EP-21 再会
春の穏やかな陽気が過ごしやすい昼時。ベランダに干された布団が太陽の光を浴びていた頃、家の中では掃除機が音を立てて唸っていた。
「お日様の香りって言うけど太陽が出す光に匂いは無いよね。どういう意味なんだろう?」
「太陽の光に当てて干した洗濯物が出す匂いってことよ。多分ね」
「なるほどー」
ママと他愛の無い会話をしつつ家事の手伝いをする私。普段ならママに任せきりで怠惰に過ごしている時間なのにどうして気が変わったのか。答えはこの後に控えるイベントを前にして手持ち無沙汰なのが落ち着かないからだ。
掃除を終えたところでママの寝室にお邪魔する。理由はここには全身を写せるくらいには大きい姿見があるから。他に琴姉ぇの部屋と浴室にもあるけど、どちらも用事が無いのに行くところでは無いからね。
「髪良し、耳良し、尻尾良し。服はよく分からないけど、多分平気。おかしくない」
白のブラウスに黒いスカートを装備してタイツを合わせた今日の格好。コーディネートした琴姉ぇ曰くテーマは「どうていをころす服」らしい。どうしてそんな物騒なテーマなのだろうか。そんな危なそうなものを着させられて私は大丈夫なのだろうか。
ママに聞いても「似合っている」としか言われなかったけど。いや、所詮はどこにでもある普通の服。何も起こることはないはずだ。
リビングに戻りママと洗濯物を畳みながら時間を潰す。
「ママ、パパの靴下が反対になってたよ」
「帰って来たら極刑に処しましょう」
我が家では服をひっくり返して洗濯に出すと処刑されるらしい。そんな家訓初めて知ったよ。私も気を付けよう。
愛音の下着を畳まされて顔を赤くしているのをママに弄られているとインターホンが鳴った。これ幸いだと逃げるように玄関に駆ける。
「いらっしゃい、良介」
「おー、約束通り遊びに来たぞー」
現れたのは大狼良介。前に電話でお見舞いに来ると話していた奴だ。中学の卒業式が終わり四月に高校生活が始まるまでの間に顔を出しに来たのだ。
「はいこれ差し入れ兼お見舞い。駅前のスイーツ屋で売ってるシュークリーム」
「えっ!あそこ美味しいけど値段も高くて有名なのに」
「お見舞いも兼ねてるって言っただろ。有難く食えよー」
「ありがとう!」
予想外のプレゼントに思わず笑顔が溢れる。この体になってからというもの甘味の美味しさに気付いたんだよね。甘いものだけでお腹を満たすことに至福を感じる先輩女性陣3人にはまだまだ及ばないけど。
一先ず良介を家に上げて先に部屋に行くように伝える。昔は何度か来たこともあるからどこが私の部屋なのかくらい分かるはずだ。
「飲み物とお菓子くらい私が後で運ぶのに」
「そう言って余計な話を良介にするつもりでしょ」
「残念。バレていたか」
「しおーん。お前の部屋って上か?それとも下の方か?」
「上に行ってー」
「はいよー」
良介から貰ったシュークリームと飲み物をトレイに乗せて後を追う。追いついたときには良介は部屋のドアを開けて少し面食らった様子で立っていた。
「だいぶ雰囲気変わったな」
「ママの趣味です」
「ママねぇ。だいぶ雰囲気変わったな」
「不可抗力です」
部屋の壁紙が桜色になり床フローリングに若草色の大きなカーペットを敷いている。ベッドのシーツもそれに合う色に変更されて布団に至っては花柄にされた。年中お花見ができそうな内装だよね。
それらの選定に私の意志は無く、不在のときにママが暴走した結果こうなった。後はクローゼットを新調したくらいかな。今後どうなるかは分からないけど。
そして私の一人称や親の呼び方が変わったのは半ば強制である。良介だって1週間の間に摂取する炭水化物が全て豆腐に変わると脅されれば同じ選択をしたはずだ。
一先ずトレイを机に置いて普段は棚に押し込んでいる折り畳み式のテーブルと敷物を引っ張り出す。しばらく使っていなかったけど問題無く使えそうだ。
「それにしても本当に獣人になってらぁ。事前に写真は見ていたし声も聞いていたのに、玄関で顔を見たときは凄く驚いたぞ」
「そうは見えなかったけど」
「リアクションした方が良かったか?」
「嫌だけどさ」
彼も彼なりに気を遣ってくれたということか。からかわれたりすることもあるけど根は良い奴なんだよね。私が倒れたときも本気で心配してくれたし。
「それで何の獣人なんだ。犬か、狐か?」
「戸籍上は人間なんだけど」
「そうなのか」
「でもお医者さんからは人間の遺伝子だけでは無いって言われた」
「じゃあ何なんだよ。勿体ぶらないで教えてくれよ」
「オオカミ」
「リアル狼人間か!」
「絶対に言うと思った」
家族と同じ反応をするとはつまらない奴だ。次に私の機嫌を損ねたらそのシュークリームを齧るぞ。
「その様子だと中身は紫音のままみたいだな」
「今は字が変わって詩音になったけどね」
「本当に女子みたいになったな。もしかして変わっていないのは精神だけか?」
「それは言わないで」
心の問題は結構切実なんだよ。今は間違い無く紫音の心だけど、将来どうなるかは分からない。それこそ30歳を超えて女性として暮らした時間が男として過ごした時間を上回ったりすれば私は一体どうなることやら。
もしかすると女子として良介と付き合う可能性も。あっ、なんか急に悪寒が走った。きっとこの世界線だけは存在しないんだな。
「まぁ、詩音は詩音のままでいれば良いんじゃないか。セクシャルマイノリティに理解くらい今は皆んな持っているさ」
「そうかな」
「少なくとも古い考え方しか持っていないヒトの方がいずれ少数派になって肩身が狭いことになる」
「ちなみに良介は?」
「俺は女の子が大好きだぜ!」
安定の思考回路を持っていて安心したよ。つまり良介は難しいことは考えず好きにすれば良いと言っているのだ。
確かに難しく考えたところで納得できる答えは出せないだろう。そもそも答えを出す必要も無い悩みだ。
そんな些末な悩みより、今の私が良介の守備範囲に入っていることの方が問題だ。また琴姉ぇに告白して玉砕してしまえ。
狼「詩音ってゲームとか漫画とか持ってないよな。暇なときどうやって時間を潰すんだ?」
詩「げーむ、まんが」
狼「おい、まさか知らないとか言わないよな。テレビ見てるなら流れているだろ」
詩「あんまり興味無いなぁ。聴いた音を頭の中で楽譜に書き起こす方が楽しいよ」
狼「テレビを見てそんな楽しみ方をしているのは全世界でお前だけだぞ」




