SS-75 とある女子高校生の受難
多くの高校生が夏休みを謳歌しているこの頃。ごく一部の生徒は今までと変わることなく学校に登校していた。
部活動や生徒会などの活動が無いにも関わらず登校する彼らの共通点は1つ。先週に返却された中間試験にて赤点を取り、補講を余儀なくされたということだ。
「もふもふが足りない。誰か私にもふもふを分けてくれ」
「それができるのは詩音ちゃんだけだよ」
「うぅ、しーちゃんに会いたい」
先生から課された課題を涙を流しながら進める狐鳴。その隣では彼女に勉強を教えながら自分の夏休みの宿題を消化している飛鳥がいた。
2科目の赤点を取った狐鳴は兎に角、飛鳥は補講を免れている。にも関わらず学校に来たのは絶望の底にいた友人があまりに忍びなかったからだ。
教師としてもわざわざ勉強に来た上に、狐鳴がサボらないように見ている飛鳥を咎める理由はない。むしろ狐鳴の勉強が捗っているようで何より、という態度だ。
補講は午前中で終わり、呪縛から解放された生徒は意気揚々と学校を去る中、2人はまだ教室に残っていた。残念ながら勉強熱心という事ではない。目当ては飛鳥が持って来た重箱弁当である。
「前に皆んなで打ち上げに行ったときに思ったけどさ、雲雀なら今でもこのくらい1人で食べられるよね」
「あなたはそんなに私を丸くしたいのか。罰としてこのおにぎりも食べなさい」
「ふっふっふっ。こんなこともあろうかと朝ご飯を抜いて来たからね。私の胃袋はブラックホールだよ!」
両手に持ったおにぎりを猛然と食べる狐鳴。ちなみに彼女は食べるのは好きだが決して大喰らいではない。お重の下段に並ぶおにぎりだけでも10個以上あるのだ。おかずも合わせて食べれば直ぐに満腹になるのは目に見えている。
「もう無理っす」
「まだ1人分くらい残っているんだけど」
「本当にもうお米の1粒も入らないよー。けふっ」
並べた椅子に横たわる狐鳴を他所におき、仕方がないなと飛鳥はお重を風呂敷に包む。友達とたまに騒ぐときは羽目を外すこともあるが、用意されたらあるだけ食べてしまう生活は中学を最後に決別したのである。
「それじゃあ先に帰るよ。そのまま昼寝とかしないでね」
「ういー」
目を細めたまま手を振って別れの挨拶をする狐鳴。付き合いが長い飛鳥には分かる。あれは絶対に寝るやつだ。
いつもと同じ見慣れた通学路をいつもと違う時間に歩く。蝉が輪唱を歌う中、元気に騒ぐ小学生達とすれ違う。彼らも夏休みを満喫しているのだろう。その後ろ姿に当時の自分と狐鳴の
面影が自然と重なる。
「罪をつぐなうそのときまで、悪いやつはにがさない。ピュアウルフさんじょう!」
「現れたな魔法少女め。今度こそお前が嫌いなブロッコリーを食べさせてやるぞー」
「ざんねんだったわね。ねーねが作ったクリームシチューのおかげで、わたしは野菜嫌いをこくふくしたもん!」
「な、何だって〜」
家までの近道という理由で来た公園で遊んでいるのは魔法少女に扮した女の子とその母親らしきヒト。微笑ましいやり取りに心が温もりに包まれる。
余談だが女の子は女児に人気のアニメ「魔法少女ウルピュア」に登場するピュアウルフというキャラクターになりきっていた。狼をモチーフにしたキャラクターで、魔法少女に変身すると髪が白くなり耳と尻尾が生える。女の子は白い三角耳のカチューシャをしているので間違いない。
「私と推しが被るなんて。分かっているわね」
ウルピュアには5人の主役となる魔法少女が登場するが、その中でピュアウルフは登場時のキャラ設定が曖昧だと指摘されてあまり人気がなかった。
それがある日を境に突然脚光を浴び始め、今では人気キャラ投票で堂々のトップを飾るまでに至っている。その境となったある日が初めて詩音と会う数日前なのはきっと偶然ではないと飛鳥は思っている。
「ひっさつ!ふわふわテールアタック!」
「うわ〜、もふもふだー」
お尻から体当たりをする女の子を受け止めてやられるフリをする母親。体術としては非合理的極まりないが、それがまた可愛いくて癒される。
温かい家族の光景に元気を貰い、飛鳥は再び家路についた。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
広大な日本庭園をその敷地内に収める武家屋敷に着いた飛鳥は門の前に立つ2人の男の姿を見て溜息を漏らす。
周りにある家はごく普通の住宅だというのに、その景観に全く溶け込んでいない。根拠のない噂話が広がるのも無理はないのだが、実際に住んでいる身としてはたまったものではない。
「お帰りなさい。お嬢」
「誰がお嬢だ。名前で呼んでって言っているでしょう」
「そういう訳にはいきません」
自分に向けて首を垂れるスーツの男。分かっていた返答にげんなりとした様子で肩を落とす。一体このやり取りも何回目になるのだろうか。
無駄と知りつつ改めるように注意して門を潜り、玄関までの長い道を歩く。さり気なく近付いて風呂敷を預かろうとする付き人を手で制して追い払う。
玄関の扉を横にスライドさせて、脱いだローファーを下駄箱に投げ入れる。上手く収まった左右の靴に思わず口角が上がる。
気分良く廊下を歩く飛鳥はお重箱を片付けるため、キッチンへ向かいその引戸を開ける。そこでは母がたすき掛けをした姿で洗い物に興じていた。
「お帰り雲雀。遅かったなぁ」
「ただいまお母さん。はいこれお弁当」
山なりに投げられたお重箱入りの風呂敷を秧鶏は振り返ることなく受け止めて、早速洗うべくお重箱を開ける。中にあるおにぎりは奇跡的に無事だった。
「あら、雲雀ったらまた残してる。しゃあないなぁ」
「私が残しているんじゃなくてお母さんが作り過ぎなの。前に小さいお弁当箱を買って渡したよね。お願いだからあれに入れてよ」
「この前まで1人で食べとったのに」
「それは去年の中学生までの話でしょう。もう大食いキャラは卒業したんだから」
「健康診断で体重が増えていたこと気にしてるん?雲雀も乙女やな。ただの成長期やさかい。気にせんでええって」
年頃の繊細な心情に土足で上がる母親。無意識のうちに手にしていた湯呑を投げつけると、風を切るように彼女の後頭部へ一直線に飛んでいった。陶器の湯呑を思いっきり投げつければそれは立派な凶器である。
しかし秧鶏は振り向くことすら無く頭を横に動かして避けると、真横を通り過ぎる湯呑の飲み口を指先で撫でた。直線に進む運動エネルギーは全て回転エネルギーに変換されて、しばらく中空に留まる。
やがて回転の勢いが弱まった頃、湯呑は真下に差し出されていた手の平に何事も無かったように収まった。
「そうそう。先程お義父様があんたを呼んどったよ。おやつ食べる前に早う行ったってな」
「お爺ちゃんが?何だろう。分かった行ってみる」
「ちなみに今日のおやつは雲雀が好きなおはぎやで〜」
「大皿山盛りとか食べないからね」
「あら。せやったらこれどないしようかしら」
頬に手を当てて悩む秧鶏を置いて飛鳥は言われた通り祖父がいるであろう部屋に向かう。
産まれた頃から変わらず置いてある壺や皿が並ぶ廊下。父親曰くこれらは売り払えば一財産になるほどの価値があるらしいが、真実かどうかは怪しいところである。
ふと廊下の途中で立ち止まった飛鳥は何の変哲もない壁に向き直る。飾られている絵を鑑賞している訳ではない。それを挟んで置かれている2枚の皿のうち1枚を動かした。
徐に壁に手を付いた飛鳥。そのとき壁は押されるがままに動き、飛鳥は壁の向こう側の世界に誘われる。そのまま壁は半回転すると、飛鳥に代わり着物姿の男性が現れたではないか。
壁の向こう側から入れ代わりで現れた男は飛鳥が歩いて来た道を戻る。キッチンに入ると中では秧鶏が大皿におはぎを山盛りに乗せている最中であった。
「秧鶏。雲雀が帰って来たら父さんのところに行くよう伝えておいてくれないか」
「今ちょうど向かったところやねん。会わへんかったん?」
「おっと、入れ違いになったのか。この屋敷はこういうことがたまにあるから困るんだよなぁ」
「ウチは秘密基地みたいで楽しいけどなぁ」
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
幾重にも枝分かれしていて一切の灯りが無い通路だが、飛鳥は慣れた足取りで正しい道を進む。至る所にある同じ間取りの和室のうちの1つに到着すると、敷き詰められた畳の一枚を剥がしてその下にある部屋に降り立つ。
「ーーー」
「っと」
視界が奪われた闇の中でも分かる。着地隙を狙い放たれた飛来物を宙返りで躱し、空中にてスカートに仕込んでいたクナイを構える。
続けざまに迫る直刀の一太刀。仕込み針を放ち牽制する間に着地して低姿勢のまま一気に距離を詰める。肉薄すれば間合の広さという刀の長所は奪われるからだ。
対する相手は刀を捨てて近接戦闘に戦法を切り替える。クナイの刺突を腕を盾にして受け止められた。衝突時の感覚と金属がぶつかる音からして何か仕込んでいるのは間違いない。
その後、空気が唸る打撃が交錯する中で一瞬を突きクナイを放つ。至近距離にも関わらず投げたことで、僅かに攻撃の間合が伸びたのだ。
咄嗟に腕で弾いた人影だが、そこに生じた僅かな隙を突くように鋭い蹴りを叩き込む。
「雷閃!」
その健脚を起点に放たれたのは紛れもなく電光であった。闇を照らした時間はごく僅かだが、細身の彼女ではまず退かせることはできない巨漢の男が宙を舞っていた。
「うむ、見事だ」
賞賛の言葉を口にした男は空中で体勢を整えて何事もなく着地する。彼こそが飛鳥を呼び寄せた本人であり彼女の祖父。飛鳥黒鵐そのヒトである。
黒鵐が戦闘の構えを解いたそのとき、部屋の行燈が独りでに明かりが灯り辺りを照らす。
雲雀の前に立つ黒鵐の体躯を一言で表すのなら野生の熊である。2メートルを超える身長に丸太のように太く屈強な腕。それでいて身のこなしは木の葉のように軽い。
以前、詩音が遊びに来たときの姿とは似ても似つかない様相だが、紛れもなく今の姿が本来の祖父である。
「高校生になってからというもの稽古を怠っているようだが、その刃は依然として鋭く研ぎ澄まされているな。爺は安心したぞ、雲雀」
「そりゃどうも。でも会う度に奇襲してくるのはやめてくれないかな」
黒装束の姿で畳の上に座する黒鵐が放つ厳かな迫力は圧倒されるものを感じるが、飛鳥は気にした様子もなくやれやれと溜息を吐いた。
「我が飛鳥家は室町の時よりこの桜里浜の地の守護を担う忍の末裔。お前はその血を引いた正統後継者であり、この数十代の中でも類い稀なる才能を秘めている逸材だ」
「またその話しかぁ」
「何よりお前はその才に胡座をかくこと無く、幼少期より研鑽を積み重ねた。そんな立派な孫をを持ち儂は幸せ者だ」
どういう原理で体格まで大きく変わっているのかは謎だが、祖父なりに詩音を怖がらせないように配慮したのだと思う。確かにこの威圧感を受けると、猩々先生を前にしたときのように彼女はぷるぷる震え出すだろう。
最も雲雀の考えではいつもの癖で実力を隠そうとしただけだと思う。正体を隠したがるのが忍の性というものだ。
校長先生の長話よりつまらない祖父の話が続く中で飛鳥は愛用のクナイが欠けていないか、制服がどこか切れていないか確認しながら適当に聞き流す。
「雲雀が跡を継いでくれるのなら飛鳥家は安泰なのだがなぁ」
「それは嫌」
「何故だ!何故なのだ雲雀ぃ!」
正座をしていたはずなのに一瞬で縋り付く祖父の袖と胸元を掴み、華麗な一本背負いを決めて制服を整える飛鳥。加減はしていないがこれで静かになる相手ではないので気にしない。
別に自分の家系が嫌いな訳では無い。愛情を惜しまず注いで育ててくれた両親や祖父、分家の仲間達のことは好きだし大切に思っている。
一般家庭とは違う特異な事情を抱えた家庭ではあるが、修行をすること自体は結構好きだ。できなかったことができるようになるのは楽しかったし、積極的に取り組んでいた自覚もある。
口では否定しているが、跡継ぎの件も悪くはないと思っているのも事実だ。ただ、古くから伝わるしきたりに何も考えずに従うのも違うと考えているため、見聞を広めるという意味でもいわゆる普通の暮らしを今は楽しむことにしている。
勿論このことは両親に話しているし理解も得ている。頭が固い祖父だけがこうして発作を起こすだけだ。
「例の件は快く引き受けてくれたというのに」
「あれはまぁ、相手が相手だからね」
「仕方ない。この話しはまた今度にするとして」
「まだ続けるつもりなのかい」
「明日我家に招待すると言っていた言ノ葉詩音の件ついてだ」
以前より世間を騒がせていた言ノ葉詩音という人物。ある日突然性別変わり、ヒトならざる姿となり顕現したその者が自分達が秘密裏に平穏を守り続けたこの地にいるとなれば調べない訳にはいかない。というのが黒鵐の考えである。
調査は勿論。今後も継続して情報を得るには親しく話せる間柄になることが最善である。優れた諜報能力を持ち、かつ同級生として接近できる者。その人選に白羽の矢が立ったのが飛鳥雲雀なのだ。
「では雲雀よ。言ノ葉詩音とは一体どういう人物なのか。これまで調査をした内容を改めて教えてくれ」
「素直で優しくてもふもふで可愛い。非の打ち所がない良い子だよ」
「そんな純真無垢な高校生がいるか!産まれたての赤ん坊ではあるまいし」
「本当だもん!耳がピコピコ動いていたり、尻尾をパタパタ振っているところとか控えめに言って至高だもん。女子に耐性がなくて近付くだけで顔を赤くしたり、逆に男子に対してノーガードなところとか凄く萌えるんだから!」
「ば、馬鹿な。昨今どんな人物であろうと腹に一物あるこの世の中に一切の穢れが無い魂の持ち主がいるとは」
俄には信じ難い話だが他ならぬ雲雀が言うのだから間違いない。平和のためだからと悪人の暗殺を生業としていた先祖を持つ自分達とは対極の存在である。
まるで神や仏に愛されて生まれた愛子だ。
「しかしそのような空想の事象が真に起きるとは」
「それ忍者の私達が言っちゃう?」
「他に分かったことはないか?言ノ葉詩音の人格や性格は?危険な思想の持ち主ではなかったか?」
「女子力の高さが尋常じゃないよ。頬擦りしたくなるくらいお肌は綺麗だし、髪のキューティクルも人間のレベルを超えているよ」
一応は任務ということで探りは入れていたのだが、分かったことと言えば女の子より女の子らしいただの良い子であることだけ。
元より町に害を成す存在か否かを確かめるという限りなく可能性が薄い可能性の芽を摘み取るための調査だから、その確証を得られたぶんには何も問題はない。
町を危険に晒す心配がないのならば言ノ葉詩音はここ桜里浜の歴とした住人である。
飛鳥家の役目は桜里浜の地とそこに暮らす人々の平穏を守ること。その守護は当然詩音にも適用される。
しかし彼女は普通のヒトとは異なる点が多い。今後多くの悪意が迫り詩音の平穏を脅かすことだろう。
「雲雀、情報収集及び護衛の任務。これからも引き続き頼むぞ」
「任せてお爺ちゃん」
「飛鳥家次期当主としてもな」
「それは嫌」
「ぬおぁー!」
鳥「ところでお爺ちゃん。さっきまで誰かお客さん来てた?」
鳥爺「ほぅ、分かるか」
鳥「庭にそれらしい痕跡があったから。丁寧に消されていたから危うく見逃すところだったけど」
鳥爺「私の古い知人の息子だよ。言ノ葉詩音の調査を我々に依頼した本人でもある」
鳥「ふーん」
鳥爺「案ずるな。立場は違えど私達と同じこの地の平穏を望む一派の者。我々とは協力関係にあり、互いに助け合う同士だ」
鳥「もしかして私が詩音ちゃんと同じクラスになったのは」
鳥爺「うむ、あやつらが介入したのだろう。言ノ葉詩音の件では特に信頼できる奴だぞ」
鳥「はぁー、世間は広いなぁ」




