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ふぇんりる!  作者: 豊縁のアザラシ
183/199

EP-183 それぞれの職場体験 鮫・猫

 詩音が保育園で子ヤギ達に弄ばれていたその頃。桜里浜の町にある量販店の1つに鮫島(なつめ)はやって来た。

 理由は彼の職場体験先がここだから。普段利用する機会が多いからこそ、消費者としては見ることができない裏手の仕事がどんなものか知りたい。それがここを体験先に選んだ理由である。


「いやー、まさかサメっちと同じチームになるとは。これからよろしくね」

「うん。こちらこそよろしく。音々(ネオン)さん」

「ノンノン。私のことはネネちゃんと呼んで」


 鮫島と同じ店員から仕事を教えてもらうのは音々(ネオン)天琥(テトラ)。彼女がこの体験先を選んだのは正直な話し、あまり前向きな理由ではなかった。

 というのも、量販店が学生にやらせる仕事で多いのはレジの打ち方や品出しなど、教えれば誰でもできるような雑務が多い。そうしたアルバイトを経験している学生ならほとんど苦労しないだろう。

 だからこそ、職場体験にあまり興味のない学生が楽だからと選ぶことが多い。音々もどちらかと言うとそうした思惑がある生徒の1人だ。


「説明はこんなところか。で、何か聞きたいことはある?」

「大丈夫でーす」

「では1つ良いでしょうか。あの空きスペースなのですが」


 形式上のやり取りで済む。そう思ったところで積極的に質問する鮫島。今どき珍しい子だと思いつつ、店員はその質問に答える。

 そのスペースは先日まで実演販売士のヒトがおすすめの商品を販売していたらしい。今はもうやっていないのだが、陳列のレイアウトの整理がまだ済んでいないためスペースが空いているのだ。


「興味あるならやってみるかい?店長に話しを通せば融通してくれるとは思うよ」

「いやぁ、そんな急に言われても何を売れば良いのか」

「それもそうか。それじゃあ品出しについて説明するからついて来て」

「はーい」


 店員の後をついて行きバックヤードに移動した2人は改めて仕事の説明を受ける。専用のカートに商品を乗せて再び戻ろうとしたとき、それは起きた。


「あれ?店長、こんなところでどうしたんですか?」

「あぁ、君か。いや少し困ったことがあってね」


 店長と呼ばれたそのヒトは目の前に積まれた段ボールを見つめて深い溜息をはいた。

 店長曰く、先日仕入れた商品が予定していたものと違うものだったらしい。更に仕入れた数にも誤りがあり、予想以上の量が届いてしまったのだそうだ。


「それで何を頼んだんですか?」

「砥石だ。知っているか?包丁とかの刃物を研ぐときに使う石だ」

「砥石、ですか」

「包丁とセットで売るという上からの指示でな。問題なのは値段だ。リーズナブルなものを発注したつもりが何を間違えたのか、かなり上等なものが届いたんだ」


 質は良い。しかしそれは値段もそれ相応なものであり、店に訪れる客層には需要がないというのが店長の見解である。

 幸い鮮度とは無縁の商品ではあるが、重くて嵩張る荷物はそこにあるだけで業務に支障を与える。故に店長はどうしたものかと頭を抱えていたのだ。


「砥石ね。確かに家には無いけど、かと言ってわざわざ買うことはないよね。包丁を買い替えた方が早いもん」

「そうだなぁ。気にはなっていたけどお金がちょっと。普段は茶碗の底で代用しているし」

「え、包丁って茶碗で研げるの?」

「うん。陶器製のやつならね」


 さり気なく生活の知恵を披露する鮫島に若干引き気味の音々。そうとは知らず興味本位で荷物を覗いた鮫島は次の瞬間その眼を輝かせた。


「こ、この砥石って!前にプロの料理人がおすすめしていたやつだよ。結構良い値段だけど使い易くて凄い効果が出るって」

「へー、その料理人って誰?」

「詩音のお母さん」

「ワォ」


 まさかの知り合いの登場に驚きを隠せない音々。そう言えば鮫島は彼女が以前投稿していた料理動画の視聴者だと聞いたことがある。どうやら細かなところで影響を受けているようだ。


「それなら鮫島君。折角だからこの砥石を実演販売してみるかい?」

「えっ」

「これ1個あげるからさ。家で試して使ってみると良いよ。それで明日お客さんの前で売ってみてくれ」

「良いんですか!これかなり高いやつですけど」

「良いよ良いよ。見ての通りたくさんあるから1個くらい。何ならたくさん売れたら報酬として別に何か用意しよう」

「あ、ありがとうございます!」


 砥石を貰って喜ぶ男子高校生がこの世に一体どのくらいいるのだろうか。生憎と音々はその答えを持ち合わせていない。

 後に彼女は実演販売で高級砥石を飛ぶように売り捌き、以降もあらゆる商品を売りに売って店長達に神と崇められる同級生の姿を目にすることになるのだが、それはまだ先の話しである。


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


 鮫島が量販店で職場体験の説明を受け始めたときと同時刻。猫宮(ねこみや)芽衣理(めいり)もまた目的地に到着していた。

 草木や花に彩られた庭の自然と調和したその建物はまるで魔法使いの隠れ家のようで、一見すると動物病院とは気付かないかもしれない。

 しかし建物に近付けば病院らしい薬の匂いや動物の鳴き声が聞こえるため、やはり場所はここで合っているのだと確信する。


「なんか良いな。こういう雰囲気」

「妖精さんとか小人さんとか出てきそうだねー」

「馬鹿なことを言っていないで行くわよ」


 その景観に感嘆の声を漏らす槌野と小鹿と共にドアベルを鳴らす猫宮。3人を迎えたのはヒトではない。受付に置かれた止まり木に佇む一匹の(フクロウ)だった。


「えっと?」

「あ!もしかして職場体験に来た学生さんですか?」

「はい、そうです」

「こんにちは。私は戌神(いぬかみ)造美(つぐみ)です。竜崎先生の助手兼トリマーをやっています」


 学生相手にも丁寧な挨拶をする戌神に自然と頭が下がる3人。彼女達は今日からここでトリマーの仕事を体験するのだ。

 母親と同じ医者を志す猫宮としては近しい仕事として獣医師について学びたいと思っていたが、流石に命を預かる責任がある仕事。学校の職場体験ではできない。

 それでも合間の時間に話しを聞くだけでも貴重な経験になるはず。そんな思いを胸に猫宮は他の学生以上にやる気を漲らせていたのだ。

 しかし思いの強さと実際にできる事には差異が生じるものである。


「猫宮さん、落ち着いて。落ち着いて、ね」

「大丈夫です。落ち着いて、冷静に、こう!」

「「「ヒェッ」」」


 猫宮のハサミ捌きに息を飲まずにはいられない戌神。その緊張は素人である槌野と小鹿にも伝わり、無意識のうちに拳と奥歯に力が入る。

 しかしこの中で一番心中穏やかではないのは今まさに猫宮にカットされているひのえだろう。いつも思うがままに竜崎を翻弄している彼女が微動だにしていない。否、できないくらいには余裕がなくなっている。

 ちなみ相方のこのとは既に満身創痍で戌神の足下に倒れている。彼の体力はもうゼロだ。


「よし!ちょっと休憩。休憩にしよう!あまり根を詰め過ぎるのも良くないからね」

「大丈夫だぞ猫宮。不器用ということは伸び代に溢れているということだからな」


 容赦のない槌野の言葉は小鹿の右ストレートが腹部に突き刺さることで一先ず収まった。しかし彼の言葉は紛れもない事実であるため、猫宮の心に重くのしかかる。

 コンビニで買ったサンドイッチを咀嚼しながらも考えずにはいられない。果たして自分は母親のような素晴らしい医者になれるのかと。

 思い悩む猫宮とかける言葉が見つからない2人。気まずい空気が流れる中、現れたのは事情を知らない竜崎だった。


「うぇーい、お疲れー」

「お疲れ様です」

「トリマーの仕事はどうよ?結構大変だろー」

「はい。急に動いたりするからびっくりして。全然上手くできませんでした」

「あはは。まぁ、そうだろうなー」


 いつものようにインスタントコーヒーを淹れる竜崎。そのとき、半開きになっていたドアの隙間からすり抜けるようにココロワが入り、彼の肩に飛び乗った。

 竜崎は特に気にした素振りもなく空いた席に腰を下ろす。その後カップに口を付ける僅かの間、彼の視線は猫宮に向けられた。


「しかしまぁ、ここにはてっきり詩音君が来ると思ったけどなー。君らは他にも体験先がある中でどうしてここを選んだの?」

「俺と小鹿は第一志望が抽選で外れたので」

「えっとー、槌野君だっけ。君、建前って言葉の意味を知っているかい?」

「すみません!もう、槌野の馬鹿!」

「あはは、冗談冗談。進路云々と言いつつも高二の前半なんて大抵はそんなものだから」


 和やかな会話が進む中、いつの間にか猫宮に近付いていたココロワが珍しく鳴いて注目を集める。主人の意図を察するとは、実によくできた猫である。


「私はお母さんみたいな立派な医者になりたいんです。それで体験先の中で近い仕事だと思ったのがここだったので」

「あ、俺に用があった感じなのね。さすが猫宮さんの子。(したた)かだなー」

「お母さんを知っているんですか?」

「うん。会ったことはないけど医者なら知らないヒトはいない有名人だからねー」


 猫宮が随分と高い志を持っていることを知った竜崎はコーヒーを片手に思案する。


「猫宮さんといえば一流の外科医だけど、芽衣理さんも同じようになりたいの?」

「はい。私もお母さんみたいに色んなヒトの役に立ちたいんです」

「ほーん。でもあれだぞ。どんなに凄い外科医でも1人でヒトを救うのはできないものだよ。麻酔科や臨床工学技士がいないと手術はできないからねー」

「それは確かにそうですけど」

「内科や精神科のような他の科だってヒトを救うことができる立派な仕事だし、医療関係って話しなら看護師や薬剤師なんてのもありだし。歯科医師は、厳密には医師とは違うけど良しとしよう」


 竜崎はおやつとして用意していたおさかなクッキーを1枚取り、残りを皿に乗せて3人に振る舞う。今回はヒトが食べるために焼いたためココロワはお預けだ。


「要はあれだ。君とお母さんは親子であっても別のヒトだから、お母さんができることが君にもできるとは限らない。その逆も然りだ。憧れのヒトと同じになりたいっていう思いが悪いとは言わないけど、自分がやりたい事とは別に分けて考えると良いぞ」


 早いうちから将来の目標を定めて邁進することは良いことだ。しかしそれ以外の可能性を排除してしまうと、道中で躓いたときに融通が利かなくなってしまう。根がまじめな猫宮だからこそ、竜崎はその固さを懸念していた。


「さーて、俺はひのえとこのとの毛刈り姿でも拝みに行くか―」

「竜崎さん。良かったらまた今度相談に来ても良いですか」

「ん、構わんよー。詩音君が定期検診に来るときにでも便乗するがよろし」

「ありがとうございます」


 皺が付いた白衣をはためかせ、竜崎は部屋を出て行った。残された猫宮は目を閉じて丸まるココロワを撫で、言われた言葉を頭の中で反芻し考えを巡らせる。

 母親のような立派なヒトになりたいという気持ちは変わらない。しかし母親と同じ外科医になりたいかと問われると芽衣理は答えを出せなかった。

 すぐに答えられない。それが既に答えであると彼女が気付くのはもう少し先の話しである。


 

子どもA「おれ詩音のこと大好き!」


詩「えへへ、ありがとう」


子どもB「わたしも詩音お姉さん好き」


詩「そっかぁ。でもお姉さんではなくお兄さんだからね。そこ結構大切なことだからね」


子どもC「いつか大きくなったら詩音お姉さんとけっこんするんだ」


詩「ありがとうね。あとお兄さんだからね」


馬「幼いうちから言ノ葉さんをこんなに過剰摂取しちまったら。あの子らの何かが歪みそうで俺は怖い」


人「何かって性癖ですか?」


馬「言うなよ!明言するのを避けた意味ないだろ!」

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