EP-64 畏怖の対象
ひょんなことから医者でありながらペットの捜索を依頼された竜崎先生。一先ず近隣住民から聞き込みをするということで、昨日から今日に至るまで日が昇っている間はずっと外出している。
「先生、寝癖を直すの忘れていましたね」
「いつものことなんです」
「凄いヒトだからもう少し身嗜みに気を遣えばもっと人気者になりると思うのにな」
「やっぱり竜崎先生は今くらいで丁度良いです」
「あれ!?」
「これ以上ライバルが増えるのは困るんです!」
どうやら戌神さん曰く、竜崎先生は病院に訪れる飼い主達から結構人気があるらしい。ペットの診察と合わせて自分をアピールするヒトが跡を絶たないのだとか。
そんな心配をしている戌神さんだけど、多分竜崎先生はそのヒト達の気持ちには全く気付いていないと思う。そもそも戌神さん一途だし。
悶々とする戌神さんを宥めているとすっかり日が暮れて、気付けば私も狼の姿になっていた。
「小次郎ちゃん見つかりましたか?」
「残念だけどまだだよー。まぁ、猫は夜行性だし地域猫の縄張りはある程度確認できたから、現れやすそうなポイントはいくつか絞り込めた。ここからが本番さー」
そう言って竜崎先生が手にしたのはアザラシのぬいぐるみ。曰くこれは小次郎ちゃんのお気に入りで、寝るときはよく抱きついているらしい。なにそれ絶対に可愛いやつじゃん。
それは置いておいて、このぬいぐるみには小次郎ちゃんの匂いがしっかりついている。竜崎先生が調べた候補地を重点的にこの匂いを私が探して小次郎ちゃんを見つけるという作戦なのだ。
「でも小次郎ちゃんがいなくなったのは一昨日の朝。もう消えてしまったのでは?」
「確かに家からどこに行ったのかは分からない。でも小次郎ちゃんが今もどこかを彷徨っているのなら、その匂いを嗅げれば行動範囲を絞り込めると思う」
「あんまり自信無いです」
「それならそれでも良いのさ。君は普通の犬と違い夜目も効く。それだけでもありがたいし、あわよくば動物相手に聞き込み調査ができるんだろ?これだけで充分情報にはなるよー」
お腹を満たしたところでいよいよ小次郎ちゃんの捜索が始まる。それにしても夜の町か。普段と視点が違うことも合わさりまるで別世界に来たみたいだ。
完全に狼の姿になった賢狼モードなら確かに外出しても誰かと一緒なら散歩をしているようにしか見えない。欠点としては私の中に何とも言えない背徳感が渦巻いていることか。
誰にも分からないだろうけど、絶対に知り合いに会いたくない。
「先生、その手に持っている荷物は何ですか」
「散歩用のトイレグッズ」
「絶対にやらないですからね!」
「分かってる分かってる。カモフラージュだよ。それにトイレは家でするように躾けるものだから」
竜崎先生が言うには、猫は縄張りを持つ動物なのだそうだ。だから道端に猫がいた場合、その周辺はその猫の縄張りだから小次郎ちゃんがいる可能性は低いという。
猫を飼育している家庭や野良猫の目撃情報は竜崎先生が昼間の間にある程度調べている。それらを元に町中を歩きまわるが中々見つからない。やっぱりそんな簡単な話ではないようだ。
街灯や家の明かりがあるところから、薄暗い脇道まで隈なく調べる。暗い場所でもはっきり見える私の目だけど、小次郎ちゃんらしきキジ猫の姿はない。
周囲の匂いも嗅いでみるけどぬいぐるみと同じ匂いはない。近くの家の庭に生えている夏蜜柑の香りがするだけだ。
「すこし休むか。これだけの時間と距離をその姿で歩いたことはなかっただろ」
「私は大丈夫です。自分でも驚いているんですけど、思ったより疲れないんですよ」
「ほー、それは頼もしいね」
「でも泥道と尖った破片がある道は嫌です」
「そりゃあそうだな」
その後も捜索を続けていると曲がり角の先から現れた猫とばったり遭遇した。私も相手も目を見開いて驚いた。
猫は少し距離を取ったが逃げる訳でもなく様子を窺っている。もしやこれは動物相手の聞き込みのチャンスかも知れない。猫と話したことはないけれどやるだけやってみよう。
『こ、こんばんは』
『どうも』
猫さんは話しかけたら普通に返事をしてくれた。雰囲気は知らない場所で知らないヒトに道を訊ねているような感じ。対人スキルが底辺だった過去を持つ私にとってこの緊張感は結構ハードルが高い。
しかしここで頑張らないと小次郎ちゃんが見つからないかもしれない。今こそ勇気を出すんだ詩音!
『実は私、いまとある猫を探していまして』
『はぁ』
『名前は小次郎で、キジ猫で。あぅ、何て言えば伝わるかな』
ヒトなら兎も角、猫を相手に名前や種類を説明しても伝わらない。現に目の前の猫さんは意味が分からないといった様子だ。
どうしようか悩んでいると後ろから一枚の写真が差し出された。竜崎先生が私に代わり膝を付いて小次郎ちゃんの写真を猫に差し出したのだ。
『これがその猫なの?』
『はい』
『うーん、見覚えないなぁ。力にならなくてごめんね』
『いいえ、ありがとうございます』
見ず知らずの私に丁寧に答えてくれた猫さん。普通に話しやすい良い猫さんで良かった。
私が首を振ると竜崎先生も成果を察して写真を仕舞う。
「協力してくれてありがとなー、ぶち丸」
「ぶち丸?」
「こいつの名前だよ。元野良猫だったんだが最近拾われたんだ。ちゃんと首輪付けないと駄目だろー」
「もしかして先生は病院で診た動物全員の顔と名前が分かるんですか?」
「まあねー。そのくらい当然だよー」
さも当たり前のように語る竜崎先生。私はヒトの名前を覚えるのは苦手だから羨ましい。
驚かさないようにゆっくり手を伸ばしぶち丸を撫でようとする先生。ぶち丸は警戒しつつも徐々に近付く。
もう少しで触れるという瞬間、突然ぶち丸は後ろに飛び退いて距離を取った。ヒトなら家一軒飛び越えたくらいの身体能力である。猫って凄いな。
ぶち丸は先程の様子とは打って変わり、頭を下げて背中を丸めて耳を後ろに倒している。牙を見せて鳴く姿から分かる。これは威嚇のポーズ。ぶち丸は竜崎先生に対して思いっきり敵意を剥き出しにしているのだ。
「なんかめっちゃ嫌われているんだけど」
「薬の臭いが嫌なのかも」
「そんなにする?シャワーは浴びたし着替えもしたんだが」
病院の空気全体が独特の匂いに満ちているからどうしようもないと思う。確かに弱くはなっているけれど、それでも私の鼻はまだその匂いを捉えているよ。
とは言えひのえちゃんやこのと君。ココロワは気にした様子も無く暮らしているから、この匂いに対する反応は個体差だと思う。
「威嚇は威嚇でもこの反応は怖がっているんだよな。怯えられるような心当たりなんて無いんだが」
『気を付けるんだ。その死神に捕まったら終わりだぞ!』
「死神!?」
「誰が死神だこら」
続けてぶち丸の口から出てくるのは思いつく限りの罵詈雑言。いつの間にか私を庇うように立つ彼の言葉を可能な限り翻訳すると、竜崎先生は頬をかきながら苦笑いをする。
「そう言われてもまだぶち丸とはまださほど接点はないんだがなぁ。せいぜい診察のときに予防接種を打ったくらいか」
「絶対それですよ」
「あと去勢もしたな」
「絶対それですよ!」
短期間の接点でそれだけのことをすればそりゃあ嫌われるよ。
勿論、竜崎先生は必要な処置をしただけだから何も悪く無い。しかしヒトの事情なんて知ったことではない猫からすれば、その行為は正に死神といえる。
『こいつと一緒にいるのは危険だ。ここは俺に任せて早く逃げろ!』
そんな死神を前にしてそれでも私を守ろうとするぶち丸。もしも彼がヒトだったら非の打ちどころがないイケメンに違いない。
「よーしそういうことなら詩音君、通訳を頼む。もしも二度と死神に会いたく無いならしっかりご飯を食べて運動することだ。ってね」
『あっちに行けー!』
確かに元気に過ごすことができれば死神、もとい医者の世話になることはない。自分が嫌われていることを逆手に取り相手に健康な生活を促すとはさすが竜崎先生だ。
快活に笑う先生の後をついて行く。結局ぶち丸は私達が曲がり角を曲がる瞬間まで威嚇を止めることはなかった。
竜「動物好きなのになー。あれほど露骨に嫌われていたなんて流石にショックだわー」
詩「動物を想うほど嫌われてしまうなんて難儀な職業ですね。獣医師って」
竜「でも注射を全く怖がらない子もいるんだぞ」
詩「そんな特異な子がいるんですか!?」
竜「家で飼っている3匹とかねー。ちなみに俺が診た動物で一番注射を嫌がったのは君だぞー」
詩「さて、早く小次郎ちゃんを探しに行きましょう」
竜「あはは。そうだねー」




