EP-68 お迎え
生徒会や部活など、放課後も学校に残る用事のない私は何事もなければそのまま家に真っ直ぐ帰る。その後はお店を手伝うときもあれば、学校で課された宿題やちょっとした私用をする。これが私の普段の時間の使い方だ。
しかし今日はそれらとは別のある用事を事前に言い渡されていた。学校に居残り宿題をやりつつ時間を調整して、頃合いを見てその場所へ向かう。
「確かこの辺りに、あった」
古い記憶を頼りに進み着いたのは保育園。動物のイラストが描かれた柵の奥には砂場や遊具がある広場があり、大きな時計を備えた建物が建っている。
最後に見たのは10年以上も前だというのに何一つ変わっていない保育園の様相。夕焼けに染まる更にが懐かしさをより一層引立てる。
どうしてこの場所に来たのか。それは病院で知り合い、今はお店の常連客となった海月乃亜ちゃんのお迎えに来たからだ。
保育園のお迎えは乃亜ちゃんのお母さんがいつもしているのだが、今日になって仕事の都合で時間が間に合わないとママに電話があったらしい。相談を持ちかけられたママは私に連絡。特に予定もなかったので了承したという訳だ。
「お邪魔します」
誰もいないと分かりつつ断りを入れて門を開ける。何も悪いことはしていないのに背徳感を感じるのは何故だろうか。
心拍が高まるのを感じつつ建物の扉を開ける。その中は子供たちの元気な声で満ち溢れていた。
「りこせんせー、さようなら」
「はーいまた明日」
「かすみ先生ばいばーい」
「お世話になりました」
「いえいえ」
園児達と保育士、迎えに来た保護者の声があちこちで聞こえる。自由に動き回る園児に反して大人は皆んなとても忙しそうだ。
急ぎ足で我が子を連れて帰る親に押されて玄関の片隅に寄る私。とりあえず帽子を外したけれど、ここから一体どうすれば良いのだろうか。
見える範囲で乃亜ちゃんを探すものの姿は見えず。やっぱり保育士の先生に声をかけないと駄目か。でも忙しそうにしているな。もう少し落ち着くまでここで待っていよう。
嘘ですごめんなさい。本当は知らないヒトに声をかけるのが怖いだけです。ただでさえ慌しい中、それを邪魔する覚悟は私にはありません。
「おねえさんだーれ?」
気配を消して佇んでいたものの、あっさり園児の1人に見つかった。純真無垢な表情で見上げている。小さい子は可愛いね。
「こんにちは。私の名前は」
「わんこ!」
「えっ?」
「おねえさんお耳が生えてる。しっぽもある。だからわんこ」
「わんこじゃないよ。私の名前は詩音って言うんだよ」
「わんこわんこわんこ!」
「わんこ」を連呼しながら走り去って行く少年。彼の手によりそのあだ名は瞬く間に保育園全体に伝播するだろう。何という情報伝達速度。インフルエンサーに勝るとも劣らないな。
「せんせー、わんわんがいるー」
「わんわん?ってあら」
「お、お邪魔します」
先生の1人が振り向いて私の存在に気付いた。無意識のうちに顔半分を隠していた帽子を下げて先生の元に近付く。
「えっと、私は言ノ葉という者で、決して怪しい者ではなくてですね。その、海月ノアちゃんのお迎えをお母さんから頼まれまして」
「あぁ、海月ちゃんの!お話しは伺っていますよ。海月ちゃーん!」
しどろもどろになりながら要件を説明すると、先生は事情を理解して乃亜ちゃんを探しに言った。話しの途中で去ったのに私が伝えたい事の全てを把握して即座に行動するとは。これが大人か。
園児達の遠慮の無い好奇心の視線が全身に突き刺さる。お迎えに来た保護者の方々が連れて帰るものの、去り際に好奇の眼差しを向けているのが分かる。
こういうの慣れたつもりだったけど、改めて実感させられると胸が苦しくなるなぁ。
「しおんねーね?」
居た堪れない気持ちになっていると乃亜ちゃんの快活な声が耳を揺らす。声が聞こえた方向を見ると角から乃亜ちゃんが顔を覗かせていた。
「しおんねーねだ!」
手加減無しに抱きつきてくる乃亜ちゃんを受け止める。弾き飛ばされそうな衝撃をどうにか受け止めて擦り寄る彼女の頭を撫でる。
「ノアちゃんのお母さんにお迎えを頼まれたんだ」
「そうなんだ。ノアうれしい!」
「やっぱりあなたが詩音さんでしたか。大好きなお姉さんがいるって海月ちゃんよくお話ししてくれるんですよ。優しくて綺麗で何でもできる自慢のお姉さんだって」
乃亜ちゃん、私が知らないところで事実を誇張して話しを広めていたという事実。何だその私とは似ても似つかない完璧超人は。
「あっ、えっとその。し、失礼します」
「はい。また是非いらして下さいね」
乃亜ちゃんの手を取り急ぎ足で保育園を後にする。丁寧に接してくれたのに自分から逃げるなんて情けない。
もしも次に機会があればもう少し頑張ってみようかな。
「ねーね」
私を見上げる乃亜ちゃんの頭に麦わら帽子を被せる。園児の頭にはまだ大きくて耳を出す穴まで空いているそれは彼女からするとあまり帽子の意味を為していない。
それでも喜んでくれたのか、乃亜ちゃんは今一度しっかり帽子を被り直すとくるくると回り始める。喜びをダンスで表現しているようだ。
「またいっしょに帰ろうね」
「そうだね」
後ろの影を伸ばす茜色の空の下で私達は家路に着くのであった。
詩「見てノアちゃん。公園にシーソーがあるよ。一緒に遊ぼう」
乃亜「んー」
詩「あんまり興味ないかな。それなら滑り台で遊ぼう」
乃亜「ん、だいじょうぶ」
詩「そうなの?あっ、ブランコを押してあげようか」
乃亜「ノアはいいや」
詩「うーん。それならノアちゃんは何をやりたい?」
乃亜「ねーねの尻尾に触りたい!」
詩「えっ、そんなことで良いの?はいどうぞ」
乃亜「やったぁ!」




