EP-66 暑天の出会い
思わず目を細めてしまう夏の日差しを射す太陽を恨めしく見上げる。ママに渡されたツバが大きな麦わら帽子を被る。日焼け対策だと鬼気迫る剣幕で持たされたもので邪魔でしかないと思っていたが、その考えは浅はかだったみたい。
耳を出せるように穴が開けられた私専用の帽子を被る。それだけでも感じる暑さはだいぶ和らいだ。
日傘も持たされたけれど、これは一先ず鞄の中に仕舞っておこう。
『しおんだー』
『おはよー』
「おはよう」
できるだけ日陰の下を意識して歩いていると雀が飛んで来た。挨拶を返すと帽子の上に留まり落ち着いてしまった。
彼らと仲良くなったのは小次郎ちゃん迷子事件のときからだけど、あのとき私は狼の姿だった。今は全く異なるヒトの姿なのにどうして分かったのかな。名前だって名乗っていないのに知られているし。
動物ネットワーク。予想以上にこの地域の情報を網羅しているな。
それはそれとして頭の上で休むのは構わないけれど、小さな嘴で耳を悪戯に突っつくのはやめて欲しい。それ地味にくすぐったいんだよ。
「あっ、言ノ葉さんの。おはよう」
「おはようございます」
『ご飯!』
「君もおはよう」
偶然すれ違った散歩中のヒトと連れ歩く犬に声をかけられる。正直相手の名前は分からないけれど、こうしてたまに会うから二言三言の言葉を交わすくらいにはなった。
『ご飯ご飯!』
「私はご飯じゃないよ」
「全くこの子ときたら。いつも散歩終わりにご飯をあげているからそのことを言っているのだと思います」
「なるほど」
『詩音、後で遊ぼうね!』
「うーん。今日は学校あるから難しいかな」
『それなら明日遊ぼう!』
「明日も学校あるんだよ」
『じゃあその次の日に』
「ほらもう行くよ」
『あー!しおんー!』
飼い主にリードを引かれて強制的に連れて行かれた犬。毎日を楽しく幸せそうに暮らしているみたいで何よりだね。
雀達と他愛の無い話をしながら登校する。雨の日は住処から出るのが億劫であると意気投合していると、曲がり角の先で聞き覚えのある足音がした。間違いない。これは良介だ。
そこでふと私の中にある悪戯心が湧き上がる。この角で隠れておいてあいつが通ったタイミングで驚かせてやるのだ。
「んー、んー?」
何も知らずに近付く足音に胸の内で笑いながら声を潜める。雀達も気を利かせて鳴くことも無くじっとしているが、どういう訳かしばらく待っても良介が現れない。
やがて足音も止み、蝉の声だけが辺りを支配する。足音が消えるなんてどういうことなのかな。恐る恐る顔を覗かせる。
そのとき、私の頬が大きな手の平によって挟まれた。
「むぎゅう」
「何やってんだおい」
挟まれたことで麦わら帽子がズレて雀が飛び立つ。咄嗟に良介の手首を掴むが全く離れない。それどころかそのまま手を動かすものだから強制的に変顔をさせられてしまう。
「やめてぇ」
「先に仕掛けておいて何を言っとるんだ」
「ごみぇんだよぅ」
謝罪を言葉を口にすると良介は意外とあっさり引いてくれた。痛くはないから何ともないが、多分頬は熟れた林檎のように赤くなっていると思う。
「友達をいきなり飛び出して驚かせるとか小学生か」
「どうして分かったの?」
「帽子の先と尻尾が見えていたぞ」
「えっ」
「なんならそこにあるカーブミラーでお前の行動は筒抜けだった」
「わふっ!?」
悪巧みの一部始終を見られていたと知り本当に顔が赤くなる。やっぱり悪いことはするものではないね。反省します。
何はともあれ良介と合流したのでいつものように一緒に登校する。以前は気にしたこともなかったが、この姿になったせいで歩幅が小さくなったため、普通に歩くと良介に離されてしまう。
だから定期的に駆け足で追いかけるのだけど、それに気付くと良介は足を止めて私を待ってくれる。その後は私の歩く速さに合わせてゆっくり歩いてくれる。
このやりとりをするときには特に会話はない。そんな彼のさり気ない優しさがちょっとだけ嬉しいんだ。
「おい聞いてるか?」
「あっ、ごめん。何の話しだっけ」
「おいおい頼むぜ」
怪訝な表情をする良介から視線を逸らしたとき、ふと私の耳に鳴き声が聞こえた。
これは猫の声だ。でも様子がおかしい。まるで先日に迷子になった猫を探したときにも発していた声。心細くて不安が滲んだ弱々しい鳴き声が聞こえるのだ。
「良介。こっちに行こう」
「いやそっち通学路じゃないだろ。近道って訳でもないし」
「いいから」
空いている手で麦わら帽子を押さえながら私は走る。鳴き声に誘われて着いたのは昔からここにある公園だった。
朝早いこの時間帯はまだ人気がない。物言わぬ遊具があるだけの静寂な空間に猫の声が響く。
ここで良介もようやく気付いて辺りを見渡す。しかし目に見えるところにそれらしいものはない。
私は耳を動かして鳴き声の出所を正確に捉える。いくつも植えられた樹木のうち、特に幹が太い1本の根元。そこには小さな段ボールが置かれていて、中には薄汚れたタオルが1枚と一匹の黒猫が入っていた。
「ミー」
前脚を段ボールにかけてつぶらな瞳で見上げる子猫。目が合ったときには私は自然と手を伸ばして子猫をだっこしていた。
「どこからどう見ても捨て猫だよなぁ。無責任な奴がいたもんだ」
しばらく鳴いていた子猫だけど、何度か背中を撫でていると私の手の中で眠ってしまった。単に鳴き疲れたのか、安心してくれたのかはわからないけれど、一先ず落ち着いたみたいだ。
「良介」
「皆まで言うな。気持ちは分かるが俺達ではどうにもできないよ」
良介が言うことは最もだ。可愛いから、可哀想だからという理由だけで飼えるほど動物は甘くない。その子の命を生涯かけて大切にするという覚悟が必要になる。
かつて捨て犬を拾ったときにも私はパパにそう諭された。一時の感情に任せて安易に飼うことを決めるのは何よりも拾った犬に失礼な行為だと。
結局あのときは知恵熱が出るかと思うくらい丸一日悩み、飼うことを諦める選択をした。その後、犬は私が悩んでいる間にパパが引取先を探してくれていて、そのヒトに預けたんだよね。
そして今、同じようにこの子の命を大切にできるかと自問すると、素直に頷けない自分がいる。子猫は助けたいと思う。でもその大きな責任を持つ覚悟があるかと言われると答えは否だ。少なくとも今は。
「自分で見つけて拾っておいてこう言うのも悪いけど、私はこの子をちゃんと飼う自信がないよ」
「それは仕方ないだろ。正直俺も厳しいな」
「それ以前に良介が住んでいるアパートはペット飼育禁止でしょ」
「あっ、確かに」
私達の悩みなど知らずに子猫はぐっすりと眠っている。可愛いやつめ。
拾ったにも関わらず自分達で飼うことが難しいのならやる事はただ一つ。代わりに家族になってくれる飼い主を探すしかない。
狼「そいつが何を言っているのか分からないのか?」
詩「うん。きっとまだ赤ちゃんなんだよ」
狼「俺も抱いてみて良いか?」
詩「勿論だよ」
子猫「ミャー!」
詩「たぶん嫌だって言ったと思う」
狼「うん。それは俺にも分かった」
詩「私でないとまだ怖いのかな」
狼「無条件で動物に好かれるとかどんだけ羨ましい体質だよ。動物好きにとっては垂涎ものの特殊能力だぞ」
詩「そんなこと言われても」




