EP-17 名前
料理の勉強を前向きにすると決めた私はとりあえずテレビを付けて番組が紹介しているレシピを眺めていた。本当に眺めているだけだから知識が定着しているとは言い難いけど。
その流れのまま続くドラマの再放送を見る。我ながらなんて怠惰な日常なんだ。ママが心配するのも当然だよ。
「猫の手猫の手猫の手」
「紫音、あなたいつの間に手首の関節を失ったの?」
ぎこちないにも程がある包丁使いできゅうりを切る。恐ろしい手際で次々と夕食を作るママの隣でまな板を占領している私。誰がどうみても邪魔でしかない。
「紫音は音楽以外のことになると国宝級の天然不器用ちゃんになるものね」
「天然じゃない!」
「指切るわよ」
「わうぅ」
結局きゅうりの他に数種類の野菜を切ったところで私は気力を使いきった。サラダ作りはまだ早かった。
「つんつん。わぁ、ピクピク動いて可愛い」
「やめてぇ」
テーブルに突っ伏していると愛音が私の耳を突いてくる。パタパタと動かして追い払うけどしばらくするとまた襲撃してくる。雑な返ししかしていないのによく飽きないな。
「お母さんカフェ再開するんだね。ぼちぼちテレビの仕事もやるの?」
「んー、そっちは当分お休みね」
「料理動画は?」
「弟子の育成を優先するわ」
私の頭上で姉妹とママが会話しているように、実はママはカフェの経営の他に料理レシピの動画投稿を趣味でやっていた。
開店当時は知名度が無くてお客さんも来ないからと暇潰し始めた動画投稿。手を抜く所は手を抜いて、一般家庭にある食材と調味料でできる料理は同じ主婦層から支持を集めて、いつしかメディアにも取り上げられるようになった。
そんな経験があるからこそ、料理の腕だけで無く動画や写真の撮影、編集スキルも高かったりする。
そう言えば私がソファでうたた寝をしていた瞬間を撮影された写真はどうなったのだろう。必死にお願いして消してもらったけど、似たような画像を愛音が自分のスマホで見ていた気がするんだよね。
「ただいまー」
「あら、お父さんが帰って来ちゃった。あなた達も準備手伝って」
「はぁーい」
5人揃ったところで食卓を囲み夕食を頂く。ちなみにパパのサラダは特に形が不揃いな野菜を入れたからかなり不恰好だ。ママって意外とお茶目なところがあるよね。
「これはもしかして、紫音が作ったのか!?」
「生野菜を切っただけだけどね」
「パパはなんて幸せものなんだ」
「良かったわねー」
感涙しているところ悪いけど、それ失敗したやつの寄せ集めだからね。体よく失敗作の処理を押し付けられているだけだから。
「父さん。娘の手料理に感動しているところ悪いんだけど大切な話しがあるんでしょ」
「おっとそうだった」
一度部屋を後にして戻って来たパパ。何枚か資料を手にしていてる。きっと私に関わる真面目な話だ。
「紫音のことだけど前にお医者さんが言っていただろ。厳密には紫音本人では無いと。そうなると戸籍とか新しく作り直さないといけないのかなと思ってな」
「そっか。そういうのも色々と変わるんだ」
言ノ葉紫音と同一人物では無いから同じ戸籍は使えないのか。全く考えが及ばなかったけどパパは諸々の手続きを頑張ってくれていたんだ。
「形としては紫音は行方不明ってことになっている。だから7年後には失踪宣言で死亡扱いになるな」
「しーにぃの事は忘れないよ」
「やめて。ここにいるから」
「まぁ、前例の無いことだからその辺りは行政も融通を利かせてくれたよ」
「そういうのって融通が利くものなの?」
「紫音のためにパパは頑張ったのさ」
「そっかぁ。パパありがとう」
難しい話しはよく分からないけどパパが大丈夫と言うんだから大丈夫なんだろう。
「それでな。このままだと紫音の戸籍が無いままだから新しく作ったんだ」
「これで紫音は正真正銘の女の子になったのね」
「うわぁ、複雑」
パパから戸籍謄本のコピーを渡されたから内容をみてみる。難しいところはとりあえず置いておこう。
「本当に女になってる」
「「イェーイ」」
「何で喜ぶのさ!」
この姉妹、他人事だと思って調子に乗っている。いつか絶対にお灸を据えてやろう。
生年月日は8月13日の15歳で同じか。当たり前だけど性別以外はほとんど同じ内容だ。
「あれ?ねぇ、パパ」
「どうした。何か気になることでもあるのか」
「うん。私の名前なんだけど字が間違っているよ」
紙をパパに渡して指摘した箇所を指差す。そこには「言ノ葉紫音」では無く「言ノ葉詩音」と記されていた。
確かにこれでも読み方は同じだけども。名前が違うなんて明らかにおかしいでしょ。
「女の子らしくて可愛いだろ」
「確信犯かい」
私は間違えた事に対する謝罪の言葉が欲しかったの。自白して欲しかった訳では無いの。
「ちょっとお父さん!いくらなんでもこんなのあんまりよ!」
「そうだ琴姉ぇ。言ってやって」
「紫音の新しい名前はシャルロッテにしてって言ったのに」
「救いは無かった」
どこから出てきたんだそのパワーワードは。私のどこにシャルロッテの要素があるんだ。
「そう言うなよ。俺だって第一候補のアルネシアから妥協したんだぞ」
「どっちも大差ない!」
前狼後虎は正にこのこと。どっちの選択肢になっても地獄でした。
それと琴姉ぇの口振りからして私の名前をどうするか事前に相談していたんだよね。何故本人である私には何も聞かされていないのかな。
「はっ!?まさか愛音も何か考えていたんじゃ」
「ビーストプリンセス・ミルキーウェイ」
「もはや誰!?」
何だその女児が好きそうな魔法少女アニメに登場しそうな名前。絶対に凝ったキャラクター設定まで考えていただろ。
「ミルキーウェイ」って天の川のことだよね。どこからそんな発想が出てきたんだ。
「ここまで聞いたらママの案も気になる」
「美音ちゃん」
「あっ、結構普通だった」
ちょっと捻っているところが気になるけど先の3つの意見を聞いた後だから凄くまともに感じる。ママの意見が強く反映されたようで何よりです。
「結局は元の名前から変わり過ぎるのもややこしいからこれで落ち着いたんだけどな」
「頼むからそっちが本命であってくれ」
何はともあれこうして私は言ノ葉紫音から言ノ葉詩音として生きていくことになったのであった。
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時は現代。人類を始めとした多くの生命が息づく地球にかつてない危機が訪れていた。
豊富な資源に暮らしやすい環境。それに目をつけた異星人がそれらを我が物にしようと侵略を始めたのだ。
正体不明の未知の生物。当然人類はこれに抵抗するものの、近代兵器では歯が立たない。残された未来は地球を捨てるか、彼らになす術もなく淘汰されるか。
人々が諦めたそのとき、奇跡の出会いが訪れた。
少女には何も無かった。不慮の事故で愛する家族を失った少女は厳しい親戚に引き取られた。義母には毎日理不尽に怒られて、彼女の2人の娘からは雑用を押し付けられてこき使われた。
自由な時間なんてどこにも無く、それが原因で友達もできなかった。
ルリィは故郷を失った。突然現れた異星人に住処の星を襲われたのだ。仲間はその不条理に必死に抗い、そして力尽きていった。
残されたルリィは征服されたかつての故郷を背に涙を堪えて逃げ出した。いつか必ず仲間達の無念を晴らすと誓って。
美しい夜空が広がるある日、2人は出会う。下を向いて歯を食いしばる少女の前に流れ星の如くルリィが現れたのだ。
長い長い旅を経た疲弊しきったルリィを少女は拾い看病した。誰でも良い。なんでも良いから心の内を曝け出せる相手が欲しかったから。
幸いルリィは直ぐに回復して元気になった。地球に来た影響か、身体が後脚で立てる二頭身の犬のような姿に変わった事はご立腹だったが、慣れれば案外快適だったらしい。
そんな2人の前に異星人が現れた。無力な少女の未来が途絶えようとしたしたそのとき、命の恩人である少女のためにルリィはそれを使う。かつて他の異星人が故郷を襲った理由ともいえる力。その名は「生命の解放」。
生き物が持つ無限の潜在能力を解き放つそれは理不尽に抗う力を少女にもたらす。ヒトより強い生命力を持つ野生動物。狼をモチーフにした力を宿し、少女は見事異星人を倒した。
そう、「魔法少女ビーストプリンセス・ミルキーウェイ」は今ここに爆誕した。
しかしこれで終わりでは無い。本当の正体を隠しながらもまだ見ぬ異星人から地球を守るため、ビーストプリンセス・ミルキーウェイは今日も戦う!
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愛「負けるなミルキーウェイ!人類の命運は君の手にかかっている!」
詩「いつまで続くのこの話」
愛「彼女のパンチは流星1つと同じ威力だよ」
琴「まさかの近接戦闘型なのね。魔法少女なのに」
詩「地球が異星人に脅かされる危険性皆無じゃん」




