EP-167 忍び寄る影
ある日の夜。私はベッドに横たわったままカーテンの隙間から覗く月をただ見ていた。
浮かぶ月の形は三日月。だから狼になる心配はまず無い。でも私はあえて自分の意志で半獣、獣人、賢狼と色々な姿に変身してみた。
その理由は1つ。暇だからである。
確かに私は今日お昼寝をした。それも愛音がちょっかいをかけても起きないくらい熟睡した。でも気持ち良かったから後悔はしていません。
しかしこのまま朝までベッドの上でコロコロしている訳にもいかない。ここは気分転換に別のことをしよう。
お散歩は夜だから行けないので家の中を探索しようか。家の中でもこんな時間に探索したことはないからちょっと新鮮。なんだか悪いことをしているみたいで背徳感がある。
「お留守番お願いね、ふぇんりる」
机の上に置いてあるぬいぐるみを肉球で撫でて、ついでに槌野君から貰ったドラゴンのぬいぐるみを労わってから部屋を後にする。
皆んなは寝ているから電気は付けられないけど、私の目は暗くても周りがちゃんと見えるから何の問題もない。
暗闇など恐るるに足らず、である。ふはは。
狩りをする狼のように音を立たず気配を消して廊下を歩く。どうしてわざわざそんな事をしているのかと聞かれると、特に意味はありません。何となくそんな気分なのです。
「わふ?」
意味もなく鼻を澄ませてなりきっていると、何やら芳しい匂いがした。寝る前までこんな匂いは無かったはずだけど。
そのとき、キッチンの方から物音が聞こえた。それもできるだけ音を立てないように配慮している感じがする。
もしかして泥棒だろうか。それにしては知らないヒトの匂いはしないけど。物音だってどこに何があるのかある程度把握しているような感じがするし。
少し考えて、私は扉の隙間から様子を見ることにした。杞憂ならばそれで良し。私はまだ狼になりきれていないというだけのことだ。本当に不審者がいるなら静かに、急いでパパを呼びに行こう。
静々とゆっくり時間をかけてドアを開ける。部屋は暗いけどキッチンの明かりだけは付いていた。勿論私は消してから部屋に戻っているので、この時点で誰かがいるのは確定だね。
「いやー、こういうのってときどき無性にやりたくなるんだよな」
そのヒトは私に気付いていないのか、独り言を呟きながら何かをやっていた。というか今の声と漂う匂いでおおよその検討はついたけど。
私は安心が半分、呆れが半分の心情で一歩、また一歩と近付く。別に隠れているわけでは無いんだけど意外と気付かれないものだね。
さすが私。半分は狼なだけのことはある。
「っ!誰だ!」
とはいえ流石に気付かれたみたいで、キッチンにいたそのヒトは勢いよく顔を上げた。そして暗闇の中に佇む私と目が会う。
「がおー」
「うおぁあ!ったぁっちゃあ!」
不審者、もといパパは私を見た途端に盛大に驚き、倒れ、お湯をこぼして惨事を起こした。狭いキッチンでいきなり暴れるからそうなるんだよ。
「はぁはぁ、久しぶりに声を出して驚いた」
「そこまで驚かなくても」
「いやいや。突然そこに光る眼が浮いていたら誰だって驚くからな」
成程。パパからするといきなり人狼が音も無く現れたように見えるのか。それは確かに怖い。私なら腰を抜かす自身がある。
「まぁ、それはそれとして。こんな時間にパパは何をしていたのかな」
「いやー、それはそのー」
私とパパの間にあるのは蓋が剥がされたカップ麺。既にお湯も注がれているので後は食べ頃まで待つばかりだ。
「真夜中にカップ麺なんて、パパもワルだね」
「お母さんには悪いと思っているんだが、これがまた美味いんだよ」
「それは良いけど多分ママは気付くと思うよ。そういうのちゃんと見ているから」
「マジか。今まで何も言われたことなかったけど」
「気付いたうえで黙っていたんだよ」
「ぬあー」
衝撃の事実を知り、パパは顔を赤くして恥ずかしそうに頭をかいた、
流石のパパもママには頭が上がらないみたいだね、きっと明日のママはいつもより温かい視線をパパに向けるのだろう。
「まぁ、開けてしまったものは仕方ない。捨てるわけにもいかないからなー」
「ずるい。でもパパ、それはナンセンスだよ」
「えっ」
「カップ麺だけなんて栄養が偏るから。ちゃんと野菜も食べないとメッ、なの」
「えー、詩音もお母さんに似てきたなー」
「えっ」
私まだ高校生なのにお母さんですか。それもお父さんではなくお母さんですか。
複雑だ。色々な意味で複雑だ。
「と、兎に角!カップ麺だけは良くないので野菜炒めを作ります」
「おー」
ヒトの姿に戻り冷蔵庫を開ける。夕食を作るときに余った野菜があるのでそれを使おう。食材は極力無駄にしないのがママの教えだからね。
作るのは簡単に野菜炒めで良いとして。後は卵と、魚かお肉が欲しい。何かないかな。
「あっ、ツナ缶がある。これで良いや」
「そんな所にあったのか」
「オイル漬けなら炒める油を節約できるから丁度良いかも」
ツナそのものは炒めてしまうとパサパサするから最後にトッピングする。これならカップ麺のボリュームが増すし、栄養もそれなりに摂れる。
それでも深夜に食べる罪深さは変わらないけど。麺が伸びる前に手早く作ろう。
「おい詩音、ちょっと待て!」
「ん、なぁに?」
「作ってくれるのは嬉しいが服を着なさい」
顔を背けるパパに言われて私は今の自分の状態に気付いた。狼の姿で来た私はパジャマを着ていない。
それなのに料理をしようとヒトの姿に戻れば、当然だけど一矢纏わぬ姿になる。一応エプロンは付けたけど流石にこれだけでは駄目か。
「でも今から着るのも面倒だな」
「お母さんが見たら怒るぞ。風邪を引かれても困るんだから服は着なさい」
「わぅー。あっ、良い方法思い付いた」
頭の上に豆電球を光らせた私は早速獣人モードに変身した。
獣人モードは体格はヒトだけど見た目は狼の姿のこと。つまり全身がもふもふの毛で覆われているので、自前の毛皮を着ているようなものだ。
手には肉球があるけどヒトと同じ形だから料理に支障はない。胸元の毛はふわっふわだけどエプロンを付けるから大丈夫だろう。
「お前なぁ。お母さんや愛音が見たら絶対に騒ぐぞ」
「見ていないから平気だもん。毛が入ったらごめんね」
「やっぱり料理はヒトの姿でやってくれよー」
パパの言葉は聞かなかったことにして、手早く野菜炒めを作ってしまう。味付けは特にしない。ツナとカップ麺の味で十分だからね。
「おー、ただのカップ麺が随分と豪華になったものだなー」
「夜食としては余計に罪深い一品になったかもしれない」
「詩音も食べるか?」
「私はヨーグルトにしておく」
「そうか、そうだよな。ちなみに成果は?」
「ふふん、次の健康診断を楽しみにすれば良いよ」
「健康診断か。そういえば今年はどうするんだ?去年は事情が事情だからちゃんとした病院でやったけど。学校でもきっとやるだろ」
健康診断というか、定期検診なら今も竜崎先生に毎月やってもらっているみたいなものだから。学校の健康診断より色んなことをやるし。慣れたとはいえ大変だし。
でも皆んなもいるから学校のも参加したい。そして私がクラスで一番背が低いという疑惑を払拭するのだ。
「身長、伸びたか?」
「それがねー、毛しか伸びないんだよねー」
「そうか。世知辛いな」
「今からでも牛乳飲もうかな」
「なんて白い夜食なんだ」
「はっ、まずい。このままだと口が汚れる」
「だからヒトに戻りなさいって」
やっぱりご飯は作るのも食べるのもヒトの方が色々と楽なんだな。そりゃあどの道具も獣人が扱うことを想定していないから当然だけど。
一先ず牛乳はストローで飲むとして。問題はお前だ、ヨーグルト。正々堂々と勝負してやる。
結論からいうと惨敗だったよね。物語の中の獣人は一体どうやってスープを飲んでいるのだろう。
詩「こんなの、こんなのってないよ」
狐「いやー、私も小さい方だと言われていたけど。下には下がいるんだね」
鮫「普段はそんな感じしないけどなぁ。どうしてだろう」
猫「頭に大きな耳があるからじゃない?」
詩「そうだよ。耳の長さも含めれば私の方が大きいもん」
狼「残念なことに耳は身長に含まれないんだよなぁ」
鳥「身長計の頭に当てるやつが耳の間に無慈悲に落とされたときの詩音ちゃんの顔。凄く面白かったよね」
詩「忘れないと頭突く」
狼「どうしてそこで俺だけを睨むんだよ」




