EP-71 夏仕様
「わふぅーん」
机に広げたノートに手にしていたシャープペンを置き、椅子の背もたれに寄りかかり凝り固まった体をほぐす。夏休みが始まる前から部屋に篭り黙々と宿題をした甲斐もあり、夏休み3日目にして全てを終わらせるに至った。
『さすが詩音だね。よく頑張りました』
「それほどでもあるかな。ふふん」
机の端に置いてある私に似たぬいぐるみを手に取り、声色を変えて話しをさせて遊ぶ。暇なときにたまにやると結構楽しいのだ。
このぬいぐるみは以前に手芸部から貰ったもので、「ふぇんりるちゃん」という名前を付けている。ママにこの名前で呼ばれたときに実はちょっと気に入って、そのまま採用したとかそういう事はない。ないと言ったらないのだ。
『それじゃあコーヒーでも飲みに行こう。頑張ったからお砂糖を2杯入れて良いよ』
「ありがとー」
都合の良い言葉を話させて満足したところで部屋を後にしてキッチンへ降りる。生憎と今の私の舌は未だにあの苦味を受け付けてくれないので、いつもミルクと砂糖を入れて好みの味に調整したオリジナルブレンドにしているのだ。
お湯を沸かしながらマグカップを手に取り、インスタントコーヒーを入れる。
「あら詩音。カフェオレ飲んでいるの?」
「カフェオレじゃないし。コーヒーだし」
「はいはい」
口元を手で隠してくすりと笑う琴姉ぇを睨みつけながらも少量のお湯を入れてインスタントコーヒーを溶かす。ここに氷を加えて冷やした後に砂糖とミルクを合わせるのだ。
「すっかり甘党になったわね」
「うるさいな」
「そんな調子だとすぐに丸くなるわよー」
「がるるー」
軽口を叩きながら頭を撫でてくる琴姉ぇに振り向き威嚇をすると「怖い怖い」と言って逃げて行った。あれは全く怖がっていないな。私はどうも威嚇というものが上手くできないみたい。
「あら詩音。宿題は無事に終わったみたいね。お疲れ様」
部屋に戻る前に味見をして至福の余韻に浸っていると今度はママが降りて来た。何故宿題が終わったことをママは知っているのだろうか。
マグカップを手にしたまま小首を傾げていると、先程の琴姉ぇと同じように笑うママ。何も言わないまま自分のお尻を軽く叩く。
それを見てふと後ろを見ると、私の尻尾がさぞ嬉しそうに揺れているではないか。誰が見ても機嫌が良いことが伝わる感情の表現方法である。
尻尾は私に見られた途端、悪戯が見つかり反省する子どものように大人しくなる。自分の身体だけど見ていてちょっと面白い。
「実はそんな頑張った詩音にプレゼントを用意したのよ」
「本当!?」
「ええ。詩音が大好きなやつよ。きっと喜ぶと思うわ」
「わぁ、何だろう」
ママがサプライズで渡してきたのは両手で持たないといけないほどの大きな箱だった。包装紙に包まれているが、触った感触からして多分紙製の箱だ。厚みはあまりない代わりにかなり大きい。
「何かな何かな」
箱を受け取り丁寧に包装紙を剥がして、期待に胸を膨らませる。しかし中に入っていたものを見た私は一瞬の硬直の後、その笑顔を引き攣らせることになる。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「丁度良い大きさなのがまた腹が立つな」
ママの部屋にある姿見を覗きながら自分の姿を俯瞰してみる。今更ながらこの格好を見て私の中身が男であると信じてくれるヒトはいないだろうなぁ。
それは二部式の和服のような作りでありながら全く趣向の異なるデザインをしていた。夏の青空を彷彿とさせる空色を背景に桜色の花が描かれた生地。入道雲をイメージしているのか、上から下にかけて空色が徐々に薄くなっているのも手が込んでいる。
衿や袖口にはフリルがあしらわれていて、そこから覗く半衿には夏の豊かな新緑を連想させる若草の絵柄がデザインされている。
袖は少し短めで手首が見えるくらい。それに従い袂も小さく、和服を着慣れない私でも動きやすくて邪魔に感じない。
ここまでは良い。正直言いたいことは散見するのだけれどまだ許容範囲だ。問題はここからである。
この和服は衿下の部分が上と分かれた二部式の和服である。しかしこの衿下がフリルをふんだんにあしらったスカートのようになっているのだ。加えて丈が短い。膝上何センチなんだこれ。
膝上まであるニーソックスで素足は隠せるものの、このデザインは私に恨みでもあるとしか思えない。
そして帯だけど、何故か私の背後で蝶結びにされてリボンの花を咲かせている。帯締めは私のへその上でこれまた蝶結びにされている。
こうした斬新の度が過ぎるデザインにより、和服というより和服を元にして作ったコスプレ衣装という仕上がりになっている。挙句女性であることを強調した格好。控えめに言って最悪である。
「はーい詩音、体はこっちに向けてー。目線は遠くを見る感じ。手は片方を胸の辺りで軽く握って。はい可愛い!」
初めて制服を着た日を思い出すママのカメラ捌き。指示なんて全く聞かずに冷たい眼差しをしただけなのに撮影を続けるママ。もう何でも良いんじゃないか。
カメラを下ろして撮った写真を確認したタイミングで気まぐれに言われたポーズをとってみる。するとママはどこからともなく2台目のカメラを取り出して即座に構えて写真を撮った。なんて用意周到なんだ。
「詩音の夏制服。やっぱり和の要素を取り入れて正解だったわね。腰エプロンを装備すれば甘味処の看板娘って感じ。髪のまとめ方も後で教えないとね」
「うへぇ、面倒だな」
思わず溜息を漏らすとついでにお腹の虫が鳴き声をあげた。
ふと部屋の外をみると日が長い夏だというのにだいぶ暗くなっている。時間を確認してもいつもなら夕食を済ませている時間だ。どおりでお腹が空くはずである。
「ママ、もうご飯の準備しようよ」
「大丈夫。この写真だけで私はお腹いっぱいだから」
そう言うとママは悪びれる様子もなく横になり見上げるような姿勢でカメラを構える。そのレンズは一切ブレることなく私のスカートの中を覗こうとしていた。
私は無言のまま押入れから出した枕を投げつけて部屋を出る。今からご飯を炊くのは時間がかかる。今夜は適当に蕎麦でも茹でよう。揚げ物は大変だからナシ。異議は認めない。
本当は着替えたいけれどその時間も惜しい。宿題をやり遂げたのに着せ替え人形にされて疲れた私は一刻も早くご飯を食べたいのだ。
むしろこんな服は蕎麦つゆでも付いて汚れてしまえば良い。そう開き直り私はキッチンの棚から蕎麦を一袋取り出すのだった。
愛「大変だよ琴姉ぇ。キッチンに未確認生物がいるよ。あんなに可愛い生き物を私は知らない」
琴「そうね。よく似合っているわよ詩音」
詩「そりゃどうも」
愛「連日の宿題地獄による疲れが嘘のように消えてなくなったよ。ありがたやありがたや」
詩「拝むんじゃない。ほらほらさっさと食べる」
琴「でもこれ制服なのよね。通常版といい私達には可愛い過ぎるわ」
愛「うん。生粋の女子よりしー姉ぇの方が着こなしているよね」
詩「嬉しくない。それ全然嬉しくない」




