EP-50 散歩
愛音と琴姉ぇの下着を畳むという行為に若干居た堪れない気持ちを抱いていると、玄関のチャイムが鳴った。離れているママに出るように言われて渋々玄関に向かう。
変な勧誘や訪問販売ならどうしよう。そんな心中でで防犯モニターを覗くと、それとは全く無縁ながらも訪ねるには珍しいヒトが立っていた。
「こんにちは詩音さん。急に押しかけてごめんね」
「こんにちは戌神さん」
現れたのは私がお世話になっている竜崎病院で医者である竜崎さんの助手を務める戌神さんだ。
私に何か用があるのだろうか。聞こうとする前に戌神さんの様子を見ておおよその察しがついた。
『新入り、早く遊びに行こう』
『ボール遊びの時間だ』
姿を見た途端に走るのは2つの巨体。戌神さんが飼っている犬のひのえちゃんとこのと君である。押し倒される寸手のところでリードが伸びきり、2匹はその反動で後方に転がった。
会えたことは私も嬉しいけど、相変わらずパワフルなワンコ達でたる。
「実はこの子達のことで相談がありまして」
「一緒に散歩に行きたいということですか」
「はい。そうか、詩音さんはこの子達の言葉が分かるんでしたね」
以前に獣化したとき動物の言葉が理解できるようになったが、あれ以降も意識すると動物達の会話する声が聞こえるようになった。学校に行く途中にすれ違った猫が哲学者のような深みのある思考をしているのを聞いたときは思わず二度見したよ。
「ひのえ達も今日という今日は一緒に遊ぶと頑なに言うことを聞いてくれないんです」
「時間は空いていますよ。ちょっとママに確認してきますね」
一度引っ込みママに聞いたところ、保護者同伴なら良いとのことだった。しかしママは家事が残っているから出かけるのは難しい。となると琴姉ぇかパパに頼むことになるのだけど、聞いてみたら即答で了承を得ることができた。2人とも犬が好きなんだね。
ちなみに愛音は妹だから保護者にならないので、選択肢から除外している。そもそも学校の部活で家にいないから無理だし。
「行ってきまーす」
「行ってらっしゃーい」
手早く身支度を済ませて外出。戌神さん曰くこの辺りから30分と少し歩くとドッグランがあるのだとか。いつもそこで2匹を存分に遊ばせているらしい。
それにしても私もだいぶ外を出歩くことに対して抵抗が無くなってきた。頑張った甲斐があるというものだ。
「折角だからリードを持ってみますか?」
「良いんですか。やったぁ」
「他ならぬこの子達がそれを望んでいますから。でも力が強いので気をつけて下さいね」
戌神さんからリードを受け取り、離さないようにしっかりと握る。人生初の犬との散歩。少しドキドキしてきたよ。
『早く早く!』
「えっ、ちょ」
記念すべき最初の一歩を踏み出した途端に華麗なスタートダッシュを決めた2匹。その勢いに姿勢を崩して前のめりに倒れる。しかしそのまま転ぶことはなかった。
『行くぞ新入り』
「待って」
私という枷を持ってなお加速する2匹。両足が同時に地面を離れたというのに、落ちるより早く前に引かれて体が浮き上がる。
つまり何が起きたかというと、私は疾走する2匹の後ろを空中に身を投げ出したまま猛スピードで引かれている状態になっている。
「わああぁあー!」
「「シオーン!?」」
頼みの綱は2匹にそれぞれ繋がる2つのリードのみ。私は成す術も無く目的地に着くまでただ必死に掴むことしかできない。
犬の散歩。これほど危険が伴う行為だとは思わなかった。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「で、これはどういう状況なんだ?」
「私が聞きたい」
犬に誘拐された私はそのままドッグランに到着。道中の記憶が無いのはこの場合においては正常だと思う。やがて追いついたパパが私を見たときの第一声が先のそれだ。
芝生に座る私の周りにはひのえちゃんとこのと君。そして私を囲むようにドッグランにいた動物達が集まっていた。兎に角私に構って欲しいみたいで、ボールやフリスビーを加えて近付いて来たり、若干加減を間違えたじゃれつきをされている。
そんな犬達の波状攻撃に飲み込まれた私は当然身動きが取れず、周りにいる飼い主さん達も自分のペットを連れようとしては全力で抵抗されて凄く悲しい顔をしている。なんだか申し訳ない。
しかし中には強者もいる。ペットを私に抱かせたり、側に立たせてツーショットを撮りたいと頼むのだ。私はモデルではないぞ。
「詩音が犬達を誑かせているのよ」
「大人気ですね」
「違うから。早く助けて下さい」
私の尻尾を追いかけ回す子犬の相手をしながら救助を待つが彼らのバリケードは実に強固なものだ。
パパが助けようと掻き分けているけど、力が強い大型犬がそれを妨げ、つぶらな瞳を向ける小型犬が精神にダメージを与えている。なんて悪い子達だ。そんなに私のことが好きか。可愛い奴らめ。
「くっ、俺とあろうものがこんな障壁に阻まれるなんて」
所詮は犬だからなりふり構わず退かせないことは無い。しかし彼らは決して悪意を持って妨害している訳ではないし、乱暴に扱えば周りにいる飼い主さん達が黙っていないだろう。
何度も挑んでは弾かれるパパ。遂に膝をついて諦めたそのとき、救世主が現れた。
「詩音さん。これを」
持って来た荷物からおもちゃを取り出した戌神さんがそれを投げて寄越した。片腕に子犬を抱いたままどうにか取る。
それはありふれた骨の形をしたおもちゃ。飼い主が投げて犬に拾わせて遊ぶシンプルなものだ。しかし私が手にした途端に皆んなの注目がそれに集まる。
右に動かせば右に、左に動かせば左に首を動かす犬。一糸乱れぬその様相は中々にシュールだ。
手を上げると皆んなが背筋を伸ばす。やる気は十分のようだ。
「それっ」
大きく振りかぶって遠くに投げると、犬達は一斉に走り出して追いかけに行った。私の周りには1匹たりとも残っていない。
「はー、疲れたぁ」
「動物達からも大人気なんて詩音は罪な女ね」
「怪我とか無いか?」
「大丈夫。顔中舐められたけど」
3人が来るまでの間に芝生に転がされた挙句もみくちゃにされたから服が汚れていたり髪に葉っぱが付いていたりはするけど、幸いなことに怪我はしていない。
ようやく一息ついたものの、それは束の間の安息。直ぐに地鳴りのような音を鳴らして犬達が戻り始めていて、その大行進は遠目から見ても迫力がある。
こうして数多の犬と私の戦いの火蓋が切られた。
詩「犬の散歩がこれほど過酷だとは思わなかったよ。全国の飼い主さんを尊敬します」
戌「確かに大変なこともあるけれど、あれほど過酷なものでは無いですよ。普通」
琴「詩音、頭の上に小鳥が乗っているわよ」
詩「羽休めされてる!」
父「それだけ居心地が良くて落ち着くということだろう」
戌「耳を突いて遊んでいますね。可愛い」
詩「カメラ向けていないで早く助けて下さいよ」




