EP-77 弄り甲斐
通勤ラッシュの時間からは時間がズレているとはいえ、駅周辺は流石にヒトの数が多い。
危惧していたように視線も多いけどその目が宿すのは好奇の感情。以前は気になっていたけどどこに行っても同じだから最近は気にならなくなった。気にしているだけ無駄だと悟ったともいう。
「おう、来たな」
「お待たせー」
「良介君、今日はよろしくね」
「こちらこそ。とりあえず自己紹介からしましょうか」
そう言えば猫宮さんとナツメ君は愛音達とは初対面か。狐鳴さんと飛鳥さんの顔合わせはまた今度だね。
「うわぁ、顔面偏差値が高ぇ」
これは2人と挨拶を交わした後に誰にも聞こえない声量で呟いたナツメ君の感想である。私の聴力を侮ってはいけない。
思わず漏れた率直の感想は素直に嬉しい。何せ琴姉ぇは非の打ち所がない美人だからね。愛音も黙っている間の第一印象は完璧だから。
自己紹介も程々に済ませたところで電車が来る時間も近付く。誰が言い出すこともなく、自然と皆んなの足が改札に向かって歩き出す。
「おい詩音。どこに行くんだよ」
「電車に乗るんだからきっぷを買わないと」
「えっ、持っていないのか?交通系のIC」
「うん。だって普段は乗らないし」
「マジかこいつ」
まるで信じられないものを見たと言わんばかりな驚愕の表情を見せる。まるでこの世にいるはずがない珍獣を見たかのようだ。
確かに私は他のどこにもいない珍獣だから正解の反応かもしれないけども。高校生だってきっぷを買うヒトくらいいるでしょう。いるよね?
「あっ、でもテレフォンカードならあるよ」
「時代を逆行するんじゃねぇ」
「ヒトのことばかり言って。良介だってカード持っていないじゃん」
「俺はスマホのアプリを使っているからな」
「あぷり」
「一周回ってカードレスになったんだよ。チャージをする手間もかからないから楽だぞ」
そう言って良介はポケットからスマホを取り出し、噂のアプリとやらを見せてくれた。これがあるだけで買い物が自由にできるなんて俄には信じられないね。
彼の戯言は一先ず放置しておいて私は自分のきっぷを買うとしよう。料金はいくらだったかな。
「大人一枚、押しておくぞ」
「ありがとー」
財布を覗いてお釣りなく払えるように硬貨を探る。こういうときに綺麗に支払いができると少しだけ気分が上がるよね。
お金を投入して無事にきっぷを購入。券売機から出てきたそれを取ったそのとき、数枚の硬貨が音を立てた。
おかしいな。ぴったり支払ったと思ったのに。行き先を間違えて押したのかな。
「ってこれ子ども用のきっぷじゃん!」
「あっはっは!」
他人のお金で悪戯をするなんてヒトがやることではない。目の前にいる鬼畜野郎を抗議をするが動じた様子は全くない。ムカつくくらい立派な胸筋だなこの野郎。お前なんて改札に挟まれてしまえ。
「これ払い戻しできるかなぁ」
「聞いてみればいいだろ」
「誰のせいでこんなことになったと思っているのさ」
子ども用きっぷを手にした私は改札の窓口に向かう。目的の駅までの行き方を聞いているお婆ちゃんを待ち、駅員さんの手が空いたところで声をかける。
「あの、すみません。いま大丈夫ですか?」
「っ、はい。どうかしましたか?」
突然現れた獣耳の謎生物に一瞬驚いた素振りを見せた駅員さんだが、直ぐに自然な対応をする。自分で言うのも悲しいけど、これで驚かないとはさすがプロだ。
「実はきっぷを間違えて買ってしまって」
「そうでしたか。どこの駅に行く予定なのですか?」
「いや、駅は合っているんですけど。子ども用のを買ってしまったんです」
「ん?何か問題があるのですか?」
「えっ?」
私と駅員さんの噛み合わない会話。お互いに疑問符を浮かべたまま見つめ合う。それを眺めている良介が声を殺して笑っていた。
しばらく固まった後、先に誤解の正体に気付いたのは私だった。
「あの、こう見えて私もう高校生になるんですけど」
「へっ?えっ、あっ!申し訳ありません!」
このときの私の顔は結構赤くなっていたとき思う。まさか子どもに見られていたとは思わず、駅員さんも私が学生だとは思わなかったらしい。
一応証拠として学生証を見せると駅員さんは再び驚き、すぐに謝罪してくれた。別にこの勘違いで気分を害したとかは全くないが、耳と尻尾があることよりも駅員さんが取り乱していたことに複雑な気持ちになる。
「はぁー、笑い過ぎて腹が捻じれそう」
「良介。今のこと覚えていろよ」
駅員さんの速やかな対応により無事に改札を通過した私は前にある大きな背中に向かって呪詛を吐く。こんな奴、電車に乗るときに靴紐がほどけて扉に挟まってしまえばいいんだ。
ホームに到着した電車の混み具合は座席は埋まり数人が立っている程度だった。夏休みとはいえ平日で通勤ラッシュの時間からも外れているからこのくらいなのかな。
手近な手摺りを掴むと皆んなも私を囲むようにして場所を確保する。5人は私に背を向けると足を肩幅に開くと吊り革も掴まず後ろ手を組んでいる。
「えっ、何これ」
「しー姉ぇに悪い虫が付かないように皆んなで守っているの」
「いや何でよ!ドアの近くでこんなに固まっていたら迷惑でしょうが!」
「ツッコむところがそこなんだ」
顔だけを向けて話しかけてきたナツメ君がサングラスのブリッジを中指で押し上げて位置を調整する。
今まさにそれ以上のツッコミポイントを見つけたところだよ。ボディガードか。それはボディガードのつもりなのか。
「言ノ葉さんが大狼君と騒いでいた間に愛音ちゃんが貸してくれたの」
「どうして猫宮さんまで便乗しているのかな」
5人の中では1番力が弱いはずの猫宮さんだが、退いてもらおうとその身体を押してみる。残念ながら一歩も動かすことができなかった。女子を相手に純粋な力比べで負けるとは。なんという屈辱。
「あんまり騒ぐと他のヒトに迷惑だぞー」
「うっ」
ふと周りを見渡すといつの間にか集まっていた好奇の視線が散り散りに彷徨った。つい先程まで注目を集めていた証拠である。
武力では敵わず抗議の声をあげるのも封じられた。こうなった以上、私は不満で口を膨らませて無駄に大きい良介の背中に恨めしく睨みつけることしかできなかった。
詩「このっ、くらえ」
愛「しー姉ぇは頭突きをした。しかし効果はないようだ」
琴「怒ったところもまた可愛い。この光景を見ていたヒトの心にダメージを与えた」
詩「うー」
琴「頭をぐりぐりと押し付けている。しかし効果はないようだ」
愛「どう見てもじゃれついているようにしか見えない。見ていたヒトの心にクリティカルダメージを与えた」
猫「最高に仲良しなバカップルにしか見えない」
鮫「右に同じく」




