EP-56 事件現場
「さて諸君。授業を始めよう」
教卓に肘を突き、指を組んだ手を額に当てて座る猩々先生。表情が見えにくいにも関わらず、ナイフで胸を突き刺される錯覚を覚えるほどの鋭い眼光を向けられる。
毎回気を失いそうになる挨拶をどうにか耐えて始まる家庭科の授業。中間試験を終えたところで座学から実技に授業内容が変化して、今はエプロンの製作をしている。
布のデザインや大きさは事前に先生に伝えて学校が懇意にしているメーカーに発注。するとエプロン作りに必要な物が一式揃ったセットが届く。これを先生の指示に従い裁断したり、ミシンで縫うことでエプロンを作る。
また、このエプロンは後期の授業である調理実習にて着用することになる。丁寧に作らないと自分がしっぺ返しを受けることになるのだ。
「うわー、緊張する」
慎重に裁断するナツメ君の周りでニヤニヤしている狐鳴さんと良介。不意に驚かせようものなら流石のナツメ君でも怒るからやめなさい。自分の作業を進めないと先生に怒られるぞ。
私の裁縫スキルはママに指南されたこともあり、未経験者よりはある。とは言え簡易な作りのぬいぐるみを修復できる程度だけど。ミシンの扱い方も心得があるから、少しくらいならヒトに教えることもできる。
「ねぇねぇ、しーちゃん」
「どうしたの狐鳴さん」
「今しーちゃんのもふもふ尻尾を完璧に再現した擬似尻尾を作っているんだけど、白銀と藍色のグラデーションのところが難しくてさ。どうすれば上手くいくと思う?」
「うん。とりあえず最初にエプロンを作ろうか」
「詩音ちゃん詩音ちゃん」
「どうしたの飛鳥さん」
「今詩音ちゃんのさらさら髪を完璧に再現したカツラを作っているのだけど、耳の付け根の部分が難しくて。どうすればリアリティーが増すと思う?」
「うん。まずは最初にエプロンを作ろうね」
猩々先生が提示した課題をまるっと無視して我が道を突き進む2人。あの眼光をものともしないその精神力はどうやって身に付けたのだろうか。
2人とも動物コスプレグッズを自作したらしいから、その器用さがあればエプロン1つ作るなんて大して難しくないはずだ。それなのにどうして趣味に全力投球するのかな。あと模している対象が私というのも恥ずかしいからやめて下さい。
「何を言っているのしーちゃん。これはお尻に付けるタイプの尻尾型エプロンなんだよ。斬新なデザインでしょ」
「拡大解釈が過ぎる」
「私のだって頭に装着するタイプのエプロンだから」
「さっきカツラってはっきり言ったよね」
とんでもない独自理論でエプロンだと主張し始めたよ。2人には今一度エプロンとは何のために着るのか理由を考えた方が良いと思う。
「はっ、まさか良介も」
「それが真面目にやっているんだなー」
「なんだ。シンプルに下手なだけか」
「詩音。素直なのはお前の良いところだけど、少しは本音と建前を使い分けることを覚えても良いと思うぞ」
仮縫をした布地で流していない涙を拭く良介。私だってお前が相手で無かったらここまで包み隠さず言わないよ。このことは絶対に口に出すつもりはないけどね。
口を動かしながらもミシンを使い自分の作品の作製を進める。私だって裁縫スキルはママに教わるばかりで他人より秀でていることは決してない。それでも時間を気にして作業を進めているのには理由がある。
「猫宮さん。1つ聞いてもいいかな」
「なにかしら」
「猫宮さんが使っている布地ってとても良いデザインだよね。白地に赤の水玉なんてとても可愛いと思う」
「ありがとう」
「でもどうしてさっき見たときより水玉の数が増えているのかな」
「それは気のせいよ」
「手を見せて猫宮さん」
「嫌だ」
テーブルの下に両手を隠して動かない猫宮さん。でもごめんなさい。私の耳には床に滴る雫の音がしっかり聴こえているんだよ。
というか私でなくとも授業が始まったときと比べて明らかに顔が青ざめているから、文字通り血の気が引いた顔を見れば誰でも分かる。
「鮫島、お前さっき腹が痛いって言っていたけど大丈夫か?」
「えっ?あぁうん。いや実は結構辛くてさ。これは保健室に行った方が良いかもしれないな」
「それは大変だね。そうだ猫宮さん。サメを保健室に連れて行ってあげてよ」
「大狼君と狐鳴さんが付き添えば良いでしょう」
「それはそうなんだけど」
「俺としては猫宮さんが一緒だと助かるな」
「今は手が離せないから」
「そっかぁ」
それとなく促そうと小芝居を一蹴された3人。微笑んではいるが心がさめざめと泣いているのがよく分かる。
あと猫宮さんは手が離せないのではない。手を離したくないだけだ。血が滴るほどの怪我とか普通に心配だよ。治療する以外の選択肢なんてないでしょうが。
「手を見せてー!」
「いーやー!」
不器用な自分を認めたくないのか必死に抵抗する猫宮さん。彼女を保健室に連れて行こうと一悶着を繰り広げていると、周囲が影に包まれた。
「何を騒いでいるのかな」
いつの間にか背後で仁王立ちをしていた猩々先生。私の中にある狼が持つ野生が「終わった」と言っている。これが生存本能というものなら危機回避ができる間に知らせて欲しいものだ。
「ふむ」
耳を垂らし、尻尾を丸めている間に一瞥する先生。そして状況を理解すると同時に私の髪を風が撫でる。
室内は窓も扉も閉めていてエアコンも動いていない。何事かと思った矢先、猫宮さんが白目を剥いて机に倒れこんだ。
「ひえぇ」
「少々手荒だが治療が優先だ。猫宮さんは私が保健室に連れて行こう」
泡を吹いて力無く項垂れる猫宮さんを肩に担ぐ猩々先生。どう見ても怪我人を運ぶ体勢では無い。
猫宮さんの手から流れる血が先生の背中を伝う。まず見ることが無い光景なのに、この先生だと自然に見えるのは何故だろうか。
「皆は引き続きエプロン作りに勤しみなさい。怪我をした場合は直ぐに言うように」
そう言い残して猩々先生は教室を後にした。このときクラスメイト達の思考は奇跡的に一致していたという。
「しくじったら、やられる」
詩「な、ななにがどう、うぇっ?」
狼「落ち着け詩音。猫宮は保健室に行ったんだ。生贄として運ばれたんじゃない」
鳥「目にも止まらぬ速さの一撃だったけどね。一般生徒に振るう打撃じゃなかった」
鮫「一瞬猫宮さんの首が吹き飛んだかと思った」
狼「あの運び方、とても人助けには見えないな。あれは確実にやった事がある人間だぜ」
詩「手刀って風圧が生じるものなんだね」
狐「しーちゃん大丈夫?腰抜けてるけど」
詩「大丈夫じゃないです。立てないです。起こして下さい」




