EP-24 わぉーん!
病院内を駆け回る大型犬。このと君、ひのえちゃんの2匹とあそんだり、受付に佇むフクロウにちょっかいを出して時間を潰す。
このフクロウには特に名前を付けていないらしいんだけど、竜崎先生はこの子のことを「院長」と呼んでいる。何でも誰が病院を訪れても不動を貫く堂々とした態度をしているからだとか。確かに私が悪戯をしても微動だにしない。
ここまでくるとそこはかとなく威厳があるように感じるよ。
ちなみにこの動物病院にはもう1匹家族がいるらしい。名前を「ココロワ」という黒猫で、基本いつもどこかに出かけているそうだ。ご飯の時間と夜には戻って来ると言う話だから1度見てみたいな。
「竜崎先生、またひのえちゃんがおやつを盗み食いしています!」
「なにー!?今日という今日は許さないぐはあぁー!」
「せんせーい!」
このえ君の頭突きを受けて突き飛ばされる竜崎先生。それを介抱する戌神さん。なんて賑やかな人達なんだ。入院というより近所の家族とお泊まり会をしているみたいだよ。
騒がしいまま時間は過ぎ去り、ママと戌神さんが用意した夕飯を皆んなが食べる。私はまだ検査をする可能性があるのでお預けだ。
えっ、私の料理?他所様に振る舞うにはまだ早過ぎます。それにこの手では料理に毛が混ざりかねないからね。
食後の休憩にのんびりとお茶を飲む私。気付けば夕暮れ時となり、とうとうそのときが来た。
「詩音」
「ん、平気。ちょっと痛いけど」
心配するパパを心配させないように笑顔で応える。成長痛のような痛みが全身に感じるけど話しをするくらいの余裕はある。
「しー姉ぇ。何かあったら遠慮無く言ってね。私にできることなら何でもやるから!」
「ありがとう。それならとりあえず動画を撮るのを止めてくれるかな」
「あっ、でも自分としてはその映像欲しいです。今後詩音さんの体質を調べる上で貴重な資料になるので」
「そんな!?」
驚いている間も私の変化は止まらない。背骨の形が変わり上体を起こすのが難しくなる。手をついて支えようとするが四足獣の前脚のようになった腕ではそれもままならない。
足も変形して自ずと前傾姿勢になる。視線が下がる中、反対に周囲の音や匂いが今まで以上に鮮明に感じる。
狼は視力が弱いと聞いたことがあるけれど、私はむしろ狼の姿になるにつれてよりはっきりと見えるようになっている。不思議なことだけど目が悪くならなかったのは良かった。
やがて痛みも落ち着いて周囲を見渡すと皆んなの足が見える。首を伸ばして視線を上げると心配した様子で私を見下ろしていた。
おぉ、これが動物の視点なのか。ヒトとは全く違って新鮮だ。
「気分はどうですか。詩音さん」
竜崎先生が膝をついて目線を合わせるようにして声をかけてくる。ずっと首を上げるのも大変だから地味に助かる。「平気です」と正直に答えると目を点にして驚いた。
「まさかヒトの言葉を扱えるままだとはねー。今朝の姿でも気にはなったが本来人間にしか無い中咽頭があり、それも人間並に発達しているのかな?となると誤嚥のリスクも通常の犬より高い可能性があるな」
「先生?」
「それともオウムやインコのようなに気管支が鳴管の機能を有しているのかも。しかし一部の鳥類が持つ器官をイヌ科が持つことなんてあるのか?うーん分からん」
何やら専門的な考察をして悩む竜崎先生。やっぱり動物の姿でヒトの言葉を話せるというのは不思議なことらしい。
でもそれは当然だよね。よくヒトの言葉を話せる犬や猫の映像とかあるけど、私のようにはっきり聞き取れるものでは無いものが多いから。
「開いて直接構造をみたいけどそういう訳にはいかないしなー」
「わぅ!?」
物騒な発言をする竜崎先生。純粋な知的好奇心によるものだと分かっていても怖い。思わずパパの背後に隠れる。丸見えなのはもう仕方がない。何かを盾にして隠れたいという気分の問題だ。
「先生、詩音を怖がらせないで下さい」
「すみません、不謹慎でした。でも後ほど可能な範囲で調べさせて下さい。こればかりはご容赦願います」
「それくらいなら」
「助かります。それじゃあ口を開けて」
それから言われるがままに検査を行うことしばらく。ようやく解放された頃には空もすっかり暗くなり、私もさすがに疲れてしまった。慣れない体で1日に2回も健康診断をするものじゃないね。
「お疲れ様。一先ず今日のうちにできる検査は終了だよ。とは言え全部はできてないから来月もまたウチに来て欲しいな」
「くぅーん」
「1日に2回も採血する訳にはいかないものね」
「しー姉ぇ、血を採られるときに刺す注射は意外と平気なのに予防接種の注射は苦手だよね」
「苦手じゃないし。余裕だし」
確かに小さい頃に受けた予防接種のトラウマは今も鮮明に思い出せる。そのときの記憶がフラッシュバックするから余計に嫌なんだろうな。
でも私だってもう高校生になるし。恐怖のあまりに泣くことなんてもうしないし。
「涙目にはなっていたわよ」
「泣いてない!」
琴姉ぇが凄く小さい声で呟いたけど聞こえているからね。今の私はとても耳が良いんだからね。
不服の気持ちを表すように喉を唸らせて威嚇してやる。狼の恐怖を思い知るが良い。
「がるる〜」
愛音がとても温かく優しい目で私を見つめている。やめろ、そんな可愛いぬいぐるみを愛でるような目で見るな。慈しみを込めた眼差しをするな。
琴姉ぇが哀れみを交えた瞳を向ける。そんな目で見るんじゃない!
「まぁまぁ、とりあえず詩音もご飯を食べましょう。今日は碌に何も食べていないんだから」
「食べる」
「それならやっぱりドッグフードだよね」
「えー、何か嫌だなぁ」
今は狼だけど先日までヒトだったんだよ。それなのにドッグフードを食べろと言われても抵抗感しかない。
「手軽にバランス良く栄養は摂れますが、普段の食事の味を知っていますからね」
「忙しいときに重宝するあの栄養調整食品みたいなものですかね」
「近い認識で良いと思います。あれも美味しいですが温かい食事が相手では分が悪い」
「ではいま持って来ますね。夕食を少し動物用に作り分けていたんです」
私のために事前に用意していたなんて、戌神さんはなんて有能なヒトなんだ。戌神さんは良いヒトだ。はっ、これが動物が懐くということか。
皆んなの匂いを嗅いでみたり、愛音に撫で回されたりしていると戌神さんが戻って来た。手には温かいご飯が盛り付けられたお皿がある。美味しそうな匂いがする。
「いただきます」
箸もスプーンも持てないから豪快に直接食べる。やっぱり美味しい。口の形のせいか咀嚼が難しいけど、柔らかいから飲み込むように食べられる。
でも普通の犬のように猛烈な勢いで食べることができない。一口ずつ口に入れては飲み込んでいく。
「おいぃ、駄目だぞこのと。そのご飯だけは食べてはいけない。そして俺を引き摺るんじゃない〜」
「すみませんお父さん。ひのえを止めるの手伝ってくれませんか」
「はい。ってなんだこのパワーは!?」
「食への執着が成せる技です〜」
ひのえちゃんを2人がかりで止めるパパと戌神さん。その隣でこのと君に引き摺られる竜崎先生。その惨事を視線の端で捉えてながらできるだけ早くご飯を食べる私。
こうして私が初めて狼になった夜は慌ただしく過ぎていった。
詩「パパから何か変な匂いがする」
父「パパ臭いのか!?」
詩「加齢臭っていうのかな。それもするけど別の匂いもする」
父「詩音に、臭いって、言われた」
琴「どんな匂いなの?」
詩「んー、花火で遊んだときみたいな匂い」
母「煙の臭いかしら。でもお父さん煙草は吸わないわよね」
父「そうだな。でもパパの同僚は煙草をするからその臭いが移ったんだろう」
愛「もしくは火薬とか。爆弾や銃火器が放つ硝煙の臭い。なんかロマンがある!」
詩「さすがにそれはドラマとか小説に影響を受け過ぎだよー」
愛「だよねー」




