EP-73 飛鳥一家
「初めまして。雲雀の母の秧鶏と言います。どうぞよろしゅう」
「言ノ葉詩音です。よろしくお願いします」
お淑やかに一礼する飛鳥さんの母、秧鶏さんに釣られて頭を下げる。本当は私から言わないといけなかったのに。礼儀がなっていないと怒られても何も言い返せない。
「あらぁ、本当にお耳が生えているのね。少し触らさせて貰ってもよろしいかしら」
「えっ?わわっ」
言うが早いか。着物の袖を押さえて手を伸ばした秧鶏さんは私の耳に触れる。優しく丁寧な触り方だけど背中がぞわぞわする。付け根の辺りは敏感なんだよぅ。
「ミャー」
「あら、どうしたの」
そろそろ足の力が抜けそうというところで肩に乗っていた黒猫がその存在を主張をする。頭を下げたままだからよく分からないけど、どうやら秧鶏さんの行動を止めさせたらしい。
ようやく解放されて起きたとき、黒猫は私の胸に飛びついて来た。そのまま体をよじ登り、頭の上まで来たところで耳の間に四肢を投げ出して脱力する。行動は謎だけどリラックスしているのならなによりだ。
「残念。取られてしまったわ」
「もー、お母さんったらいきなり詩音ちゃんをもふもふしないでよ」
「ふふっ、堪忍ね」
「あとこれ。詩音ちゃんからプリン貰ったから冷蔵庫に入れておいて」
「これはおおきに。どうぞゆっくりして行ってね。後でお茶菓子持っていくから」
「はい。また後で」
無事に仔猫を回収したところで私は飛鳥さんに手を引かれて秧鶏さんと別れた。触られたときはびっくりしたけど大らかで優しそうなヒトだったな。
「ごめんね詩音ちゃん。私のお母さんってちょっと自由人なところがあってさ」
「ううん。凄く良いヒトだよ。それより飛鳥さんのお母さんって関西出身なの?」
「そうだよ。元々は京都のヒトで引っ越したときに頑張って直したって言い張っているけれど、まだまだ訛っているよね」
「うん。でも私は良いと思うよ」
イントネーションは独特だけど話す言葉の意味は大体分かる。会話をするには問題ないと思う。
それより当初の目的であった子猫探しが意外にも簡単に見つかってしまった。早速戯れたいところだけどここは先に挨拶を済ませておくべきだよね。
「飛鳥さんのお父さんはどこかなー」
「ミー」
「ところで詩音ちゃん。実はその猫ちゃん、まだ名前がないんだよ」
「えっ、どうして?」
「そりゃあ詩音ちゃんが出会った猫だもん。詩音ちゃんが名前を付けてあげないと」
まさかそんな大役を任されることになるとは思わなかった。猫の名前か。どんなものが良いのだろう。
今もなお私の頭でくつろぐ猫を手に取り胸に抱く。前に狐鳴さんがボンベイという猫の品種であると言っていた。調べたところ全身が真っ黒で光沢のある毛並みが特徴だとか。折角ならその特徴をイメージできる名前が良いよね。
頭の撫でてやると気を許してくれているのか、寝返りを打つようにして首元やお腹を晒してきた。ヒトなら弱点丸出しの体勢だけどそれを見せてくれるということは信頼してくれている証なのかな。
「あっという間に猫を骨抜きにするなんて恐るべき撫でテクニックの持ち主だね。さすが詩音ちゃん」
「いや、特に気にしたことないけど」
「無意識でできてしまうなんて!とんだ猫誑しだよ」
「わんわん!」
飛鳥さんに言われたせいで心無しか子猫が恍惚とした表情をしているように見えたところで、再びきなこ君が現れた。どうやらその健脚により追いかける庭師から逃げ切ったらしい。
きなこは縁側の上に上がると足の汚れを気にした様子もなく私の側によって来た。前脚で何度も跳んで後脚の2つで立とうとしているのが可愛い。
「わんわん!」
不意にバランスを崩して私に向かって倒れるきなこ。あわや私の服に土の肉球スタンプが押されるかというとき、その身体が宙に浮かんだ。
「ほーらきなこ。お客さんにまで悪戯をするのは無しだぞー」
「くぅーん」
きなこを後ろから抱えて持ち上げたのは着物に羽織をした男性だった。見た限りおそらくパパと同じくらい背が高いヒトである。
この姿になってから耳の良さには自信があったけど、こんなに近くで声を聞くまで気が付かなかったよ。きなこが捕まったのも多分そのせいだと思う。
「お父さん良いところに。詩音ちゃん、このヒトが私のお父さんだよ」
「飛鳥夜鷹です。よろしくね」
「よろしくお願いします」
「お父さん。この子が前に話した言ノ葉詩音ちゃん。趣味は尻尾のお手入れだよ」
「なぜそれを」
「普段の姿を見ていれば分かる」
「ほー、本当に尻尾があるんだね」
「女の子のお尻を見るなんてお父さん最低!」
「えっ、あっ、申し訳ない!」
「大丈夫です。そういうのないですから」
お父さんが線引きを知らないことを良いことに誇張する飛鳥さん。尻尾を見られたくらいでセクハラとか言わないよ。
「この子を預かってくれてありがとうございます」
「気にしなくて良いよ。妻も私も、仲間達も動物は好きだからね。それと雲雀のことだけど、母親に似て自由なところがあるけどこれからも仲良くしてやってね」
「こちらこそです」
「ミィー」
飛鳥さんのお父さんに挨拶をしていると子猫がもっと構ってと言わんばかりに脚を動かす。なんだこの可愛い生き物は。
2人が言うには普段は離れ屋を拠点に敷地内の至るところに出没するのだとか。出現率が一番高いのはたまにおやつが貰えるキッチンらしいけど。
ここまで甘えたがる様子を見せるのは珍しいらしい。私にだけ甘えん坊か。ちょっと嬉しいかもしれない。そんなことを考えているとふとこの子の名前を思いついた。
「この子の名前は『あんこ』。あんこにしようと思います」
「ミャー」
「あんこか。うん、良いんじゃないかな」
「稲穂のきなこに次いで詩音ちゃんのあんこ。お団子食べたくなってきた」
「あら雲雀。今日のおやつが団子ってよう分かったね」
「たまたまだよ。お母さん」
唐突に背後に立っていたのは先程別れたばかりの飛鳥さんのお母さん。その手にあるお盆の上にはお皿にのったお団子とお茶が入った急須、湯呑が揃っている。
お父さんのときと同様に全く気付かなかった私。対して飛鳥家の家族は何事もなかったかのように話しを進めている。私にとっては驚くことでもその家庭では当たり前というものはやっぱりあるんだね。
「さっきお義父さんが土間の囲炉裏に火ぃ入れとったで。折角やさかい、軽く焼き目付けてから食べてみてな」
「ありがとうございます」
飛鳥さんのご両親と別れて囲炉裏がある土間に案内してもらう。風情のある木目の戸を開けると畳張りの部屋の中心に噂の囲炉裏が鎮座していた。
中には既に火が入れられていて、天井の火棚から伸びる鉤の先には鉄瓶が吊るされている。周りには座布団が敷かれていて、その一つに白髪を蓄えたお爺さんが座っていた。
「君が詩音さんかな」
「あっ、はい。言ノ葉詩音と言います」
「よく来たね。私は飛鳥組の前社長であり、そこにいる雲雀の祖父。飛鳥黒鵐です」
そう言うと飛鳥さんのお爺さんは私達に座るように促し、持って来た急須にお湯を入れた。お湯が入っている鉄瓶の口からは湯気が出ているけど熱くないのかな。
適当な場所に座ろうとしている間に、飛鳥さんがお団子の串を灰に刺して火に当てる。ふとあんこが灰に触ろうと前脚を伸ばす。落ちて白猫にならないように膝の上に置いてやる。
「懐かれているね。これは自論だが、動物に愛される者に悪いヒトはいない。これからも雲雀と仲良くしてくれ」
「こちらこそです」
「詩音ちゃん、お団子焼けたよ。味は何にする?」
「みたらし」
「そこはあんこでしょ!」
「はっはっはっ」
程良い焼き目が付いたお団子を火の匂いと共に口に含み、熱いお茶を一服頂く。素朴な贅沢の味わいに思わず感嘆の声が漏れた。
あんこ「ムーィ」
詩「あんこがお団子を咥えているよ」
鳥「はむはむしていて可愛いね」
あんこ「ミャー」
詩「あんこがお団子を転がして遊んでいるよ」
鳥「ころころさせて可愛いね」
あんこ「ミィッ」
詩「くれるの?ありがとう」
鳥「あんこ作、埃まみれの灰まみれ団子」
詩「口に入れたのが転がす前で良かったよ」




