EP-8 男子禁制
車の行先は自宅。そう思い込んでいた自分が心底嫌になる。
到着したのは衣服を専門に扱うお店。いわゆるアパレルショップだ。ちなみに俺はここにそんな建物が存在していることすら知らなかった。
だって家の真逆の方向にあるお店だし。普段着ているものは近所にある某有名チェーン店で購入したやつばかりだし。
あそこは品質の良さとお値段良心的な庶民の味方なんだよ。わざわざ遠出する必要は無いじゃないか。
まぁ、品揃えが充実しているのはその通りなんだけど。
「せめて行くなら最初に言って欲しかったよ」
「外に出るのをごねていたあなたに言ったら余計に引き篭もったでしょう」
「そうだけど」
母さんの正確な読みにぐぅの根も出ないでいると、駐車場の隣に別の車が停車した。思わず隠れようとするが、運転席から出た人を見て目を丸くする。
「悪い、待たせたみたいだな」
「父さん!?」
我が家の車は1台だけのはず。わざわざレンタカーを用意したというのか。5人乗りなんだからその必要性は皆無だろうに。
「これなら好きなだけ買って持ち帰られるだろ」
「何着買うつもりなの!」
「まさか軽トラの方が良かったか!?ごめん気が利かなくて」
「何着買うつもりなの!?」
どうして容量が足りないという発想になるのさ。
父さんのこと、優しくて穏やかで、いざというとき便りになる人だって尊敬していたのに。この数秒で株が一気に暴落したよ。
「そんなに買ってもクローゼットに入らないよ」
「しー姉ぇ、そういう問題じゃ無いんだよ」
「えっ?」
「良い感じに天然なところは相変わらずねぇ」
何故父さんでは無く俺に哀れみの目が向けられる。意味が分からない。いま頭が残念なのはどう考えても父さんの方だろう。
「お母さん。軍資金はいくら?」
「紫音に似合うのなら何でも良いわ。靴や小物もあるから必要なもの全部買い揃えるわよ」
母さんが手を差し出すと父さんが1枚のカードを渡した。あれってクレジットカードだよね。なんか色が黒い。そういうデザインなのかな。
「俺はここで待ってるから。荷物持ちが必要になったら呼んでくれ」
「うひゃー、お父さん太っ腹」
「紫音に似合うコーディネートを揃えてみせるわ」
「紫音のことは私が誰よりも知っている。姉妹の分際で母に勝てると思わないことね」
何故だろう。我が家の女性陣が謎の競いを始めた。背後に熱く炎が燃えている幻覚が見える。
「それじゃあ行こっか。しー姉ぇ」
「何故に」
「服を着る本人がいないと始まらないでしょ」
「あんまり嫌がると妄想のしー姉ぇに恥ずかしい格好させるよ」
「それは止めて」
妄想の中の俺は一体どんな格好をされているのだろう。聞いてみたいけど聞きたくない。
その後も抵抗するが結局のところ多勢に無勢。笑顔で手を振る裏切り者に見送られ、引き摺られるように自動ドアを通ることになる。
「いっらっしゃいませー」
「わぅ」
輝く営業スマイルを向ける店員さんを愛音を盾にして防ぐ。しかし振り返って俺の肩を掴んだ愛音は店員さんにみせるように俺を前に突き出すた。お前に人の慈悲は無いのか。
振り解こうともがいてみるがビクともしない。その間に母さんと琴姉ぇに近付いた店員さんが二言三言交えた後に真っ直ぐ俺を見据える。
咄嗟に帽子を深く被り服の下の尻尾を丸める。見えていないはずだけど、そうせずにはいられない。
「外国の子か。ハロー、ジャパニーズオーケー?」
「こう見えて日本人だから大丈夫ですよ」
「あっ、そうなんですか」
一応ピアノを弾きに海外に行くこともあったから日常会話くらいなら日本語以外でも分かる。でも話を混乱させるだけだから黙っておこう。
ちなみに母さんは日本人と言ったけど正確にはクォーターだったりする。父方の祖父がドイツ出身なんだよね。でも変に思われるのが嫌で基本的には純日本人ということで通している。
最もこの見た目ではその方が違和感があるけどね!
「それじゃあ何か良さげなやつを見繕ってくるわね」
「しー姉ぇコーディネート女王は私だよ!」
言うが早いか、2人はスタートダッシュを華麗に決めてあっという間に見えなくなった。未知の世界に取り残された俺を大きな不安が襲う。
母さんの近くに寄るけど、母さんは母さんで色々と物色している。声をかけると「あなたも探しなさい。自分で着るんだから」と突き放された。子を谷に突き落とす獅子の所業である。
女性ものの服と言われてもスカートとワンピースくらいしか知らない俺にどうしろというのか。
「ねぇ、君」
「ぴゃ!」
何かできることも無く、店内の邪魔にならなそうなところで佇んでいると店員さんに声をかけられた。心拍数が一気に跳ね上がる。
「ごめん。驚かせるつもりは無かったの。えっと、名前を聞いても良いかな」
挙動不審な俺を見て店員さんは優しい口調で尋ねて来た。何気ない質問なのだろうけど、初対面の人と世間話というのは俺にとっては途轍もなくハードルが高い。
「紫音、です」
「シオンちゃん。可愛い名前ね」
何とか絞り出すように答えると店員さんは褒めてくれた。しかし俺は別の意味で心にダメージを受ける。
男のときと変わらない名前なのに可愛いと言われた。格好良いとかでは無く可愛いと。そんなに女々しい名前なのか。
「シオンちゃんはどんな服が好きとかある?」
それはこのお店では息をするが如く当たり前に聞く質問であり、俺がどれだけ考えたとしても答えを出すことが叶わない難問。この問いに対する最適解を導くのは高校入試の試験問題で満点を取るより至難である。
縋る気持ちで母さんに視線を送るとばっちりと視線が合った。遠くから視線の端で俺の様子を見ていたことは分かっているんだよ。
それに対して母さんは「頑張って」と口を動かして手にした衣類の精査に戻る。
今このとき、神はしんだ。
「こう、ふわっとした感じで良いからね。何かないかな?」
店員さんが気を遣って質問の仕方を変える。すごく良い人だ。
問題があるのは俺の方。何か言わなければと焦るほど言葉が詰まって苦しくなる。
「め、目立たないやつ」
たっぷり時間を要して紡いだ要望にしては何とも後向きなものだった。でも自分の格好なんて本当に無頓着だから言うことが無いのは本当だ。強いて言うなら動きやすいものが良いくらいか。
「そっか。じゃあ飾り気が少ないシックなモノトーン調のものにしようか。場所を選ばず着やすいし他のものとも合わせやすいから、1着は持っていて損は無いよ」
店員さんが離れて少々。見繕った一式を手に颯爽と舞い戻って来る。靴まで用意しているのは今履いているものが急拵えでサイズが合っていないのだと見抜いたからだろうか。もしその通りなら恐ろしい観察眼だ。
「試着室はこっちだよ」
有無を言わさず処刑台に連行される。俺は知っている。ここに入れば最後、次から次へと服が持ち込まれてその全てを試着して見せない限り出られないという拷問を受けることになるのだ。
しかしこれに抗う術は無い。俺は暗黒が広がる未来にただ絶望した。
そのとき母さんが店員さんに声をかける。店員さんの足が止まる。神はまだ俺を見捨てていなかった!
「実はこの子、まだ下着も持って無いのよ」
「えぇっ!?そうなんですか!」
「似合うものをいくつか選んであげてください。これが紫音のスリーサイズです」
「承知しました。お任せください」
そうだ。神はとっくにしんでいたんだった。このお店に入ったその瞬間から俺が救われる可能性は万に一つもありはしないのだ。
目のハイライトが消えた俺を引いて目当てのものを集めた店員さん。試着室の前でようやく解放されたが、選択肢はもう残されていない。
「大丈夫ですよ」
渡された服を手にして涙目で震えていると店員さんが優しく頭を撫でてきた。帽子の中で耳がピンッと立つのを感じる。
「しー姉ぇ、安心してよ。ここの人達はしー姉ぇの事情を予め聞いてるから」
現れたのは愛音。どういうことかと顔を上げる。
店員さんは優しく笑いかけながら、何も言わずに自分の頭を指先でつっつき、次にお尻に手を当てる。その動作で意味が分かった。
ここにいる人達は俺に獣耳と尻尾があることを事前に母さん達に教えられていて、そのうえで俺に対して普通に接してくれているのだ。
「しー姉ぇが元男っていうことは秘密にしてるから安心して」
近付いた愛音が耳元で小声で囁く。配慮してくれたのはありがたいけど個人情報保護はどうした。
そしてお前が手にしている服は一体いくつあるんだ。まさかそれ全部試着しろとでもいうのか。おいこらスマホを出すな。カメラを起動するな。
「あっ、私のことは気にしないでどうぞご自由に」
「無茶言うな」
「安心して。これ動画だから」
「尚のことタチが悪い!」
その後、結局俺の着せ替え人形の刑は執行されてて身も心も力尽きたのだった。
琴「ファンシーな服を着せると本当に異世界から来たみたいね」
紫「神はしんだ」
愛「しんでいるのはしー姉ぇの目だよ」
母「ハイライトが消えるってこういうことなのねぇ」
店員「イベント用のコスプレ服とかありますよ。メイド服とか魔法使いとか」
紫「許してください」




