EP-63 依頼
竜崎病院の受付にいる一匹のフクロウ。その何ものにも捉われず不動を貫く様子から「院長」との愛称で親しまれている。
本来なら座席がある筈の場所に立派な止まり木が置かれているのは竜崎先生のユーモアだろう。こうした普通の病院には無い緩さがあるのがこの動物病院の面白いところだ。
「院長先生。今日は良い天気ですね」
話かけてみるが返事は無い。動物の言葉が分かる筈なのに何も聞こえないのだ。院長は無口でもあるのか、それとも今まで聞こえていた声が空耳だったのか。
空耳は悲しい。悲し過ぎる。お願いだから院長が無口なだけであって欲しい。毛で覆われた獣人の手の先で撫でてみたけれど、やっぱり反応は返ってこない。
「他の動物は何もしなくても来てくれるのに」
「難儀してますなー」
「竜崎先生」
頬を膨らませていると後ろから声をかけられた。まだ昼前なのに白衣には皺がついていて薬の臭いもする。もしかして昨日から洗わず着まわしているな。ちょっとだらしないぞ。
「心配になるけど異常はないし、餌も毎回しっかり食べるから大丈夫だよー」
「そっか。ご飯のときなら絶対に動きますよね。次は私があげたいです」
「残念ながら院長は他人の視線を感じるとお腹が減っても食べないんだなー。隠しカメラを仕掛けても見せてくれなくなっちゃうし」
「な、何故そこまで徹底しているんだ」
「その理由を聞き出してくれるとありがたいねー」
「いんちょー!」
泣き落としを試みるがこの程度の同情に誘われるほど院長は甘くない。豆腐に鎹とは正にこのことか。
さて、どうして私が病院に来ているのかと言えば、この肉球と化した手を見れば察することができるだろう。ただ今月から変わったのは泊まりに来たのが私1人だけということ。毎回家族全員がお世話になるのも申し訳ないからね。
しかしこれに立ちはだかったのが心配症のパパである。ギリギリまでごねられた結果、ある1つの条件を飲むことで了承を得ることができた。
「んー、改めて見ると本当にペットみたい」
「それは言わないで下さい」
竜崎先生は私が着けている首輪を見て、何とも言えずに困ったように笑う。対する私も誤解が無いように自身の意志で無いことを改めて明確に伝える。
私の首元で主張する赤い首輪。これを身に付けることが一人行動を許可される条件なのだ。正面にある鈴飾りは私が動く度に音を鳴らす。何でもこれがGPSになっていて、私の居場所がリアルタイムでパパに伝わるのだとか。
プライバシーなんてあったものでは無いが、最初に無理を言ったのは私の方だから断ることはできない。心配する気持ちは分かるし、そもそも知られて困ることなんて私には無いから何の問題も無いから構わないのだ。
「狼の姿ならまだしも、半獣や獣人の姿で首輪をされるとビジュアルが大変不味いことになるね」
「そんなに変ですか?」
「いや似合っているよ。似合っているからこそ危ないんだよ。主に俺の立場がね」
「んー?」
なんか竜崎先生が難しい話をしている。よく分からないけど似合っていると思ってくれているならそれで良いか。
「詩音君、後で戌神に感謝しておくように。彼女がここに居なかったら今日の泊まりは俺の方から断っていたからね」
「そんな!どうしてですか」
「近隣の方々に無用な誤解を与えたくないからだよ」
「はぐらかさないでちゃんと教えて下さいよ」
「世の中には多様な趣味嗜好を持ったヒトがいるということさ」
頑なに明確な答えを言わない竜崎先生に詰め寄るが、白衣を翻して先生は逃げる。病院の待合室で唐突に始まった鬼ごっこだが、外から聞こえた自動車の音により中断させられる。
窓から顔を覗かせると案の定、病院の敷地内に自動車が停められている。すると慌てた様子で運転席からヒトが降りて来た。
「先生、お客さんが来てますよ!」
「マジで?今日は診察の予約は無かったはずだけど。急患かなー」
「1つも予約が無いなんて、この病院の経営は大丈夫ですか?」
「余計なお世話じゃい」
しまった。今の私は獣人モードだ。この姿をヒトに見られるのは非常に不味い。竜崎先生曰く先生の立場も危うくなるらしいから。
私を診てくれる医者は他にいない。先生が居なくなったら困るのは他ならぬ私なのだ。
奥の部屋に下がるように言う竜崎先生の指示に従うと程なくして院内にヒトがやって来た。隠れて見ている訳ではない。そのくらいなら音を聞けば分かるのだ。
「いきなり来てごめんなさい先生。でももう時間が無くて」
「まぁまぁ落ち着いて。立ったままも難ですしとりあえず診察室に行きましょう」
お客さんを案内して飲み物を渡す竜崎先生。相手も喉を潤して落ち着いたのか、ゆっくりと事情を説明し始める。
「実は昨日、ウチの小次郎が家から飛び出してしまって」
「ありゃま。あのキジ猫の小次郎ちゃんがですか」
「そうなんです。1日中探したけど見つからなくて」
なんだ猫の話か。男性の名前をちゃん付けで呼ぶからどういうことかと思ったけどそれなら納得だ。
しかし小次郎という名前からしてその猫は恐らく男の子だよね。にも関わらず敬称は「ちゃん」なのか。
雄か雌か判断に困るところだけど、その曖昧さに親近感を覚えたのは何故だろう。
「朝になっても戻っていなくて。もうどうすればいいのか分からなくて」
「成程。事情はよく分かりました。ただそのね、ここは病院で自分は医者でして。探偵ではないものでね。迷子のペットを探してくれと言われても手に余るといいますか」
「あの子が居ないと私は、私はわああぁん!」
「おぉう、こいつは参ったな」
泣き崩れるお客さんと困ったように頭を掻く先生。別に私はその光景を見ている訳ではない。2人が話す声でそんな状況になっていると想像しているだけだ。
「んー、それじゃあまぁ、探すのを手伝うくらいは協力しますよ。小次郎ちゃんの安否が心配なのは自分も同じですから」
「本当ですか!?ありがとうございます!」
結局、根負けした竜崎先生は迷子の猫探しを協力することになった。前に戌神さんが勝手に動物を連れてくると嘆いていたけれど、竜崎先生も負けず劣らずのお人好しである。
お客さんは竜崎先生に感謝しつつも猫を探すため病院を後にした。嵐のような訪問者に竜崎先生はやれやれと頭を掻く。
「大変なことになりましたね」
「聞いていたのか。あんなに泣きつかれたら断れんよ。小次郎ちゃんが心配なのは同じだし」
「私も何か力になれれば良いんですけれど」
竜崎先生にはお世話になっているから私が手伝えることなら協力したい。それに今も迷子の小次郎ちゃんが心配なのは私も同じだ。
「おっ、そういうことなら今はむしろ絶妙なタイミングと言って良いかもな」
「どういうことですか?」
「犬の嗅覚はヒトの数千倍は優れていると言われている。警察犬や麻薬探知犬はその能力を生かしてヒトに力を貸してくれるだろ」
「そうですね」
「彼らは厳しい訓練を乗り越えた選りすぐりのエリートだが、こっちは人間と正確な意思疎通がとれるんだ。猫の一匹や二匹くらい見つけてやろうじゃないの」
そう言って竜崎先生は私の頭を撫でる。動物の扱いを理解しているからか、私が知る限り1番撫でるのが上手いんだ。
「頼りにしてるぞ」と言葉を残して白衣を翻して立ち去る先生。その後ろ姿を見送りつつ、私は仕方ないなと息を吐いて少し乱れた髪を整えた。
竜「どうすれば誤解を生まずに済むのだろうか」
戌「そんな方法は無いと思います」
竜「ばっさり言い放つねぇ」
戌「それでも良いじゃないですか。他人が何と言おうと先生がひとでなしでは無いこと、私はちゃんと分かっていますよ」
竜「俺、出会えたのがお前で本当に良かったわ」




