EP-178 油断大敵
鮫島君との楽しいお出かけを堪能した翌日。楽しかった思い出はまだまだ冷めることはないけれど、体の方には溜まった疲労が押し寄せていた。
何せ本来なら1日だけのお出かけする予定が急遽2日になったのだ。加えて水族館も遊園地も思いっきり楽しんだのだから当然だよね。
ということで今日1日はお家でまったり過ごしています。ご飯の支度も全てママにお願いして、午前は罪悪感を抱かない程度に宿題をする。午後からはのんびりと寛ぐのだ。
「わふわふ」
「詩音。明後日の予定なんだけど」
「んー」
「ちょっと詩音。休みだからって気を抜きすぎよ」
「わふー」
賢狼モードとなってソファを占領したまま生返事をする私。琴姉ぇは呆れたように溜息を吐いたものの、僅かにあった隙間に腰を降ろして私に体を預ける。
対して私は特に拒む理由もないので、揺らしていた尻尾を琴姉ぇの膝の上に置く。これ、程よく温もりを感じられて気持ち良いですね。
「これはまずい。寝不足の身には抗い難いものがあるわ」
「琴姉ぇ寝てないの?大学の勉強大変?」
「うん、そっちは問題ないの。心配してくれてありがとう」
「そっかぁ。私に出来ることがあったら言ってね。頑張ってお手伝いするよ」
「そうねー。それはまた夏くらいにお願いするかな。でね、ママが明後日の予定を聞いているんだけど」
『たーだいまー!』
琴姉ぇはそう言葉を続けたところで玄関から愛音の元気な声が響いた。そういえばしばらく姿が見えなかったな。一体どこに出かけていたのやら。
どこか名残惜しそうな琴姉ぇと一緒に迎えに行く。この行動こそこの連休で最大の過ちとなるとも知らずに。
「愛音お帰りー」
「あっ、ちょっと待って!」
玄関から顔を覗かせたとき、愛音が焦りを言葉に含ませた。その理由は直ぐに分かった。
彼女の背後にはよく見知った顔があったのだ。
「おっ、犬だ」
「わぁ、可愛いー」
「お邪魔します」
「ふぎゃあー!イッヌだー!」
そこにいたのは良介を始め、飛鳥さんと猫宮さん。更には私を見るや否や勢いよく距離をとる狐鳴さん、どうやら愛音は出先で4人と遭遇して家に連れて来たらしい。
どうやら事前に連絡はしていたらしいのだけど、携帯電話を携帯していない私はそれに気付くことができなかったのだ。琴姉ぇも先程まで半分夢の中にいたため、いま初めて気付たらしい。
「ごめんなさい。愛音がメッセージを送っていたのに気付かなかったわ」
「そっかー。折角皆んなで遊ぼうと思ったけど無理かなー」
「そうねぇ」
自然な会話を装いつつも2人の視線は私の方に向けられている。
約束のやりとりに多少の行き違いがあった事は大した問題ではない。実際、愛音は私達が家で寛いでいることは知っていたし、私も琴姉ぇも特に用事がないのは事実だ。
唯一想定外なのは私が狼の姿であったということ。私が半獣や獣人、そしてこの賢狼モードなどに姿を変えられる事は家族の他には竜崎先生と戌神さんしか知らない。
にも関わらず今このとき、私は友達にこの姿を晒してしまったのだ。これはまずい。非常にまずい状況である。どうにか誤魔化さないと。
「しーちゃんの家に突撃訪問したらイッヌが。イッヌがいる」
「もふもふしていて可愛いなー。おいでー」
「なんだか詩音さんに似ているわね。毛並みとか色合いとか」
「えっと、実は知り合いに頼まれて少しだけ預かることになってね。いやー、すっかり失念していました」
「そんなの普通忘れるかよ」
「お名前は何て言うの?」
「シオンちゃんよ。あの子と同じ名前なんてすごい偶然よね」
「へー。それで本人は今どこにいるんです?」
「今は竜崎先生のところに行っているわ。帰りが何時かは分からないけど、出かけるときに遅くなるかもとは言っていたわね」
「そうですか」
2人の手によりあれよあれよと私の設定が作られていく。中には異議を申し立てたい内容もあったけど、この姿ではそれが叶わない。無念。
結果としては竜崎先生経由で一時的に預かっている犬ということに落ち着いた。猫宮さんが結構鋭い質問をするから聞いていて肝を冷やしたよ。
名前が同じという共通点はかなり怪しい点だけど偶然の一致といえる範囲内だし、私が狼になれることを知らないヒトがこの情報だけで真実に辿り着くのは厳しいと思う。
というかここで変な名前を付けられると、嘘が苦手な私や油断したところでボロが出る愛音がいずれやらかす気がする。琴姉ぇはその辺りも見越して作り話の一部に真実を混ぜているのだろう。さすが言ノ葉家の長女。頼りになる。
「ところで鮫島君は?今日は一緒ではないのかしら」
「あいつは家で休むって言っていました。まぁ、2日も詩音と2人で遊んでいたわけですから。今頃はお姉さんに根掘り葉掘り聞かれているんじゃないですかね」
「あー、柚ならやるでしょうねぇ」
「私は狐鳴さんに付き合わされただけなんですけど。でも折角だから、琴音さんに勉強を教えてもらえればなって。すみません」
「あら、私を頼ってくれるのは大歓迎よ」
「イッヌだ。しーちゃんの家にイッヌがいる」
「あ、稲穂のこと忘れてた」
玄関からやや離れた位置に。それでも好奇心に溢れた視線は決して私から外すことなくマスクを装着する狐鳴さん。
彼女は動物のアレルギーを持っているから、完全な狼である私には近付けないみたい。しかしそれ以上に全身もふもふになった私を撫でたいという欲求が心なしか伝わる気がする。
それにしても「犬」という単語の発声すら怪しくなるほどとは。なんて凄まじい執念なんだ。
「しーちゃんに会えなかったのは残念だけど、まさかこんな素晴らしい出会いがあるなんて。せめて写真、写真だけでも」
「愛音ちゃん。シオンちゃんに触ってみても良い?」
「えっと、はい。この子が嫌がらなければ」
「ありがとう。おいでー、シオンちゃんおいでー」
目線を合わせて私の注意を引くように声をかける飛鳥さん。愛音のやつ、どう対応するのかの判断を全部私に押し付けたな。同級生の友達に撫でられるなんて凄く恥ずかしいのだけど!
期待に満ちた視線に耐えかねて思わず一歩下がる。すると猫宮さんが「あっ」と寂しそうな声を漏らした。どうやら飛鳥さんのアピールに隠れて彼女以上に期待していたらしい。
難しい、女子の気持ちを察するの難しいよぅ。
若干の思考を挟んだ後、私は結局撫でさせてあげることにした。徐に2人に近付いて顔を上げる。言葉は話せないけどこれだけで十分伝わるよね。
「これはOKということかな?シオンちゃんありがとー!」
「この子とても賢いですね。吠えたりもしなくて大人しいですし。わぁ、ふわふわだ」
「そうでしょー!凄いでしょー!」
どうして愛音が自慢げなんだ。これは私が日々毛繕いをしているその賜物なんだぞ。
「むぎゃあー!また私の目の前でもふもふを堪能しやがって!」
「どやぁ、羨ましいでしょー」
「ムキィー!」
「あははは!いやぁ、何度弄っても面白い」
私の背中を撫でる飛鳥さんと激しく憤る狐鳴さん。どうやらこのやり取りも2人の間ではよくあることらしい。
アレルギーの症状って結構辛いと思うんだけどなぁ。
「フッ、クククッ。ここまで煽られては黙っていられないよ。私だってモフリストの端くれ。ここで引くわけにはいかねぇのだよ!」
「いや引きなさいよ。アレルギーの症状が出るんでしょ」
「ここで倒れるなら本望だよ。それに私は今までの私とは違う。竜崎先生に教えてもらったお薬に対処法の数々。何時如何なるときにもふもふに遭遇しても良いように体調も万全に整えている。今の私なら、いける!」
別に竜崎先生は狐鳴さんが動物に触れ合えるように教えたわけではないと思うけどね。近付かないことで症状が出ないならそれに越した事はないでしょうに。
漂う雰囲気は怪しさ満点だけど、これで意外と扱いが丁寧なのが狐鳴さんである。その辺りは安心して良いと思う。
きっと触る動物には最大限の敬意を払うのがモフリストの矜持なのだろう。さすが猫毛1本からその種類を当てることができるヒトだ。
それにしてもモフリストって結局のところ何なのだろう。
「ふおぉ、これは!至高のもふもふと謳われるしーちゃんのもふもふに勝るとも劣らないもふもふ。ふへへ」
「知性の欠片も感じない発言ね」
「いつものことだから」
「それで狐鳴先輩。アレルギーの方は平気ですか?必要なら竜崎先生に連絡しますけど」
心配そうに声をかける愛音。確かに先生にお願いするのが安心だけど、自ら危険に飛び込むヒトの治療をすることになるとは思っていないと思う。
私の頭にはコーヒーを片手に何とも言えない表情で困る先生の姿が目に浮かぶよ。
「アレルギー、出てない!いつもならすぐに出るのに。もしや遂に克服した!?」
「そんなわけないでしょ。動物アレルギーはある程度症状は抑えられても完治することはできないんだから」
「となるとシオンちゃんは稲穂が唯一触れ合える子ってことだね」
「そう。しーちゃんは私に希望を与えてくれた。即ち神。そしてこのシオンちゃんは私に奇跡をもたらした。即ち神獣。そう、神獣だ!」
いや違うけど。そもそも私はいつの間に彼女の中で神格化されていたの。
でもフェンリルって確か狼の生き物だったよね。そう考えると実は合っていると言えなくもないのか。
それに毛並みを撫でただけでヒトの姿の私と同じだと言い当てているんだよね。突拍子のない発言と思いきや大正解。これがモフリストの実力なのか。
「おーい、いつまでこんなところで戯れていないでどうするか決めようぜ。詩音は居ないけどこのまま家に上がらせてもらうか。それとも出直すか」
「あっ、いたんですか。大狼先輩」
「いたよ。勝手に空気にするなよ」
「シオンちゃんとの出会いをこれで終わらせたくありません」
「私は詩音ちゃんのプライベートに興味があるなー。本人が居ない今は絶好のチャンス」
飛鳥さんは私が居ない間に一体何をするつもりなの。部屋を見てもぬいぐるみが置いてあるくらいで何もないよ。
「しーちゃんのお部屋、だと?それは最早聖域と呼ぶに値する新世界だよ」
「俺、その聖域に結構頻繁に出入りしているなぁ」
「では私がしー姉ぇの部屋を案内しましょう!」
「おっ!さすが愛音ちゃん、話しが分かる」
「そんなことをして後で詩音さんに怒られないかしら」
「そのときはそのときです」
何か私を抜きにして話しがどんどん進んでいくのですが。何故に愛音は不敵に笑う飛鳥さんに賛同しているんだ。
愛音は本物の私がここに居ると知っている。にも関わらず友達を家に招くなんて悪ノリが過ぎるぞ。
しかしこれといって隠すことがないのも事実ではあるから、私の部屋に入るだけなら特に問題はないかな。
チラリと視線を送る愛音にジト目を返しつつも皆んなに気付かれない程度に軽く頷く。次からは勝手に決めないように。
「よーし、詩音ちゃんの部屋に突撃だー」
「お邪魔しまーす」
「琴音さん。後で勉強の相談をしても良いですか?」
「勿論よ。猫宮さん」
愛音と飛鳥さんの悪巧みにより、あれよあれよと家に上がる良介達。どうにかして私が狼になれることを隠し通さなければ。
何とかやり過ごすか、それとも隙を見つけてヒトに戻るべきか。何が正解なのか考えつつ、私は抱きついたまま離れない狐鳴さんを連れて行くのであった。
竜「ん?琴音さんから通知が。珍しいな」
戌「詩音君に何かあったのでしょうか」
竜「あーいいや。そう深刻なものではなさそうだ。かくかくしかじかで、何かあったときに話しを合わせて欲しいってさ」
戌「あらら。大変そうですね。姿が変わるメカニズムが早く分かると良いですけど」
竜「それなぁ。調べてはいるけどさっぱり分からんのよなぁ。あの子の精神状態が関係していることくらいしか言えなくてさー」
戌「他に例がないからどうしても可能性の域を出ないんですよね」
竜「仮説の話しだけど、強いストレスを受けた場合には狼になったまま戻れなくなるかもな。そうならないように何とか対処法を見つけたいんだが」
ひのえ「わんわん!わふー!」
このと「わぉーん!」
竜「ぎゃー!俺の研究資料がー!?ぬぁー!」
戌「前途多難ですね」




