EP-22 恐れていたこと
いつものように外で囀る小鳥に起こされた私は朝の綺麗な空気を吸い込み、両腕を上げて伸びをする。今日も今日とてよく眠れました。
時間を見ようと充電していたスマホに手を伸ばす。しかし寝ぼけていたのか、机の上にあったそれはフローリングに向かってダイビングしてしまう。買ったばかりなのにやらかした。
手を伸ばすけど上手く取れない。これは先に顔を洗って目を覚ました方が良さそう。そう急くことも無いからゆっくりやろう。
手摺りに手を添えて階段を降りて1階にある洗面所に向かう。我が家の洗面所は浴室とお手洗いの近くにある。ついでに用も足してしまおうか。
水を流して手を洗う。愛音達に言われたスキンケアは後で良いや。
「ん?」
冷たい水を顔に浴びせたところで私は違和感に気付く。何か手が大きくなっているような感じがする。肌に触れる感覚もいつもと違う。
近くにあるタオルに手を伸ばし、そこで私は固まった。到底信じることができない光景。正確には私自身のを手を見て。
直後に私は声にならない叫び声を上げて洗面所を飛び出した。
「か、母さーん!父さーん!」
「どうした!何があった!?」
声を聞いて一目散に駆けつけたパパと廊下で鉢合わせする。そして私に起きた出来事を一目で理解すると目を見開いて硬直して、遅れて来たママも息を飲んだ。
寝巻き姿のまま立ち尽くす私。その体は手から肘上、足から膝上にかけて真っ白な体毛に覆われていた。
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「とりあえずどこか痛い所とか体調が悪いとか、そういう事は無いんだな」
「うん。いつも通りよく眠れたし、何ならいつもより元気なくらい」
あれからどうにか冷静さを取り戻し、私は自分の身に起きた変化について全てをパパに話した。まだ寝ていた愛音と琴姉ぇも起こして緊急家族会議である。
そうは言っても自分でもほとんど分からないけど。目が覚めたら手足がもふもふになっていて、心当たりなんて無いということくらい。
いつもと変わらず動かすことはできるし、生えた体毛を触られるとちゃんとその感覚を感じる。紛れもなく私の手足なのだ。
しかもこれ、何と肉球が付いている。手首から先がグローブを嵌めたように大きくなり、手の平にぷにぷにの肉球があるのだ。勿論足の裏にもあったし、意識すると爪も出せる。
問題なのはこの手のせいで細かい動きができないこと。ヒトの手のように指が細かく動かないから雑に握ることしかできない。小さいものも持てないから凄く不便だ。
水を一口飲もうにも両手でコップを挟むように持ちあげる必要がある。肉球が無かったら滑ってびしょ濡れになっていたよ。
「兎に角病院に行って竜崎さんに診て貰おう。連絡はしておくから一先ずご飯でも食べなさい」
「でも」
「安心しろなんて無責任なことは言えない。でもな、詩音の身に何があったとしても俺達は詩音の味方だ。嫌いなんて絶対にならない。大丈夫だ」
少し乱暴に、でもそれ以上に優しい手が私の頭を撫でる。いつの間にかポロポロと溢れていた涙をママがそっと拭いてくれた。
「お腹が膨れれば少しは気持ちも紛れるでしょう。必要以上に不安になることは無いわ」
「しー姉ぇ、その手でご飯食べられる?私があーんってしてあげようか?」
「サンドイッチとか素手で食べられるものなら平気じゃないかしら」
家族の優しいに改めて触れて胸の内が温かくなる。得体の知れない恐怖に押し潰されそうになった。でもそれを一緒に背負ってくれる存在がいると、ヒトの心はとても楽になるんだね。
今はまだ迷惑をかけてばかりだけど、いつかこうやって手を差し伸べられるヒトになりたいな。
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気持ちが落ち着きお腹も膨れたところで私達は病院へ向かった。当然車で来たのだけれど、それまでにまた一悶着あってまた別の疲労が溜まってしまった。
何せこのもふもふの手では自力で着替えをすることもできない。四苦八苦した挙句諦めた後、目を輝かせて着替えさせようとする愛音と戦うことになった。家族であろうと裸にされるなんて二度と御免だ。
結局、寝巻き姿に上着を羽織った形で出かけることになった。他のヒトには絶対に見られたく無いけど他にどうしようもないし。
しかし問題はこれで終わらない。いざ出かけようと玄関に来たところで靴が履けなかったのだ。理由は着替えのときと同じである。
足の形がヒトとは違うから大きいサイズのものを履けば良いという訳でも無い。悩んだ挙句、素足で出ることにしたけれど、これは意外と悪くなかった。
肉球が靴の代わりになっているのか特に違和感は無い。小石くらいなら踏んでも痛く無かったし。むしろ地面の凹凸をしっかり感じ取れることに安心感を覚えたくらいだ。でも鋭い棘やガラス片なんかを踏むのは怖いからあまりやらない方が良いだろう。
何よりぬかるんだ泥道が凄く嫌だった。尻尾の毛が逆立つくらい嫌だった。私を抱えて運ぶパパは嬉しそうだったけど。あれは私の天敵と言っても過言では無い。
「んー、さっぱり分かりませんな」
病院に到着すると早速身体検査を行ったけどその答えは芳しくない。しかしそれも当然のこと。前例の無い出来事の原因を当てるなんて無茶も良いところだ。
採血を始めにX線や心電図などの検査を行う。詳しい結果は後日になるけど、現状分かる範囲では異常は無いとのことだから少し安心する。
「動物としての特性が強く出ているとすれば食事等にも配慮した方が良いですね。ヒトには無害でも狼には毒になり得る食材もありますので」
「生のトマトは以前から食べようとしないのですが関係ありますか?」
「それはただの好き嫌いです。加熱すれば食べられるというのなら大丈夫ですよ」
どさくさに紛れて私のプロフィールを暴露しないで欲しい。原因を探るために真面目に問診をする竜崎さんの邪魔でしか無いんだから。
一通り状況を話したところで竜崎さんに言われたのはしばらくの間は検査入院をして欲しいとのことだった。これからどうなるのか分からないから少しでも早い対応をするための処置である。答えは当然イエスだ。
「ご家族の方も詩音さんの側にいて頂きたいのですが、生憎当院はひのえとこのとの2匹の城ですからね。あと2人くらいしか場所の
用意ができなくて」
「となるとまずは母さんだな。俺は車で寝るとして。あとは愛音と琴音だが」
「どっちかが家に帰るってことね」
「よし琴姉ぇ。死合を始めよう」
「物騒なことを言わないでよ」
「姉に勝る妹なんていないのよ」
「あれ?琴姉ぇ、あれ?」
いつも優しい琴姉ぇがさも当然と言わんばかりに売られた喧嘩を買っている。私のために争わないで。
「この戦いに勝った方がしー姉ぇと同じベッドで寝ることができる」
「全身でもふもふを体験できるまたと無い機会。勝つのは私だ!」
「私の抱き枕ルートが確定してる!?」
それぞれが背後に龍と虎の幻影を出現させて鬼気迫る気迫を放ちながらジャンケンを始める。しかしどちらが勝ったとしても私が報われることは無い。だって抱き枕だし。
世界はなんて無情なのだろうか。
「愛されていますね」
戌神さんが今の光景を見て最もポジティブな解釈をしている。誇張が過ぎる気もするけれど2人が私のことを大切に思っていることは事実な訳で。なんだかむず痒くなってきた。
「あぁ、そうだ。どうやって詩音さんの姿が変わったのかは分かりませんけど、何が変化の要因となったのかは見当がつきましたよ」
「本当ですか!?」
「もっとも現状で推測の域を出ない勘に近いものですが。恐らく症状のピークは明日。3日後には元に戻れると思いますよ」
詩「部屋の扉がドアレバーで良かった。そうで無かったら出られなかったよ」
琴「その手だとスマホもまともに操作できないから助けを呼ぶのも難しいわね」
愛「完全密室トリックになる?」
詩「私が被害者になるのか。嫌だなぁ」
琴「現場に居合わせた全員が犯行可能ね」
詩「誰が見て楽しいのそれ」
愛「私はもふもふ成分を補給できるのなら何でも良いよ」
琴「相変わらずブレないわね」




