EP-7 小さな友達
いよいよ退院する当日となったこの日。俺はこれまでに無いほど体調が悪かった。
先程からベッドから起き上がることができない。お腹も痛い。これは後1日入院する必要があるに違いない。
「病院で仮病を使うなんて良い度胸してるじゃない」
「うぅ」
母さんに全てを見透かされた俺は居た堪れなくなり頭から布団をかぶる。
だって考えてもみてよ。現代日本で動物の耳と尻尾を生やした人が町を歩く様子を。絶対に奇怪な目で見られるに決まっている。
加えて日本人ではまずあり得ない髪の色。染めたと言うにも無理がある。
何より人間という集団は少数派を排除することで自分が優位であろうとする生き物だ。人間ですら無くなった俺なんて絶対にいじめられる。
「否定したいけど否定し難い人間の心理を突かないでよ。誰だって万人に好かれる訳では無いし、名前も顔も知らない他人の意見まで聞き入れることはないわ。政治家じゃ無いんだから。気に病むだけ無駄無駄」
「すごく達観してる」
きっと俺が倒れている間に俺よりも大きな悩みを抱えて苦しんだのだろう。それに折り合いをつけて先に進む覚悟を決めた人に言われたらこれ以上何も言えない。
このままでいる訳にもいかないことも分かっている。観念して布団を剥ぎ取られてベッドから出る。
しかしここで別の問題が浮上した。
「母さん。着替えとか持ってる?」
今の俺は病衣にスリッパというスタイルで外出できるような格好では無い。事故のとき着ていた服はもうボロボロだろう。
いや、それ以前に着替えを持って来てもらったところでそれは男のときの服だ。この身体には合わない。
「愛音が小学4年生の頃に気に入ってた服があったの。元は琴音のお古だからデザインは古いけど、作りがしっかりしていたから今も着れるわよ」
あと1ヶ月で高校生になる男が小学4年生の女児の服を着るのか。何だその罰ゲームは。
しかし悲しいかな。体に当ててみると丁度良いサイズなのが分かる。それに4年生とはいえ琴姉ぇも愛音も背が高かったから同年代の平均より大きいサイズだったはず。
決して今の俺が小さい訳では無い。無いと言ったら無いのだ。
そしてもう一つ気になるのが、用意された服がワンピースであること。ズボンしか履かない男にとってそれは未知との遭遇である。
全身全霊で拒否したいのは山々だが、ではその毛先が頭まで届くもふもふ尻尾をどう隠すのかという話になる。ズボンではどう足掻いても隠せないのなら他に選択肢は無い。
スカートの丈が長いのがせめてもの救いだ。
「早くしなさい。あまり遅いと病院の人に迷惑よ」
「えっ、でも」
他に選択肢が無いのは分かっている。しかし手にしているものは紛れもないスカート。女性ものの服だ。
対する俺は見た目こそ変わり果てたが中身はれっきとした男。抵抗が無い訳がない。
母さんの同情半分、呆れ半分の生温い視線に刺されて遅々と着替えを始める。それを見て視線を外してくれたのが唯一の救いかも知れない。
そう思った矢先、ふわふわな獣耳が物音を捉えた。
「しー姉ぇまだー?」
「わふっ」
勢い良く扉を開け放ち現れたのは妹の愛音。ばっちりと視線が合い、今の俺の状況を大体察する。
「もー、まだ着替えてすら無いなんて信じられない!なに油売ってるのさ!」
「だから今やっているだろ」
「駄目、遅い。この後も予定が詰まってるんだから」
言うが早いか。縮地でもしているのかという速さで愛音に距離を詰められると、瞬きを終えたときには身包みを剥がされていた。
「ぴゃ!」
「下着は男物のままか。まぁ、今は仕方ないか」
反射的に逃げようとしたけどあっさり捕まった。手首を掴まれただけでその場から全く動けなくなる。
小さくなったとは言え相手も女子なのに。いくらなんでも非力過ぎないか!?
そのままあれよあれよ着替えさせられること僅か数十秒。俺は一先ず外出できるだけの準備を整えられた。
「はい終わり。私のお古だけど悪くないね」
「似合っているわよ。それと紫音」
全く嬉しくない褒め言葉をかける母さんがくれたのは新雪のように白い帽子だった。
詳しい種類は分からないけど、帽子と頭の間にある程度空間が空いている。かぶってみると獣耳は窮屈にならず。多少動かしても周りには気付かれないだろう。
とは言え銀から瑠璃色のグラデーションをしたあり得ないほど目立つ髪は隠しようがないけど。丸刈は流石に嫌だし。
愛音の服の袖を掴み、身を隠すように外に出る。それでも当然隠し切れる訳も無く、すれ違う人達と視線が交わる。
「あっ、しおんねーねだ!」
「ノアちゃん、こんにちは」
しかしその視線は奇怪なものを見たときのような嫌な感じはしない。俺を見つけるや否や駆け寄って来た女の子の頭を撫でる。
俺だってこの1週間、部屋に篭りきりでは無い。お手洗いに行くときや気分転換に院内を歩いていた。健康診断のときだってすれ違う人に挨拶されたし。
んで、その1人がこのノアちゃん。看病に来ていたご家族曰く、身体が弱くて風邪を拗らせて入院していたらしい。とは言え好奇心旺盛な子どもがベッドで大人しくするのは結構大変なようで、暇を持て余していたところに俺を見つけたのだそうだ。
不意打ちでいきなり尻尾を掴まれたときは心臓が止まるかと思ったよ。
「ねーね、なんかいつもとちがう」
「私、今日でお家に帰ることになったんだ」
「ほんとう!?ノアも、ノアもきょうお家にかえるんだよ」
「そうなんだ。良かったね」
目線を合わせて話すとノアちゃんはたくさん話をしてくれる。俺らの頭上ではお互いの親が挨拶を済ませていた。
抱きついてくるノアちゃんをなすがままに受け止めて頭を撫でてあげる。こういうのは柄では無いのだけど、子ども相手では無碍な態度をとることもできない。
「ふーん、紫音ねーねかぁ。一人称も変わってるし、口調も丁寧だし。ちゃんと女の子できるじゃん」
「子どもに変なことを吹き込みたくないでしょ」
愛音が話しかけたところでノアちゃんの動きが止まる。彼女にじっと見られていたことに気付いたらしい。
「初めましてノアちゃん。私は愛音。シオンねーねの妹だよ。よろしくね」
俺と同じようにしゃがんだ愛音は向日葵が咲いたような笑顔をみせる。さすがスクールカースト最上位。人当たりの良さは抜群だな。
何かと騒がしい愛音だけど、こう見えて通っている中学校では学年1位の人気者なのだ。誰に対しても分け隔てなく接するその性格は生徒のみならず先生方からの信頼もある。
勉強もできるが特にスポーツ方面に明るくて、所属する部活では大会に出場する度に記録を塗り替えているのだとか。
顔立ちも大和撫子を絵に描いたような姉に似て良く整っていると思う。騒がしい以外はこれという欠点の無い愛音。これで俺と同じ血が流れているなんて信じられないよね。
「あぅ」
仲良しの証に握手をしようと手を差し出す愛音だが、ノアちゃんは俺の影に隠れるようにして逃げる。愛音は笑顔のまま表情を固めた。
愛音はもっと優しい口調で声をかけるが、ノアちゃんは俺の服に顔を埋めるようにして視線をあげない。
「わ、私そんな嫌われるようなことした?」
「そうは見えないけど」
「乃亜はとても人見知りな子なんです。初めて合う人とはお話もできないのよ」
笑顔のまま傷心する愛音をノアちゃんのお母さんがいつものことだからと励ましの言葉をかける。
それにしてもノアちゃんが人見知り?それもコミュ力お化けの愛音を上回るほどの。
俺なんて声すらかけてないのにノアちゃんの方から接触して来たよ。いきなり掴まれた尻尾を顔に埋めてもふもふを堪能されてさ。驚きすぎて俺はずっとその場から動けなかったんだよ。
「しー姉ぇ、いつの間にヒトを誑かす魔性の女になったの」
「誤解しか与えない言い方をしないで欲しいな」
「でも乃亜が見ず知らずの他人にここまで懐くことなんて一度も無かったから、紫音さんには人を惹きつける素晴らしい魅力があるんですよ」
「フェロモンみたいね」
「母さん!」
母と妹がこぞって兄をサキュバス扱いしてくる。俺が何をしたというんだ。
また会いたいと上目遣いでお願いするノアちゃん。当然断ることなんてできるはずもなく、約束をした俺はまだ弄ろうとする2人を押して先へ進む。さっきと立場が逆じゃないか。
「お世話になりました」
「はい。言ノ葉さんお大事に」
退院の手続きは済ませていたのか。簡単に受付を通り過ぎて病院の駐車場へ向かう。
自動ドアですれ違った人の奇怪なものを見る視線に胸を痛めつつも整然と並ぶ車に隠れて移動する。そこには車に背を預けて俺達の到着を待つ琴姉ぇがいた。
「もう遅い!なにを油売っているのよ」
「聞いてよ琴姉ぇ。しー姉ぇが小ちゃい子にモテモテだったの」
「それは男子?それとも女子?」
「恥ずかしがり屋な女の子」
「なら良いわ」
一体何の確認だ。そして何をもって良しとしたんだ。
阿吽の呼吸をみせる姉妹は放置して後部座席に乗り込む。それを見るや否や両側から挟むようにして乗り込む2人。
なんで助手席が空いてるのに全員後ろに座るんだよぉ。
乃亜「んーふーふー」
乃亜母「どうしたの?」
乃亜「しおんねーねのマネ。しおんねーねのうたはね、とってもきれいなんだよ」
乃亜母「へぇ、そうなんだ」
乃亜「テレビにでてるひとよりずっときれいだったんだよ。るーるーらー」
乃亜母「乃亜の夢は歌手だもんね。今度会えたら教えてもらおうか」
乃亜「うん!」




