SS-45 親愛なる姉の秘事
「よし、レポート完成っと」
「うへぇ、さすが琴音っち。もう終わったんだ」
大学のパソコンルームにて課題を済ませた琴音はそのまま教授にデータを送信する。これで今のところ抱えている課題は全て終えた。
「マジかよあり得ねぇ。俺なんて何一つ終わって無いのに」
「それはサボり過ぎ。とは言え私も土曜日まるまる潰れそうだよ」
「それじゃあ私は帰るね。お先に」
「待って待って琴音っち!この憐れな仔羊を見捨てないで」
「明日の休み時間に付き合ってあげるから」
「ありがとう。琴音っちは私の女神だよ。結婚しよう」
「遠慮しておくわ」
親しい学友達に別れを告げて早々に家路に着く琴音。帰りの電車では終始タブレットを弄る。今は一分一秒の時間が惜しいときなのだ。
「ただいまー」
「お姉ちゃんお帰りー。ねぇ聞いて聞いて。今日はなんと唐揚げだよ」
「ふーん」
「しー姉ぇが作ったんだよ」
「なんですって」
愛音の言葉を聞いた瞬間、琴音はこれまでに食べた詩音の手料理の種類、日時、そのときの詩音が見せた嬉しそうな表情まで鮮明に蘇る。
その記憶によれば詩音が揚げ物に挑戦したのは初めてだ。それ即ちどんな高級料亭が提供する料理よりも価値が逸品ということに他ならない。
ちなみに妹がいつ何を作ったのか全て記憶していると大学の友達に自慢すると普通に引かれた。報復としてその週は課題を手伝わなかったのだが、翌週には大絶賛してくれたから許すことにした。
「油に怖がりながら頑張るしー姉ぇの動画約十分。後で送っておくからね」
「私は素晴らしい妹に恵まれて本当に嬉しいわ」
詩音が作った料理なら例え中まで火が通っていなくても完食する所存であったが、母が付きっきりで手伝っていたようで味も実に素晴らしいものだった。
最初にお風呂を頂いて早々に就寝すると自室に戻る。しかし時刻は小学生が寝るにも早い時間。明日も登校日とは言え大学生となった琴音が言葉の通り寝ることは無い。
机に置いたパソコンの電源を入れつつ、明日に備えてスマホとタブレットを充電を行う。慣れた手つきで自身のアカウントにログインするといつものようにソフトを開く。
「今夜中には仕上げないとね」
画面に映るのは琴音が密かに描いているイラストデータであった。今後の活動において必要になると父を説得して揃えたペンタブ等の絵描き道具を駆使して自身の作品の仕上げを行う。
琴音が描いているイラストは完全な趣味である。あまり他人に言いたくないこの趣味を両親に打ち明けたときは随分と驚かれた。しかし今は理解を得られたし、学業を疎かにしないのならとむしろ応援してくれている。
大学とは別で絵を描いていることを学友は知らない。両親の他には勘が鋭い愛音に話したくらいだ。あの手のタイプは下手に隠すより正直に話して仲間に引き込んだ方が遥かにメリットが大きいのである。
「よし完成。データを保存してっと。次はこっちね」
イラスト制作ソフトを閉じて次に開いたのはとあるネット上のサイトである。お気に入り登録までしているこれはいわゆるネット小説サイトだ。
誰でも自由に文章を書いて投稿し、それを誰でも見ることできるサービス。琴音はそれに作者側としてログインして画面を操作する。
幼い頃から絵本や小説の他にドラマや映画等の作品に触れるのが好きだった琴音。いつしかそれらの作品を作りたいという夢を持った彼女はこうして時間を捻出しては創作活動に没頭していた。
「わぁ、前に投稿したやつに評価貰えてる」
琴音の小説を書く才能にいち早く気付いたヒト達がコメントを書いている。作家としてはまだまだ無名のため、その数は極々僅かだが、それは琴音の創作意欲を刺激して前向きに活動する大きな原動力となっている。
薄暗い部屋の中、パソコンの前でニヤニヤと笑うその姿は家族にも見せられない様相である。そんな己の状況を客観的に見た琴音は首を振って頬を叩いて自信を律する。それでも嬉しい気持ちは隠しようがないのだが。
「さて、今週分の投稿をしないと」
電車移動中を始めとした細かな隙間時間に執筆活動をして書き溜めた文書。誤字の確認してからサイトの機能を使い決まった時間に投稿されるように設定する。
しかしこれだけでは終わらない。琴音は更にパソコンを操作して、自分が描いたイラストを文書の挿絵として一緒に投稿したのだ。学生とは言えその完成度はプロのイラストレーターも唸るレベルで高い。
物語の面白さとプロ顔負けの挿絵。ネット小説を使い熟す読者ならいつか気付く金の卵がここにあった。
「まだ時間はあるわね。あっちも書き進めましょうか」
琴音が投稿している小説は1つでは無い。彼女の創造力は1つの物語で収まるものでは無いのだ。
しかしそれらとは別に最近また新しい作品を書いている。きっかけは勿論、運命が変わったあのときだ。
そのとき部屋のドアをノックする音が聞こえた。突然のことに内心驚く琴音だが、その訪問者は更なる動揺を彼女に与えた。
「琴姉ぇ、入っても良い?」
「し、詩音!?ちょっと待ってて!」
今まさに本人をネタにした新作小説の執筆をしていたこともあり、琴音の心拍が跳ね上がる。慌ててパソコンの画面を隠して立ち上がるが、その拍子に足の小指を家具の角にぶつけてベッドの上で悶絶する。
「大丈夫!?何か凄い音が聞こえたよ」
「へ、平気。ちょっとスマホ落としちゃって。今ドア開けるわね」
詩音はとても耳が良い。それに加えて優しい子だから純粋に心配してくれている。
言えない。そんな詩音に隠れてその可愛らしさを永遠と語るような小説を書き、その魅力を少しでも多くのヒトに知ってもらおうと大量のイラストを描いては投稿しているなんて。口が裂けても絶対に言えない。
動揺を抑え込み、足の痛みは気合いで堪えて平然とした態度でドアを開ける。いつもと変わらない様子の琴音を見て詩音は安心したように笑顔を見せた。
「温かいココアを作ったんだ。良かったら飲んでね」
「ありがとう。嬉しいわ」
ココアを受け取ると詩音は嬉しそうに耳を動かした。また描きたい構想が1つできてしまう。一挙手一投足一発言が愛おしくてとても創作の手が追いつかない。
「それじゃあお休み。大学の勉強頑張ってね」
照れを隠すように早足で去って行く詩音。どうやら姉が早い時間から寝ると聞いて勉強に勤しんでいると解釈したらしく、労わりの差し入れを持って来たようだ。
ふわふわの尻尾を見送った琴音は机の端にココアを置いた次の瞬間、自分の額を机に強く打ち付けた。
姉のことを心から信頼している妹に対して、自分は嘘をついた挙句勉強もせず趣味に没頭している。それも詩音をネタにした文書を書き、嬉々としてイラストを描いている。罪悪感に押し潰されそうになった。
自分の心の醜さに嘆いているとスマホに通知が鳴った。机に突っ伏したまま画面を見ると愛音からメッセージが届いていた。
『例のブツです』
その言葉に続いて送られたのは詩音が料理をしている動画だった。及び腰の状態で耳を伏せた姿勢で、一生懸命手を伸ばして衣を付けた鶏肉を熱した油に入れようとしている。
涙目になりながら母と愛音に励まされている姿は庇護欲を刺激されて仕方がない。無事に唐揚げが完成した後に喜ぶ様子なんて可愛い過ぎて直視できない。
「ふぅ、続き書こうっと」
罪悪感と愛おしさで混沌と化した心中。ひとしきり悶えた後で落ち着きを取り戻した琴音は創作活動を再開する。
「このイラストは報酬として後で愛音に送っておこうっと」
琴「あら詩音、今日は機嫌が良いわね」
詩「あっ、やっぱり分かる?実は最近面白い小説を見つけたんだよ」
愛「珍しいね。しー姉ぇ本とかあまり買わないのに」
詩「ネット小説だからね。主人公の妹がある日急に狼の獣人になっちゃうお話しなんだけど」
琴「えっ」
愛「それどこかで聞いたことあるような」
詩「なんだか他人事に思えなくてさ。読んでみたらとても面白いの。今日はその小説の新話投稿日なんだ」
琴「へ、へぇー。そうなんだ」
愛「ちなみに作者さんの名前は?」
詩「神狼のライアーさん」
琴「ぶふっ!?」
愛「あちゃー」




