EP-95 夏夜の装い
撮影会という名の悪夢が終わり、現地集合の狐鳴さんを除く全員が集まった。今後の予定としては着替えを済ませて、陽が沈む頃に夏祭りの会場である桜里浜神社に着くよう出発することになっている。
ただし私はお祭りが始まる前に力尽きたけどね!出かけるまでまだ時間はあるけどもう何もやりたくない。
「おい、そろそろ起きろ」
「つーん」
「お前な。寝転がったせいでまた着崩れているぞ。早く着替えを済ませて来い」
「良介だってまだシャツのままじゃん」
「男の着替えなんて直ぐ終わるんだよ」
「うー、分かったよ」
気怠げに体を起こした私は良介と別れて秧鶏さんのところに向かい、最後の着付けをお願いする。
先に言われていた通り写真を撮られたときほど苦しくはない。やっぱりプロは凄いね。
「しー姉ぇの生着替え。良いね!」
「今朝から散々見ていたよね」
部屋の入口から顔を覗かせている愛音。様子を見に来たみたいだけど、目を濁らせて呼吸が荒い。本来の目的を忘れているけど、今に始まったことではないのが悲しいよ。
着付けを済ませて店頭に移動すると、既に全員が集合していた。ちゃっかり良介も揃っている。本当に男子は着替えが早かったね。
「あら言ノ葉さん、よく似合っているわよ」
「猫宮さんも綺麗だよ」
「ふふっ、ありがとう」
私が着ているのは桃色の生地に白色の百合が刺繍されている浴衣。髪型も簪を上手く使い、うなじが見えるようにまとめられているので涼しく感じる。
足下は漆塗の下駄を履いている。本当は履き慣れていないから足を痛めそうで嫌だったのだけど、秧鶏さんが当然のように用意してきたので断ることができなかったのだ。
まぁ、もし痛めたときは良介にでも背負ってもらえば良いかな。
そんな私の装いを褒めてくれた猫宮さんはというと、菊の花があしらわれた淡い黄色の浴衣を着ている。長い髪を丁寧に編み込んでいて先を手前に流していている。まるでとある童話に出る長髪が有名なお姫様みたいだ。
「2人とも普段とはだいぶ印象が違うね。新鮮だけどよく似合っているよ」
「馬子にも衣装とはこのことだな」
「張り倒すわよ」
ナツメ君はまるで水の中にいるような淡い青。そしてその中を自由に泳ぐ魚と、水面を揺らす波紋が特徴的な浴衣を着ていた。
一方で良介はナツメ君より深い青色に激しい川の流れを思わせる流水が描かれている。暑さを忘れてしまう涼しげな姿が格好良い。そして羨ましい。
「私達はしー姉ぇをイメージしたカラーにしたよ」
「どういうこと?」
「本人は分からないものなのね」
愛音は白、琴姉ぇは瑠璃色の浴衣を着てそれらしいポーズを決めている。今朝の撮影ですっかり慣れたものだね。
ちなみに刺繍されている絵柄はそれぞれ朝顔と椿だ。どちらも2人の雰囲気によく合っている。
「琴音さん、髪型弄らせてもらっても良いです?」
「あら良いの?」
「綺麗なストレートの黒髪も良いですけど折角なので」
「ありがとう。それじゃあ詩音とお揃で」
「良いなー。私も伸ばそうかな」
琴姉ぇの髪を梳いて手際良く結いていく飛鳥さん。その浴衣は夜の闇に溶け込みそうな黒に鬼灯が描かれている。大人っぽいデザインだけど見事に着こなしている。
あの柄なら男のヒトが着ても格好良いと思うんだよね。私も是非着てみたいものだ。
「それじゃあ行ってきます。お母さん」
「楽しんでくるんやで〜」
秧鶏さんに見送られて夏祭りの会場に向かう。神社に着いた頃には空が夕焼けに染まり、屋台が明かりを灯している。
この光景を見ていると不思議とワクワクしてくる。童心に帰るというやつかな。
「琴姉ぇ、琴姉ぇ、焼きそばがあるって!」
「はいはい。見れば分かるわよ」
「ところでお前ら予算どのくらいある?」
「私は5千円。全部使うつもりは無いけど」
「俺は2千円」
「3百円!」
「えっ」
「3百円」
「そうか。そうかぁ」
首にぶら下げたがま口財布を掲げると全員の視線が集まった。この日のためにママにお願いして特別にお小遣いを貰ったのだ。羨ましいだろう。
胸を張って自慢していると猫宮さんに頭を撫でられた。求めていたリアクションと違う。
ようやく解放されたと思ったらナツメ君がたこ焼きを分けてくれた。とても美味しいけどいつの間に買ったのかな。
「さて、一先ず稲穂と合流しよう。さっきから詩音ちゃんに会いたいっていうメッセージが絶え間なく送られてきてさ」
「何それ怖っ」
「場所は分かっているから付いて来て」
飛鳥さんの先導に従い、途中で綿飴に後髪を引かれつつも神社の前に到着する。神様に頭を下げて挨拶してから鳥居を潜ると、境内に設置されている仮設テントに向かう。
それは地元の方々がボランティアで運営している案内所だ。狐鳴さんはどこにいるのかと辺りを見渡すと、目よりも先に耳がその気配を捉える。
「しーちゃーん。待ってたよー!」
動きにくい浴衣姿ということもあり、私は逃げる間も無く抱きつかれる。そんなに寂しかったのかと考えていると、彼女は何の躊躇いも無く私を抱きしめた。
「その浴衣、可愛いくてとっても似合っているねー」
「わふっ、ち、近いよ狐鳴さん」
「良いではないか良いではないか」
狐鳴さんが着ている浴衣のデザインは水面に咲く蓮の花だ。鮮やかな青い生地に映える神秘的な花は、狐鳴さんの魅力を更に引き出している。
頬が触れるほど密着する彼女を飛鳥さんが引き剥がしてくれたおかげで事なきを得たけど、たぶんいま私の顔は赤く染まっている。こういう不意打ちは心臓に良くないよ。
狼「あの、夏祭りの予算500円ってどういう事ですか。手持ちがワンコインだけなんて、今のご時世では一瞬で無くなりますよ」
愛「いや、私達も出かける前に確認はしたよ。でも中身までは見てなくて」
琴「聞いたときは自信満々に大丈夫って言うからそれを鵜呑みにしちゃって。あの子の天然を甘くみていたわ」
鳥「キラキラした笑顔でお財布を掲げていたとき、あの子が眩しくて見ていられなかったよ」
鮫「俺も手持ち多くないのに思わず奢ってしまった」
狐「そこがしーちゃんの可愛いところだよ」
猫「とりあえず私はチョコバナナでもご馳走するわ」




