EP-190 配信開始
その配信は事前予告もなく唐突に始まった。その日その時間に偶然気付いた数人が特に意味もなく、何かの作業時に聴き流すラジオとして見る。誰もがその程度の感覚だった。
『えーっと、始まった?あ、始まったかな。それではえー、リスナーの皆さんこんばんは。月見メイだよー。今宵も微睡の泡沫にいらっしゃいませー』
お決まりの挨拶に続けて取り留めの無い雑談をする月見メイ。必要以上にキャラを作らず自然体でいるのは彼女の魅力の一つだが、配信者として目を引く特徴がなく面白みに欠ける。そのため有象無象に埋もれている1人というのが世間の評価であった。
しかしそれは今夜の配信がきっかけで大きく変わることになる。
『さて、そろそろ本題ね。実はいま私の友達が遊びに来ていて、突発的だけどゲストとして出てくれることになったんだ。
ゲストと言っても一般の子だからお手柔らかにね。それではどうぞー』
『———』
『あ、ふぇんりるちゃん。マイクの電源が入ってない。ここを弄って、そうそう』
『———、——』
『ふぇんりるちゃん、ふぇんりるちゃん。マイクがミュートになってる。これをこうして。あ、違う違う』
『わうぅ、メイちゃんこれ難しいよぅ』
『あ、ふぇんりるちゃん。今の声聞こえちゃったよ』
『えっ、うそ!はわわ』
『大丈夫だから落ち着いて』
『わふっ、ええっと。が、がおー、ふぇんりるだよー』
『良いね。そのまま何か一言ちょうだい』
『えっとね。この前パパにほうれん草を買って欲しいとお願いしたら、間違えてセロリを買って来ました』
『それどこに間違える要素あるの?』
『サラダにして美味しく食べました』
『美味しく食べられたのなら良いかぁ。ということで私の友達のふぇんりるちゃんですー。はい拍手』
嬉しそうに手を叩く月見メイだが肝心のゲストは有名な配信者でも何でもない。紹介の通りごく普通の一般人である。ただの友達と他愛もない会話をするだけの配信なんて、無名の彼女がやったところで需要があるのか甚だ疑問である。
しかしいま、この時に限っては偶然の連鎖が起きていた。最初の契機は二人が出会い親友になったこと。2つ目は詩音が配信に参加したことだ。
月見メイが運営するチャンネルの登録者にはある特徴がある。本人が言う通り、月見メイのファンは現状ほとんどいない。それでも他の人気配信者がいる中で見つけたということは、暇さえあれば動画を見て、面白いものを探しているようなヒトであるということだ。
まるで砂漠の真ん中で喉を渇きを癒すために水を求めるように、毎日面白そうな動画はないかと漁る日々。そんな彼ら、彼女らが知らないはずがないのだ。去年に起きた伝説の事件。後にポテトショックと言われることになる事件を引き起こしたあの動画のことを。
ちなみにその配信は今はもう見ることができない。公開された直後に何故か削除されてしまったからだ。しかしリアルタイムで配信を見ていたヒトの記憶には今も鮮明に焼き付いている。
画面の端で映り込んでいたもふもふの獣耳が揺れる光景。コロッケの作り方を一生懸命説明するその声。ふとしたときに口ずさむ美しい音色。揚げるときに跳ねた油に怯える様子。ついでに仮称シャーク君を羨み、そして憎んだ当時の感情。他にも印象に残ることを挙げればキリがないほど衝撃的な配信だった。
そんなことをかつて経験した視聴者達は気付いた。月見メイとセロリの話しで盛り上がるその子の声の主があのときと同じ人物であることを。というかどちらも「ふぇんりる」と名乗っているのでほぼ確定である。
そして彼らは、彼女らは理解した。今このとき、伝説が再臨したということを。そしてこの奇跡を全世界に広めるべく、一斉にあらゆるコミュニティに情報を拡散した。配信している2人があずかり知らないところで。
『さてと、いつもなら事前に話しのテーマを決めていたりリスナーさんから話題を募ったりするんだけど。最初に言った通り今日の配信は急遽決めたからね。どうしようかなー。ふぇんりるちゃんは何か良い案ある?』
『んー、私はもっとメイちゃんのことが知りたいな。好きな食べ物とか』
『それならテーマはお互いのことを知るということで。ちなみに私が好きな食べ物は和食全般なんだけど、ふぇんりるちゃんは?』
『クリームシチューだよ』
『クリームシチューか。なんかふぇんりるちゃんっぽいなー』
『ふぇんりるちゃんは何か趣味とかある?時間が空いているときによくやることとかさ』
『家ではママのお手伝いをすることが多いかな。一緒にご飯を作ったり、家の掃除をしたり。洗濯とかアイロンがけとかもやるよ』
『それは専業主婦のタスクだよね。いやとても立派なことだけど。何かもっとこう、暇なときに何をして遊ぶのか知りたいな』
『毛繕いです』
『誰からも共感を得られない趣味だね』
『近所の犬や猫と遊んだり、お話しをすることもあるよ』
『誰からも共感を得られない趣味その2だね』
『あとはそうだな。知り合いの女の子にピアノを教えたりとかするよ』
『へー!ふぇんりるちゃんピアノ弾けるんだ』
聞かれるがままに質問に答えるふぇんりる。特異な特性と無自覚な天然が混ざった回答は控えめに言って混沌としていた。本人としては聞かれた事に素直に答えているだけなのだが、それを知るのは本人を直接知る月見メイだけである。
『私は配信とか動画を編集ばかりだよ。たまにお姉ちゃんの手伝いをするくらい』
『メイちゃんはゲーム実況?っていうのをやっているんだよね。どういうのをやるの?』
『テレビゲームとかPCゲームとか色々やるよ。ホラーゲームの配信とかもするし。でも基本は1人で遊ぶやつが多いね』
『私はゲームってあれしかやったことない。太鼓を叩くやつ』
『ふぇんりるちゃんは音ゲ―が得意なんだ。でも確かにピアノが弾けるんだから音感はあるか。私はそういうの全然ダメだよ』
『どうして?メイちゃんの声はとても綺麗なのに』
『いやいや、歌なんて歌ったことないもん。小さい頃から音痴って言われていたし』
『音痴なのは音の出し方を知らないだけだから、練習すればすぐに良くなるよ。メイちゃんの声は普通のヒトにはない独特の波長があるから、他では聴けない歌が歌える。このままにしておくのは勿体ないよ』
『そうかなー。そうだったら嬉しいなー』
『何ならメイちゃんをイメージした曲とか作るのも良いね。どんな感じにしようかな』
『あはは。楽しみに待っているね』
月見メイはやや適当な相槌を打ちつつ、さてリスナーの反応はどんなものかとコメントを見て、そこでようやく気付いた。この配信の視聴者数が未だかつて見たことがない速さで急激に増えていることに。それに合わせて自身のチャンネルの登録者数が爆発的に増加していることに。
『メイちゃん、どうしたの?』
『いや別に。そろそろリスナーからの質問にでも答えていこうかと思って。良さげなコメントを探していたんだ』
『コメント?コメントってどこにあるの?』
『ここだよ。この配信を見ているヒトがリアルタイムで感想を送っているんだ。皆んなも私やふぇんりるちゃんに聞きたいことがあったら教えてね』
ほんの一瞬思考を巡らせた月見メイはとりあえず全部見なかったことにしてふぇんりるとのお喋りを楽しむことにした。きっと明日以降の自分が何とかすると信じて。これぞ問題の先送りである。
配信で話せないような内容を書いた連中はふぇんりるが気付かないうちに無言でブロックしつつ、丁度よさそうな質問を取捨選択する。月見メイ自身が聞きたい質問の採用率が高いのはご愛敬である。
『それでは1つ目の質問。ずばり、好きなヒトはいらっしゃいますか?』
『好きなヒトかー。やっぱり家族の皆んなだね。後は海月ノアちゃん。友達の、えっと、狐鳴さんでしょ。あとは鮫島君と、猫宮さんと』
『あ、皆んなごめん。私が返しをミスしたばかりに友情路線に行ってしまった』
『他には雲雀さんでしょ。あとは大狼でしょ』
『そうかー。ふぇんりるちゃんは友達がたくさんいるんだねー。では次の質問です』
かなり強引に話題を終了させた月見メイは次こそリスナーが求めるである質問を選ぶ。ふぇんりるだって年頃のもふもふ。それだけ友人関係があるなら色恋に関わる話題の1つや2つはあるはずだ、と。
例えそれらが分からずとも友達として仲を深めるためにふぇんりるの好みは知りたいところだ。そのプロフィールを埋めることが月見メイの当面の目標である。
『もしもふぇんりるちゃんが誰かとデートに行くなら、どこに行きたいですか』
『でーと?デートってあの女のヒトとお出かけすること?』
『うん。うん?いや、ふぇんりるちゃんの場合は男のヒトとお出かけする場所かな。勿論私は女のヒトとそういうアレでも良いと思うけど』
『男のヒトとお出かけする場所。うーん、そうだなぁ』
尻尾を揺らしながら首を傾げて唸るふぇんりる。思わず頭を撫でたくなる愛らしさ仕草をしているが、画面の向こうにいるリスナーにそれは映っていない。
自分のようにアバターがあれば一緒に映ることもできるだろうが、無いものはどうにもならない。
そもそも一般人のふぇんりるにそこまでさせるわけにはいかない。でも画面の中で動く彼女を見てみたいのも本音である。
『言っておくけどお父さんとのお出かけとかはナシだから』
『それなら水族館とかどうかな。あとは遊園地』
『おー、どっちもデートの定番だ。やったぞ皆んな』
『ふふん。なにせこの前の連休で実際に行ったからね』
『えっ、実際に行ったの?本当に?』
『うん』
『えっ、男子と一緒に2人っきりで?』
『うん』
『手を繋いで歩いたりしたの?2人でアトラクションに乗ったり、ご飯を食べたりしたの?』
『うん』
『うへぇー、ふぇんりるちゃん大人だねぇ』
『でも大変なこともあったんだよ。急にホテルに泊まることになったりしてさ』
『2人でホテルにお泊り!?』
『ベッドも1個しかなくて本当に大変だったんだから』
『ベッドが1つしかない!?』
『おまけにお互い色んなところが濡れているし』
『ストップ!ストップふぇんりるちゃん!これ以上はダメ!私のチャンネルが終わる。色々な意味で終わっちゃう!』
『えー、メイちゃんが聞きたいって言うから言ったのに』
『私が悪かった。全面的に謝罪するから。どうかもう勘弁してください』
『良いよ。というか怒ってないよ』
話題を振って少し弄ってやろうと思いきや、まさかの方向に話しが逸れてとんでもない反撃を受けた月見メイ。
このとき配信を見ていた多数ののヒトの胸中にドス黒い何かが渦巻き、同時刻にとある青年が未だかつて経験がない悪寒に震えていたのだが、それがふぇんりるの耳に入ることは無かった。
尚、月見メイだけは配信後にて事の詳細が聞けたため誤解は解けたことが唯一の救いである。
『もうこの手の話題は禁止。もう絶対にコメントも拾わないから』
『コンペイトウの拾い食い?』
『何をどうしたらそんな聞き間違いが起きるのかな。ほら、ここにリスナーが書いてくれたコメントが流れているでしょ。ふぇんりるちゃんも面白そうなのないか探してみて』
『リスが描いたコンペイトウ』
『可愛い世界観だねぇ。んー、私だけではなくふぇんりるちゃんが動いているところを見たいっていうヒトが多いね』
『へー。でも私はアバターっていうの持ってないよ』
『そうだね。最初にも言ったけどふぇんりるちゃんは一般の子だからそういうの無いんだよ』
『メイちゃんみたいな可愛い絵があったら嬉しいけどねー』
『あっても使う機会ないでしょ』
『確かに。でもまたメイちゃんとお喋りするときがあったら役に立つかもよ』
『えっ、それって今後も機会があればお話ししてくれるってこと?』
『それはそうだよ。今日だけしかお喋りしないなんて悲しいもん。友達なんだからさこれからもたくさんお喋りして、たくさん遊ぼうね』
『友達。うぅっ、ふぇんりるちゃん好き』
『私もメイちゃんのこと好きだよー』
『まさか出会って1日で友達から両想いになるとは思わなかったよー。っと?』
ふぇんりると楽しい雑談に花を咲かせていると、月見メイの元に一通のメールが届いた。送り主には心当たりはないが、どうやらイラストのデータが送られたらしい。
しかし今は配信中。一先ず後で確認することにして、月見メイは次の質問を探してはふぇんりるに聞いたり自分で答えたりして雑談に花を咲かせる。
結局、ふぇんりるが寝落ちする一歩手前になるまで続いたこの長時間配信は初めて本人が公認、かつ登場した動画として電子の世界に拡散していくことになる。
これが夜桜未月。そしてこのときはまだ無名の月見メイの人生最大の転換期となったのは言うまでもないだろう。
鮫「うわあぁ!?」
柚「どうしたのなっちゃん。急に大きな声を出して」
鮫「いや、何かいまだかつて感じたことがない程の強烈な悪寒がして」
柚「風邪でも引いたのかね。お風呂空いたからさっさと入って暖かくして寝なよ」
鮫「うん。そうするよ姉さん。お休み」
柚「お休みー。さて、私は寝る前にちょっと動画でも見ようかな。ん、月見メイ?何か知らないけどめっちゃおすすめされているな。よし、今日はこのヒトの配信を見ながら寝よっと」




