SS-195 とある男子高校生の青春
太陽の光がジリジリと肌を焼くある夏の日。雲一つない青空に浮かぶ太陽を恨めしく見上げると、頬を伝う汗を拭い今一度帽子を被り直した。
俺の名前は間蛸優。桜里浜高校2年。野球部所属。今日は甲子園の出場がかかった大切な試合の日だ。
と言っても俺の役目はあくまでも出場先輩達のサポート。一応ピッチャーの控えとしているが、これまでの試合で好調な先輩を見る限りその心配はなさそうだ。
「先輩、お疲れ様です。これどうぞ」
「おっ、ありがとう」
ウォーミングを終えた先輩達にタオルとドリンクを渡す。いつも通り気さくに話してくれるが、流石に甲子園出場がかかった今日は会話の端に僅かな緊張を含んでいた。
「いやー、間蛸がいてくれて助かった。練習相手にも話し相手にもなってくれるし、見た目に反して結構気が効くし」
「一言余計っすよ。自覚はありますけど」
「俺は嬉しいよ。去年の最初は部活にすらサボっていたお前が今では俺の後を継ぐほどに成長してくれてさ」
「その節はご迷惑をおかけしました」
「やっぱりあれか。例の彼女のお陰か。あの真っ白な獣耳の子。マジでふざけるなよおめでとうリア充が羨ましいぞクソ野郎」
突然情緒不安定になる先輩。言ノ葉さんの話題になるといつもこうだ。
青春の大半を部活に注いだ先輩は悲しいかな、彼女と呼べるヒトはいない。だからと言って自分でその話題を持ち出して絡むのはやめて欲しい。感情も迷子になっているし。怒るか賞賛するか妬むかどれかにしてくれ。
それでも許容できるただの戯れ合い以上には踏み込まず、距離感を弁えてくれるから良いヒトではあるんだよ。一応な。
そんな四捨五入すれば人格者に分類される先輩が度々話題に出す真っ白獣耳っ子こと、言ノ葉詩音さんは俺の同級生だ。
何かと注目を集めている彼女、いや彼だが、話してみればなんてことはない。どこにでもいるような普通の良いヤツだ。
関係性を言葉にするなら同級生。たまに誤解される事があるが、本当にそれ以上でもそれ以下でもないんだよな。
基本的に良いヒトなんだが、強いて欠点を挙げるなら距離感がちょっとズレているところか。見かければ思わず視線が惹かれるほど美少女の言ノ葉さんは、それでいて中身は男。女性として持つべき警戒心が皆無なため、ふとしたときに無防備な姿を晒す事がたまに。いや、結構な頻度である。
正直な話、初めて会った頃は多少なりとも下心があった。しかし次第に罪悪感が芽生え、度々女子に注意されても天然であるが故に一向に改善する様子がないところを見て、今では何か申し訳ない気持ちが勝るのだ。
「ほら、そろそろ始まりますよ。準備しないと」
「そうだな。よし、やってやるか!」
気合いを入れる先輩は先程とは別人と見間違えるレベルで真面目な表情をみせる。このヒトのせいで話しが逸れたが、これから始まるのは甲子園出場がかかった大切な試合だ。
俺が頭の中で声援を送ってくれる彼女の笑顔を。ではなく彼の姿を一先ず頭の片隅に置いて、目の前の事に集中するのだった。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「先輩すいません!本当にすいません!」
「お前のせいじゃない。俺こそ辛いことを押しつけて申し訳ない」
前半戦が終了して休憩の時間。控室に集まった俺達の空気は暗く澱んでいた。
現状の点数だけみれば同点。しかし勝負の流れが確実に相手に向いていた。
試合の進みとしてはまず、俺達桜里浜高校がリードして幸先の良いスタートを切った。
しかし相手も強豪校。リードは伸ばせず追いつかれたが、それでも1点差でこちらが優勢。このまま前半が終わると思ったとき、これまで球を投げ続けた先輩の腕が悲鳴を上げた。
幸い軽傷ではあったがこれ以上は投げるなと監督と顧問に止められた。そして先輩の代理として俺がマウンドに立つことになった。
練習は充分にやって来た。それこそ烏賊利、帆立と共に1年生前半の遅れを取り戻し、追い抜くために血反吐を吐くような思いをしてきた。そしてそれが認められて俺はこの場に来ている。
しかしいざあの場に立ちバットを構える相手と相対したとき、緊張で視野が狭まり、心臓が早鐘を打ち、体が強張るのを感じた。
ミスが許されない一度きりの本番。ここまで練習と違うものなのかとこの身を持って痛感した。
それでも逃げることは許されない。ここから球を投げられるのは俺しかいないから。例え未熟で惨めでも、俺が持っている全てをぶつけて挑むことしかできないから。
しかし覚悟と思いの強さだけで認められるほど現実は甘くない。俺の全力はたった1イニングで同点に。そのまま1点を逆転されたところで前半戦が終了した。
一言で言って最低の成績だ。むしろこれだけで済んだのは守備をしてくれた先輩方が奮戦してくれたから。下手をすれば取り返しがつかない状況になっていた。
先輩や監督は励ましてくれたけど、逆転した相手は勢い付いているし、辛い状況なのは変わらない。折角ここまで来たのに俺のせいで先輩が甲子園に行けないのは絶対に嫌だ。嫌だけど、この逆境を乗り越える強さが今の俺には無かった。
「気に病むなよ間蛸。とりあえず昼飯にしよう、な」
「何事も切り替えは大切だぞ」
「間蛸君、お疲れ様。はい、お水だよ」
「ありがとうございます」
「今日は頑張ってお弁当を2つ作ったんだよ。間蛸君はご飯とパンならどっちが好き?」
「好きなのはご飯かな。って、え?」
「あっ、やっぱり。間蛸君はご飯派だと思ったんだよねー」
そこに居たのはここに居るはずが無い人物。白銀と瑠璃色という特徴的であり美しい髪。小柄な体の後ろで心の赴くままに自由に揺れる尻尾。翡翠の宝石のように輝く瞳。紛れもなく言ノ葉詩音さんそのヒトである。
「えぇー!なんでぇ!?何で言ノ葉さんがここにいるのぉ!?」
「マネージャーですって言ったら通してくれた」
持ってきた荷物を漁る手を止めて満面の笑みをみせる言ノ葉さん。誰だこの素直な子に悪知恵を吹き込んだ奴は。本当にありがとうございます。
「どうして今日が試合があるって分かったの?俺言ったことないよね」
「昨日家に来た良介が教えてくれた」
「でもこんなに暑いのに。大変だったでしょう」
「えへへ、まぁね。でもわたし、どうしても間蛸君に会いたくなっちゃって」
嬉しそうに笑う様子から一転。俯き気味に視線を逸らして顔を赤らめる言ノ葉さん。それを見た先輩の何人かが胸を押さえて膝をつく。彼女に恵まれず青春の3年間を野球に注いだ彼らには些か刺激が強かったらしい。
ちなみに多分に誤解を含んだ言ノ葉さんの発言を意訳すると「暇だから友達がいるところに遊びに来た」である。その準備が過剰なのは「言ノ葉さんはそういうヒトだから」と納得するしかない。
でもこれに関してはいくら弁明しても先輩達の理解は得られないだろうなぁ。
それにしても暑いのが嫌いなのにわざわざ来てくれるなんて、嬉しい反面心配になる。
これは前に大狼から聞いた話しだけど、言ノ葉さんは自分の事には度々適当になるが、他人のためなら結構な無茶をしてしまうのだとか。
確かに保育園から頼まれた倉庫整理も最初は一人でやろうとしていたし。大狼はよく幼馴染をやれているとつくづく思う。
「はい、お弁当だよ!」
「いやでも何か申し訳なさ過ぎるんだけど」
「わぅん、間蛸君は私が作ったお弁当は要らないんだ。くぅーん」
「あります。頂きます。ありがとうございます」
機嫌良く揺れていた尻尾を萎れさせて落ち込む言ノ葉さんを見て断ることができる奴は人類には存在しない。今朝買ったコンビニ弁当の存在は忘れて、やたらと可愛いデザインのランチボックスを受け取る。
恐る恐る開けてみると中には容器いっぱいのオムライスが入っていた。隙間にはブロッコリーやプチトマトといったお弁当の定番の野菜と、あるだけで嬉しい小さなエビフライ。心なしか勇ましい表情をしたタコさんウインナーも詰められていた。
もしかしてこれは俺のことをイメージしているのだろうか。考え過ぎなら嬉しいが、わざわざ聞くのは恥ずかしい。いずれにせよ彩りや見た目だけでなく、遊び心込められたその弁当は細部にまでこだわっていることがよく分かる。
「ご飯お弁当は皆んな大好きオムライスだよー。でね、最後にちょっとだけ仕上げをします」
「仕上げ?」
そう言って言ノ葉さんはケチャップを取り出すと徐に文字を書き始める。添えてくれたメッセージは「ファイト!」の一言。最後にどこから取り出したのか、小さな旗を挿せば完成だ。
「な、何だこのリア充が爆発している弁当は」
「間蛸君はスポーツマンだからね。チキンライスにはもも肉ではなく高タンパクのむね肉にしてみたよ」
「配慮が行き届き過ぎている」
「間蛸の野郎。許さねぇ。絶対に許さねぇ」
先程まで励ましてくれた先輩達が呪詛を唱える中、俺は手を合わせてスプーンを貰い一口食べる。
食べ物の感想を上手く言う能力なんて俺には無いけど、言えることはただ一つ。俺は今までこんなに美味いものを食べたことがない。安直だけどこれ以上適切な感想がないんだから仕方ない。
オムライスをかきこむ俺を見て、言ノ葉さんは驚きながらも嬉しそうに笑っていた。
そのとき気付いたのだけど、彼女が食べていたのはパンがメインのもう1つのお弁当で、中身はカツサンドだった。
トンカツを食べて勝負に勝つ。昔からある験担ぎだけど、言ノ葉さんが思いを込めてくれたと察して、俺は心の底から喜びを感じた。
「ところで今って勝負はどうなっているの?間蛸君は勝っているの?ねぇねぇ、どうなの?」
「今は5回目が終わったところだよ。得点は1点差でこっちが負けているけど。勝負はここからさ!」
「へー、そうなんですね」
口が塞がっている俺に代わり、先輩が試合の状況を説明してくれた。が、俺と話していたときと比べて言ノ葉さんの反応が明らかによそよそしくなる。
そう、何故なら言ノ葉さんはとても良いヒトだけど、基本的に人見知りなのだ。そのうえ先輩と言ノ葉さんは初対面。楽しそうに揺れていた耳と尻尾が相手の様子を窺うように大人しくなる。
その反応の差を見て先輩は一言「負けた」と呟いて膝から崩れ落ち、四つん這いになり項垂れる。そう言えば俺も最初はこんな感じだったかもしれない。
「間蛸君はピッチャーなの?」
「うん。先輩の代わりにね。よく分かったね」
「だって野球のポジションそれしか知らないし」
「それでよくマネージャーを騙れたね」
「わぅー。ねぇ、間蛸君。もしかして体調悪い?」
「いやそんなことは無いけど。どうして?」
「何か元気なさそうだから。大丈夫?」
心配そうな表情で俺の顔を覗き込む言ノ葉さん。普段は皆んなが思う邪な感情にも全く気付かないのに、こういうときの勘の良さは凄まじいな。いや、俺もかなり顔に出ていたと思うけどさ。
隠したところで仕方がないから、俺は今の状況を素直に白状した。言ノ葉さんは時折頷きながら余計な事は言わずに黙って聞いてくれた。
「成程。つまり間蛸君はちょっと疲れているんだね」
「うん。うん?いやそういう訳では無いんだけど」
「それなら良い考えがあるよ。ちょっと待っていてね」
そう言うと言ノ葉さんは持って来た荷物を端に避けて、座り心地を確認する。そして良い具合のところを見つけたのか、準備できたと言わんばかりに自身の太腿を軽く叩いて俺を見た。
「さあ来い」
「えっ、何が」
「まだ休憩時間あるからお昼寝をしよう」
「それはつまり、膝枕で寝ろと?」
「わふっ!」
疑う余地のないほど満面の笑顔で肯定する言ノ葉さん。いやいや、同級生に膝枕をしてもらうなんて有り得ないだろ。何をどうしたらそんな状況になるんだよ。
「たくさん食べて、たくさん寝たら元気になるから。ねっ」
「ねっ、じゃないよ!百歩譲って仮眠を取るにしてもそれは駄目だ。超えてはいけない一線を超えているから」
「でも横にならないとゆっくりして休めないよ」
「それはそうだけど」
「ほらほら、早くしないと時間がなくなっちゃうよ。早く早く」
再び太腿を叩いて催促してくる言ノ葉さん。どうやら何をどう言おうとも譲歩するつもりはないらしい。どうしてこういうときだけ頑ななんだよ。
悪意皆無の悪魔との押し問答の末、結局俺が折れることになった。でもこれだけは言わせて欲しい。俺は本当に抗ったんだ。お願い信じて。
「寝心地はどうですかー?」
「ハイ、ダイジョウブデス」
「それはなによりだよー」
恐る恐る横たわり、言ノ葉さんに体を預ける。対して言ノ葉さんは俺が言うことを聞いたのが嬉しいのか、上機嫌に尻尾を振っているのが分かる。
目の前には怨霊と化した先輩達が祟ろうとしているが、ここまできたからにはもう開き直るしかない。そしてはっきり言おう。あんな魑魅魍魎の存在など意識から消滅するほどに至高にして至幸であると。
否が応でも伝わる柔肌の弾力は確かな温もりがある。しかし半ば無意識で頭に置かれた手は不思議と冷たく感じ、体の中の余計な熱を優しく冷ましてくれている。
あとはそう、何がとは言わないけど言ノ葉さんは大きかった。先程話していたときは気付かなかったけど、こうして真下から見ると、その存在感に圧倒される。だってそれのせいで言ノ葉さんの顔が見えないんだから。
この思考を続けてはいけないと目を閉じれば、機嫌良く揺れる尻尾が時々手に当たり、ふわふわな触り心地の余韻を腕に残して去っていくのを感じる。そう、目を閉じているが故により鮮明に想像できてしまうのだ。
呼吸をすれば春の陽だまりのように温かいのに、新雪のように冷たく澄んだ匂いが肺を巡り、その形が認識できた。こんな不思議な感覚は初めてだ。
やがて聴こえてくるのは言ノ葉さんの歌だ。鼻歌のため歌詞は無く、メロディーだけの旋律。しかしその音色は心を幸福で満たし、リズムを刻む小さな揺れは少しずつ、少しずつ俺の意識は微睡の中に落ちていった。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「ハッ!いま何時!?」
ふと意識を失っていたことを認識した俺は大きく息を吸って覚醒した。夢すら見ない程に深く眠っていた一方で、未だかつてないほど快活に目覚め、体の調子が良いことを自覚した。
時間を見ると休憩が終わる少し手前だった。アラームも無しでこんな完璧なタイミングで起きられたのは初めての経験である。
「間蛸君おはよー。ぐっすりだったねぇ」
「言ノ葉さん!?いや、本当にごめん。思いっきり爆睡してた」
「それだけお疲れだったんだよ。間蛸君も他のヒト達も」
そう言う言ノ葉さんに促されて周りを見ると、先程まで親の仇かと思う程に濁った目で俺を睨んでいたのに、全員がその辺で昼寝をしていた。どうやら歌を聴いただけで心が浄化されたらしい。
まさか高校生にもなって子守歌で眠らされるとは。言ノ葉さん恐るべし。
「うわぁ!もう午後の試合始まるじゃねぇか!急げお前ら!」
程なくして俺と同じように飛び起きた先輩は他の皆んなを叩き起こし、あっという間に控室を飛び出して行った。
取り残されて唖然とする俺を他所に空のお弁当箱や水筒の片付けをする言ノ葉さん。その自然体からして膝枕云々は本当に全く気にしていないようだ。それはそれで辛い。
「間蛸君、間蛸君」
「今度はなに」
「ちょっと屈んで。ちょっとだけ」
手招きをして催促する言ノ葉さんに従い、同じ目線になるくらい頭を下げた。するとそこに言ノ葉さんの小さい手の平が添えられる。
「なでなで、なでり」
「えっと、何これ」
「大丈夫。間蛸君ならきっとできるよ」
何だよそれ。大丈夫って、その根拠は一体どこから出てくるんだよ。
いや、でもそうか。そうだよな。勝てる根拠なんて最初からない。それでも言ノ葉は俺の事を信じてくれているんだな。
信じれば夢は叶う。なんて現実ではこれほど信用できない言葉は無いと思う。でもさ、言ノ葉さんが信じてくれた俺を、俺自身が信じられなければ望みなんてあるはずないよな。
俺は言ノ葉さんに感謝の礼を述べて帽子を被り先輩達の後を追う。先輩のためとか甲子園出場とかは二の次だ。今は男らしく単純に、友達に格好良いところ見せてやろうじゃないか。
烏賊「よう、間蛸。甲子園の出場決まったんだって?おめでとさん」
間蛸「そういうお前はこの前の試合も勝ったんだろ。大活躍だったらしいな」
烏賊「まぁな!でもそういう話しなら帆立の方が凄いぞ。何せインターハイで準優勝。桜里浜高校で初の快挙なんだから」
帆立「それほどでも、あるかな!」
間蛸「お前なぁ。あんまり調子に乗るなよな」
3人「あははははっ!」
間蛸(言えない。応援に来てくれた言ノ葉さんの手作りオムライスを食べた挙句、膝枕までされたなんて絶対に言えない)
烏賊(言えない。応援に来てくれた言ノ葉さんの手作りカツサンド食べた挙句、あの胸に抱き締められたなんて絶対に言えない)
帆立(そういえば帰りに豆腐を買うように母さんに言われてたな。忘れないようにしないと)




