EP-182 それぞれの職場体験 詩音
私と同じグループになったのは馬場御崎君と人形造里さん。どちらも顔見知りなのは猩々先生の計らいかな。
「相変わらずもふもふしているなー。やっぱり抜け毛とか凄いのか?」
「うん。換毛期は他のことが手に付かないくらい大変だよ。もうね、分身が作れるくらい抜けるの」
「分身か。うん、いまいち想像できないけど大変なんだなってことは分かった」
「そういう編みぐるみありますよね。犬や猫の抜け毛でその子そっくりなぬいぐるみを作るっていう」
「何だろう。ざっと想像しただけでも欲しがりそうな奴が結構いる気がする」
確かに。馬場君が言う通り狐鳴さんや愛音は間違いなく欲しがるだろうな。
何より私自身がちょっと欲しいと思ってしまっている。そして自分の部屋と「Lesezeichen」の隅っこに飾りたい。この件は前向きに検討しておくとしよう。
さて、この少々珍しい組み合わせで行く職場体験の行先は一体どこなのか。自分で言うのもアレだけど、ちょっと想像し難いと思う。
と言っても私は普段から何度も来たことがあるんだけどね。
「まさかこの歳で来ることになるとは思わなかったな。桜里浜保育園」
「き、緊張してきました」
「大丈夫だよ。保育園の先生は皆んな良いヒトだから」
桜里浜保育園は乃亜ちゃんがお世話になっている保育園。私は彼女のお迎えを定期的に頼まれている。故にここには何度も訪れている。
ここの保育士の方々とは顔馴染みだし、園児達ともだいぶ打ち解けている。当然私の事情を理解しているし、承知したうえで受け入れてくれている。
この保育園なら猩々先生も安心だろう。私としても知らない場所に行くよりはずっと楽で良い。何より乃亜ちゃんが居るし。
「外には誰もいない。皆んな中に居るのでしょうか」
「よし、折角だからバレないように行って皆んなを驚かせよう」
「あっ、詩音だ!詩音がそとにいるぞ!」
「意気込んで2秒でバレたな」
敷地を囲う柵を開けた途端に気付くと、彼は部屋の中から窓ガラスに貼り付く勢いで歓迎してくれた。そしていつものように保育士の方々に引き剥がされていく。相変わらずで何より。
ちびっ子達が行き交う中、一先ず私達は職員室に案内してもらった。その短い道中ですら私の尻尾が狙われたのは言うまでもない。
「えっと、馬場御崎君と人形造里さんだよね。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
「ここでは乳児から年長さんまでいるけど、3人には年少さん以上の子達と遊んでもらおうかな。あとはちょっとした雑務ね。それじゃあ早速説明していくよ」
1日のスケジュールとしてはまず午前中が自由時間。その後はお昼ご飯を食べて紙芝居や童話の読み聞かせをする。
それからまた自由を少し挟み、おやつを食べた後にお昼寝をする。後は親御さんのお迎えが来るまでお世話をする。というのがおおよその流れになる。
一見楽そうに見えるけどそれは園児達の話し。保育士のヒト達にとっては一瞬の油断も命取りになる戦争に等しいのではないだろうか。
というのも乃亜ちゃんのお迎えに来たとき、ほんの少しだけ遊ぶことがあるのだけれど、僅か30分の間だけでもそれはもう色々なところで色々なことが同時多発的に起こるのだ。あれに的確に対応するなんて、保育士のヒトは本当に凄いんだよ。
「それでは後は実際にやりながら教えるとして。早速子ども達の相手をしてもらいましょう。ここの子は皆んなやんちゃだから覚悟してねー」
「ひえぇ」
「こら、学生さん達を怖がらせないの。何かあれば迷わず私達を呼んで良いからね。で、これがエプロン。荷物はここに置いて良いから着替えちゃって」
「はーい」
渡されたエプロンは子どもが喜びそうな可愛らしいデザインだった。高校生、それも男子が着るのは少々難易度が高いだろう。現に馬場君はポケットになっているクマさんの瞳と目が合って気後れしているみたい。
しかし「Lesezeichen」の制服を着ている私には今更このくらいどうということはない。いつもの制服は勿論のこと、この1年で期間限定と称した数多の業をこの身に宿してきたのだ。あのときに着たアレに比べればこの程度は児戯に等しい。
準備が整ったところでいよいよ職場体験の開始だ。先生の召集により騒がしくも集まる皆んなに挨拶をする。
とは言え私のことは既に知られているので、自己紹介をするのは主に2人だ。何せ当初は「わんわん」と呼ばれたのが名前で呼ばれるようになるくらいには通っているからね。今更紹介することもないのだよ。
「それでは皆んなお兄さんとお姉さんと仲良く遊ぼうね。では解散」
「「うわあぁー!」」
「うわあぁー!?」
先生が合図をした瞬間、堰を切ったように迫る子ども達。押し寄せる波に逃げる間もなく押し流された私は瞬く間に身動きが取れなくなる。
「詩音、また一緒におままごとしようよ」
「かくれんぼするって約束しただろー」
「詩音画伯。また絵をかいてー」
「誰だいま私のことを画伯って言った奴は!」
「絵本読んでー」
「また歌を歌ってー」
「ノ、ノアちゃーん!助けてー!」
「しおんねーねー!」
保育園の職場体験。正直に言うと甘くみていた。皆んな知り合いだし、遊んだことも何度もあるからどうとでもなると思っていた。
しかしそれは夕方のお迎えの頃の話しだ。まだ朝の元気が有り余る子どもの戦闘力は3倍増しに強い。単純に体力があるのもそうだけど、テンションに任せた勢いで飛びついてくるときの衝撃が尋常ではないのだ。
これはプロレスなのか、それともラグビーか。「保育」というより「格闘技」という方が適切だと思う。
「人形さーん!助けてー!」
「それじゃあ向こうでぬいぐるみ遊びしようか」
「ば、馬場君!」
「よしチビ共。かくれんぼでも鬼ごっこでも付き合ってやるぞー」
「せ、先生!これは無理!無理です!」
「いやー、言ノ葉さんが来てくれて良かった。久しぶりに有給でも取るかな」
三者三様に伸ばした手を払われた私はその後、勇敢にも立ち向かった勇者に救出されるまで切なく鳴くことしかできなかった。
これが遠慮を忘れた園児の本気。職場体験、恐るべし。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「しおんねーね、元気だして」
「くぅーん」
保育園児に慰められる男子高校生という酷い絵面を晒すこと少し。園児の皆んなも私もようやく落ち着いたところで普通に、そう普通に遊びを始める。
外遊びは一先ず馬場君に任せて私は人形さんと一緒に室内で遊んでいる。
「これ可愛いー!どこにあるの?」
「それは、その。私が作ったの」
「すごーい!造里お姉ちゃんすごーい!」
「に、似ているやつならまだあるから。欲しいなら明日持って来るよ」
「良いの?ありがとう!お姉さん大好き!」
人形さんのスクールバッグに付いているぬいぐるみのキーホルダー。どこかで見覚えがあると思ったけど、以前貰ったふぇんりるぬいぐるみと同じやつだった。
私が貰ったあの子は今も私に代わって部屋のお留守を任せているふぇんりるがこんなところにも出没するとは。人形さんは生み親だから当然だけど、その愛くるしさは園児の心もしっかり掴んだみたいだ。
一方で私はというと、ご機嫌な乃亜ちゃんを始めとした子ども達に絵本の読み聞かせをしている。タイトル「狼と七匹の子ヤギ」。でも何故か私が知っている物語と違う。
というかこれ、去年の文化祭で私がやった演劇だね。一体いつの間に絵本ができたのか。そして何故それが桜里浜保育園にあるのか。謎である。
馬「こいつら、昼寝の時間になっても絶対に寝つかないと思っていたんだが」
人「はい」
馬「まさか数分で全員を寝かしつけるとは。さすが言ノ葉さん」
人「まさに魔法使いみたいでした」
詩「いやいや、子守歌を歌っただけで大袈裟だよ」
人「いいえ。大袈裟ではありません」
馬「そうだ。あれこそまさに天女の歌声」
詩「や、やめて。恥ずかしいよぅ」
馬(なんだこの可愛い生き物は)
人(新作のイメージが泉のように湧いてくる)




