。須田さんは普段から礼儀正しく、周囲に気を遣う性格だったということは間違いありませんか?」


「はい、それは間違いありません」


田中さんは即答した。


しかしここから続かない。


「……ありがとうございます、以上です」


とだけ告げて、すごすごと席に戻った。


法廷は完全にアウェーの空気だった。


まぁそんな状況には慣れきっている、なんなら今日は罵声を浴びないだけマシだ。


報道では好き放題言われているし、言いたい奴には言わせておけばいい。


田中さんが退廷すると、裁判長は次の証人を呼ぶ前に小休憩を宣言した。


「十五分間の休憩とします」


なんとか検察側の証人尋問が終わった。


まさしく防戦一方、このあと司法解剖の担当医が残虐性を強調したりしたら最悪だった。


日程調整が上手くいかなかったのか、出廷しなかったのがせめてもの救いだ。


法廷内の人々がざわめき始める。


そんな中で須田さんはいつもの穏やかな笑みを浮かべたまま、じっと前を見つめていた。


彼の表情からは、たった今聞いた自身の犯行の生々しい記録に対する反応を読み取ることはできなかった。


私は未だ彼の真意を知るに至らないもどかしさと共に、諦めることのできない自分を目の当たりにした。


十五分間の休憩が終わり、法廷に再び緊張感が漂い始めた。

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