EP-81 一掃
生い茂る樹木が作る木陰に覆われているとはいえ、夏場に長い石階段を上るものではない。イノリの出会った古びた社に着くや否や、石階段の最後の一段に腰を下ろして、寂れた鳥居の下で水筒に口を付ける。
大切な友達と出会った思い出の場所。時々様子を見に来ているのだが、梅雨が過ぎて夏の日差しを存分に浴びた雑草達の生命力は凄まじい。素人の手入れでは間に合わず、あちこちで自由奔放に伸びている始末だ。
挙句、私の方はここに来るだけで結構良い運動になっている。このまま家に帰ればとても健康的なのだろうが、雑草抜きに興じれば帰宅後はふにゃふにゃに疲れていると思う。
「そう言えば愛音が手伝ってくれたときもあったかな」
剪定ハサミを手に雑草を手に作業を進める。しかし敵はあまりにも強大だ。どれだけ葉や蔓を刈ろうとも、減るのは雑草ではなく水筒の中身ばかり。
どうにか社の周りだけは整えたけど、これはまた直ぐに伸びて元通りになるだろう。夏休みになるし訪れる頻度を増やすべきか。そう考えていたときのことだ。
「ほほーん。あれがイノリという犬と出会ったと言う例の社かー」
言葉に覇気を感じない間延びした口調。そよ風に揺れて歌う葉音に混ざり聞こえるその声には聞き覚えがあった。
「やぁやぁ。夏休みを謳歌しているかな高校生」
「おはようです。竜崎さん」
白地のシャツに黒のズボンとジャケットという恐ろしくシンプルな格好で現れたのは、私がお世話になっているお医者さんの竜崎先生だった。
「どうしてこんなところに?私が言うのもアレですけど何もないですよ」
「そうだなー。散歩のついでに君の出生を調べに来たっていう感じかな」
「出生ですか?」
「正確には今の姿に変わった原因を知りたくてねー」
それはつまり、ごく普通の男子中学生が動物の耳と尻尾を持った女子高校生ジョブチェンジするという謎を追っているということか。改めて思うと自分のことながら本当に摩訶不思議な現象だよね。
私としては難しいことは脇に置いて、今を元気に生きているからとりあえず良し、と考えている。しかし患者として私を診る必要がある竜崎先生としてはそう楽観視する訳にもいかないのだろう。
狼とヒトの狭間を生きる私に適した治療を施すためにも、その正体は明確にする必要がある。とは言え解剖なんてできるはずもない。だからそれ以外の方法でできる限りの情報収集をしているのだ。
「まさか医者になってこの町に古くから伝わる伝承やオカルト話を真剣に調べることになるとは思わなかったよー」
「ご迷惑をおかけします」
前に獣化して病院に行ったとき、人狼が登場する小説を読んでいたのはそういうことだったのか。
竜崎先生は笑いながらも何も無い空間を虚な瞳で見つめている。見ている方が辛い気持ちになりそうなその様相に謝らずにはいられなかった。
「今日ここに来たのもそれについてですか」
「前からよく来ていたと言っていたからね。それで来てみれば何やら雰囲気のある社があるじゃないの」
「良いですよねここ。何が良いのか聞かれると上手く言えないんですけど」
「あー分かる。落ち着きがあって神秘的で。不思議な冒険が始まる気がするわ」
まるで物語の書き出しのような言い回しに思わず2人揃って笑い合う。竜崎先生と話すと自然と肩の力が抜けて楽になるから不思議だ。さすが動物病院の先生である。
「しかしあれだな。現場に来たところで分かることなんて何にもないなー。石標もボロボロで社の名前すら分からん」
「まぁ、そんなものですよ」
「とりあえず神様に手を合わせておくとしますか」
一通り調べて成果なしと肩をすくめた先生は社に手を合わせると、別れを告げて石階段を降りて行く。その後ろ姿を私はじっと見つめた。
「じー」
「分かった分かった。手伝うからそんなつぶらな瞳を向けるんじゃない。撫でるぞ」
「先生なら良いですよ」
「いや、やめておく。保護者が怖いし」
どうやら雑草抜きを手伝って欲しいという気持ちはちゃんと竜崎先生に届いたようだ。先生は再び鳥居を潜り、応援を呼ぶべく電話をかける。
他愛のない雑談をしながら他愛の無い話しをすることしばらく。やって来たのは案の定、竜崎先生と動物病院を支える戌神さんだった。
「ふぅ。お待たせしました」
「お疲れさん。わざわざごめんねー」
『会いたかったぞ新入り!』
『遊ぼ遊ぼー!』
久しぶりの再会にテンションが上がっているのか、私の周りを飛び回るひのえちゃんとこのと君。2匹の相手をいている間に戌神さんは持っていた荷物を竜崎先生に渡した。
何でもどうせやるなら本格的にということで、2人が普段から使う除草グッズを色々揃えて来てくれたらしい。
確かにあの病院には立派な庭がある。あれをお手入れをするために道具をしっかり備えているのは当然のことか。
それにしても動物のお世話と診察をしながら庭のお手入れもする。改めて考えるとこの2人って凄いヒト達なんだなぁ。
「この草刈機で奴らを殲滅してやるぜぃ」
「本格的だ」
「自動車で来たので袋に詰めて運びましょう。後日まとめてゴミ出しするので」
「ふおぉ」
ハサミ1つしか持ち合わせていない私とは比べものにならない戦闘能力。これが大人の力なのか。
私は戌神さんから軍手を借りて、竜崎先生が雑草達を蹂躙した後に残る雑草をゴミ袋に詰め込んでまとめて行く。
ここで意外だったのはやんちゃな2匹が珍しく大人しかったことだ。どうやら草刈機の音が苦手なようで、私の側を離れようとしない。音に怖がらない私を見て勇気がある奴だと株が上がったのは余談である。
「あっという間にすっきりしちゃった」
「神様も喜んでくれると良いですね」
「残った根っこは除草剤を撒いておけば良いだろ」
「どうしてです?」
「これを抜くのって結構大変なんだよ。薬を撒いて枯してからの方がかなり楽に片付けられるんだ」
そう言いながら適当に除草剤を巻いていく竜崎先生。庭弄りをしたときの残りものらしいけど、だからといってタダではないだろうに。本当にお人好しなヒトだな。
「それじゃあ帰るとするかねー」
「雑草を袋にまとめたのは良いですが、これを全部乗せるのはさすがに無理ですね」
「様子を見に来るついでに少しずつ持って帰るしかないさ」
「私持って行きます!」
ゴミ袋を抱えて私の周りを2匹が元気に歩き回る。何か新しい遊びをするのかと期待しているのが伝わってくるが、そんなに楽しいものでは無いよ。
誤ってぶつかることが無いように石階段を慎重に降りる。聞き分けの良い2匹に先導してもらいつつ、無事に片付けを終わらせることができました。
詩「よし、これで最後ですね」
戌「私もお手伝いしますよ」
竜「いやー、詩音君が元気そうで何より。まぁ、これだけのヒトが常に見守っているから、トラブルなんて起こらない思うけど」
?「っ」
竜「別に君達の邪魔をするつもりはないよ。でも俺達を詮索するのはおすすめしない。それがそっちの仕事なんだろうけど、こっちにも色々と事情があるのでね」




