EP-94 それはまるで蜘蛛の糸
「うーん、やっぱり笑顔が固いな」
「しー姉ぇの魅力が全く引き出せていないね」
「笑顔云々の前に生気を感じないわね」
撮影の成果に難色を示す3人を他所に、精も根も尽き果てた私は並べた座布団に横たわっていた。秧鶏さんが額に置いてくれたタオルが冷たくて気持ち良い。
これまでに何度も着せ替え人形の刑は受けたから多少は耐性が付いたと思っていたけど、どうやら私は知らないうちに思い上がっていたらしい。
慣れない服を着させられ、写真映りが良くなるようにと化粧をされる。時間経過と共に着実に気力が削られてる私。対して敵の体力は無尽蔵。彼女達はヒトであってヒトではないのだ。
人体の神秘を垣間見た私だけど、これとは別に驚いたことがある。それは私が力尽きるまで着せ替えをされるほど私に合わせた和服が作られているということだ。
尻尾を出すための穴を空けるだけとは言え、それだけの手間を製作者に強いていることになる。しかも普通のヒトが着たとしても目立たないように工夫されている。これならお尻が見えることも無いだろう。
どうやら私は人類の服飾技術レベルを一段階引き上げてしまったらしい。
「雲雀、また新しい友達来たで」
「おーう、早いな詩音。そんなに祭りが楽しみなのか」
「りょ、りょうす、け」
「ごめん。そんな生優しい状況では無いみたいだな」
「えぇ、何これ。どうしたらこんな事態になるの」
いつもと変わらない調子で顔を出した良介だけど、私の凄惨な姿を見て色々と察してくれたらしい。一緒に来たナツメ君まで心なしか顔が青い。
「2人とも遅いよ」
「そうか?昼過ぎにここ集合だったろ」
「私は朝一って聞いたけど」
「その時間差が撮影会の時間ということか」
「詩音ちゃん。次はこれ着てー」
「うんまぁ、強く生きろ」
「くぅーん」
次の浴衣を持って来た飛鳥さんは母との見事な連携によりあっという間に私を着せ替える。その間男子2人は今まで撮った私の醜態を見ている。後で絶対にたこ焼きを奢ってもらうからな。
「詩音さん、またサラシ直すで」
「ぷぎゅう」
「帯絞めるよ」
「わぅん」
私の返事も待たずに容赦無く着付けをする秧鶏さん。胸が締め付けられて奇怪な音が口から漏れる。
このサラシというものが兎に角辛い。胸を圧迫するように巻かれるから息ができなくなるのだ。琴姉ぇのときはこんなの使っていなかったのに。どうして私はこんなに苦しまないといけないんだ。
「サラシ、きつう巻いて堪忍ね。夏祭りに行くときはもう少し楽にしたるさかい」
「和服はここの発育が良いと太ってみえて綺麗に見えないと言われているの。着崩れもしやすいからどうしても必要なんだ」
「ウチはええ感じに色気出てアリやと思うけどなぁ」
色気なんて要らないけど胸が苦しいのも嫌だ。こうなったら浴衣は諦めて私だけ普段着で行こうか。でも皆んなと約束したのにそれを破ったら狐鳴さんとか悲しむよなぁ。
「女子の浴衣姿って凄く魅力的だと思っていたけど、こんなに大変な苦労をしていたんだな」
「俺達、もっと女性に優しく接してあげられるようにならないとな」
「お昼も過ぎたし、一度休憩を挟みましょうか」
「うどんでも茹でようか。詩音もご飯にしよう」
「何も食べられる気がしない」
「おやつにお団子も用意してんで」
「ではそれだけ頂きます」
もしも今うどんを食べた場合、その後の着付けでお腹を圧迫されたときに大惨事になることは必至である。それだけは絶対にあってはならない。
写真館とはいえ元々ある和室に機材を持ち込んでいるだけだから、端に移動すれば充分に休むことはできる。座布団に腰を下ろして座卓に置かれた急須でお茶を淹れる。
夏に温かいお茶を飲むのも良いものだ。ただしエアコンの冷房がしっかり効いた室内に限るけど。
「ミィー」
「おぉ、あんこいたんだ。おいでー」
「ミャー」
香り豊かな一服を堪能していると部屋の入口から見覚えのある影が顔を覗かせていた。太ももを叩いて声をかけると真っ直ぐ私のところに駆け寄って来た。何この可愛い生き物。癒される。
帯の飾りにじゃれつくあんこを撫でる。そう言えばいま着ている和服を脱がしてもらう前に飛鳥さんもそのお母さんもどこかに行ってしまった。
私1人では着られないから勝手に脱ぐわけにはいかない。苦しいけど2人が戻ってくるまでこのままか。
「お疲れさん。飛鳥のおばさんから団子貰って来たぞ」
「わーいありがとう」
「おっ、久しぶりだなあんこ。元気にしていたかー」
良介から三色団子を受け取ると目敏く狙うあんこがハイジャンプを決める。その姿は獲物を狙う狩人の如し。
その襲撃をあしらいお団子を頬張る。優しい甘みが口に広がって美味しい。その後味とお茶の味わいが混ざり二度美味しい。福音が聴こえるよ。
「良介もこの後に写真を撮るの?」
「いいや。男の写真なんて要らないんだとよ」
「羨ましいやつめ。ところで猫宮さんには会った?」
「少し遅れるって連絡があったぞ」
「そっかぁ」
「お前まさか友達を地獄に引き込もうとしていないよな」
「してないしてない。猫宮はきっと私の味方だよ」
猫宮さんは公正で正直なヒトだ。私の気力の消耗具合を見ればやり過ぎだと止めてくれると思う。水着選びのときは私の意見を尊重してくれたし。
そう考えると私の女性の知り合いで常識人なのは彼女くらいではないだろうか。他に挙げるとするなら戌神さんとノアちゃんのお母さんくらい。なんて貴重な繋がりなんだ。これは大事にしなければ。
「詩音、写真撮影のこと何だけど」
「もう休憩終わりか。うぅ、仕方ないけどやろうか」
「いいえ。確認したら良いものが結構あったわ。飛鳥ちゃんにも見てもらうけど、多分もう大丈夫よ」
「本当!?」
まさかの朗報にあんこを高らかに持ち上げて喜びを表現する。ようやくこの地獄から解放された。私にとってあんこは暗い地獄に差し込んだ一筋の光だよ。
その後半日振りに深呼吸ができた私はあんこと戯れながら、もう一度浴衣を着るまでの間をのんびりと過ごすのであった。
琴「うん、これなら完璧ね」
愛「あんことお団子のお陰で自然体の魅力を引き出せたね」
鳥「大狼が詩音ちゃんの緊張を解いてくれて良かった。相変わらず良いコンビだよ」
愛「あの畜生のお陰、だと。ぐぎぎぎ」
琴「どんだけ認めたくないのよ」
猫「皆んなお待たせー。遅れてごめんね」
鳥「猫宮さん良いところに。詩音ちゃんの激レア写真が撮れたけど欲しい?」
猫「会っていきなり何を言っているの。貰うに決まっているじゃない」




