EP-161 登校中の雑談
ある日、ソファを占領してお昼寝に興じていた私。何となく目を覚まして上半身を起こすと、伸びをしながらも漏れ出る欠伸をその肉球で覆った。
それから犬や猫のように身体を伸ばすのが寝起きの私のルーティン。これが結構気持ち良いんだよ。どうして彼等がそんなことをするのか不思議だったけど、今ならその気持ちがよく分かるね。
「わふぅ」
寝惚け眼を肉球で擦り、もう一度大きな欠伸をする。そこで私はようやく気付いた。近くで三脚を広げて取り付けたビデオカメラをまわしている母の存在に。
「何をしているの?」
「おはようございます」
「おはよう。で、何をしているの?」
「思い出よ」
どうして会話が成立しないのだろうか。何も難しいことを聞いていないはずなんだけど。
ジト目で無言のまま不服を訴える。しかしママには効果はなかった。それどころか余計な雑音は決して入れないとひたすら撮影に集中している。
駄目だ。こんなのに付き合っていられない。とりあえず話しの続きはお手洗いに行ってからにしよう。
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「それでまたどうして私を撮るのさ」
「だから言ったでしょ。思い出よ」
「ならせめて普段の生活を撮ってよ。お昼寝中の数時間をずっと撮られるなんて恥ずかし過ぎるよ」
ママが撮った映像を確認すると、お昼ご飯の片付けを終えて寛ぎ始めるところから全部撮られていた。
そのうえ周囲の音や画角にまで拘り、寝息や寝言まで音を拾われている。プロの動画配信者の技術を惜しみなく注いだ作品に仕上がっているのだ。恥ずかしい。恥ずかし過ぎる。
「ところで詩音。今日は満月でもないのにどうして半獣の姿なの?」
ママに怒涛の肉球パンチを浴びせていると突然そんな事を聞かれた。
確かに私は基本的にヒトの姿でいる。満月のときでも頑張れば維持できるくらいにはなれたし。
でもそれは逆に言うと狼や獣人の姿にもなりたいときになれるということ。なりたい姿に自由に変身できるようになってきたということかな。
「半獣の姿はね、何か作業をするには不便だけどのんびりしたいときは一番リラックスできる気がするの。たまに獣人モードになっているときもあるけど」
「寝相みたいな感じ?」
「うーん。言われてみるとそんな感じかも」
別にわざわざ変身することはないけど、起きたら全身もふもふになっているときとかあるし。無意識のうちに楽な姿になっているのだと思う。
「次に同じことをやったら許さないからね。絶対に許さないんだから」
「はいはーい」
まるで忠告を聞く気が無いママにトドメの肉球パンチをお見舞いしたところで私はキッチンに向かった。寝起きだから喉が乾いているんだよね。
冷蔵庫を開けたところで私は手の形をヒトに戻す。最近は意識すれば任意の姿にできるようになってきたのだ。
今の私ならペットボトルの蓋なんて敵ではない。ふはは。
「ちなみに私、どのくらい寝てたの?」
「そうねー。動画の長さが4時間も無いくらいだから、3時間半くらいね」
「うっ、思っていたより怠惰に過ごしてしまった」
「そんなことないわ。この動画があれば獣耳美少女がいつでもどこでも添い寝をしてくれるのよ。可愛い寝言と尊い寝顔でリフレッシュ効果は抜群よ」
他人の寝顔を3時間も見て一体何が良いというのだろうか。そんな時間があるなら好きな映画でも観る方がずっと有意義だと思うけど。
「今度は耳掻きをするところを撮りましょうね」
「この流れで了承すると思ったのなら大したものだよ」
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「ということがあったんだけどさ。良介はどう思う?」
学校に向かう朝の通学路にて。私はママの悪行を良介に話した。勿論、私が狼に変身できることは誤魔化して説明したけど。
学校にいるときに言うと狐鳴さん辺りが財布を出して金一封を包みそうだからね。今しか話す機会は無いと思ったのだ。
「うーん。正直なところ、いつかやりそうだなとは思ってはいた」
「えっ、良介は私に耳の掃除して欲しいの?」
「違う。誤解されるような言い方をするな」
何故か急に周囲を見渡して警戒し始める良介。スマホでも落としたのだろうか。スズメさんにお願いして探すの手伝って貰おうかな。
「おかしいよね。そんなの自分でやった方が早いのに誰かにやってもらいたいなんて。小さい子どもでもあるまいし」
「うん、まぁ、世の中色んなヒトがいるってことだよ。そういえばお前は耳掃除とかするのか?ヒトの頃とは勝手が違うだろ」
「やるよー。耳の中まで掃除するのはたまにだけど。そのときは洗浄液とか使ったりする」
先生曰く、健康な耳ならそこまで気にしてやる必要はないらしい。垂れ耳の子の場合は蒸れやすくて外耳炎になりやすいそうだけど、私にはその心配は要らないし。
でもヒトの耳より面倒なのは確かだ。それにデリケートだから他人にやらせるなんてあり得ない。竜崎先生と戌神さんは別だけど。プロなだけあってあの2人は本当に上手なんだよね。
「耳掃除を他人に任せるなんて自分から弱点を晒すようなことをするなんて考えられない。危機管理ができないヒトは自然淘汰されるというのに」
「それを任せられるくらい信頼しているってことだろ。あと唐突な野生動物視点は止めろ。キャンプすらしたことないだろ」
「うん。エアコンがないと生きていけない」
キャンプは夏にやるイメージがあるけど、炎天下の中で遊ぶなんて私には考えられない。真夏の登下校ですら命がけだったというのに。
これが避暑地の別荘でのんびり過ごすとかなら是非もなしなんだけどな。
「いや、お前の場合は雪山とかそっち系の自然に強いのか。食糧が少ない過酷な環境に適性があるとすれば」
「ご飯がないのは嫌だな。クリームシチューとか食べたいし」
「ヒト以上に早く淘汰されそうだな」
「良介も尻尾が生えれば分かるよ。この生きづらさが」
「どうせ生えるならドラゴンの角とか尻尾がいいな。格好良いから」
「むっ、狼は格好良くないというのか」
「お前は自分が格好良いという自覚があるのか?」
「努力はしている」
こんなに毛繕いを丁寧にやって見た目に気を遣っているのに。ママ達に抗い男のときと同じような服装をしてみたりしているのに。何故か格好良いではなく可愛いのステータスが伸びてしまうらしい。
明確に違うはずなのに何が違うか分からない。一体私の何が悪いというのだろうか。
「今は格好良い女性も可愛い系の男性もいる時代なのに。何故私は格好良いを手に入れられないのか」
「世界一平和な悩みだな」
「私は真剣なの!ねー、良介は格好良いと可愛いの違いはなんだと思う?」
「受け手の捉え方」
「それ私にはどうにもできなくない?」
「そうだなぁ。仕方ないなぁ」
「むー!」
やはり坊主か。坊主にするしかないのか。でも美容院で頼むと絶対に断られるんだよね。プロなら客の希望に応えるべきだと思います。
こうなったらバリカンでも買って自分で剃ろうか。耳まで取れそうで怖いけど。でも偉いヒトは言っていた。やらずに後悔するよりはやって後悔した方が良いとね!
「もしもし、はい。どうやらまた良からぬ事を考えているみたいで。バリカンでも買って自分で坊主にしようとか考えているんだと思います」
「なんで分かるの。あと誰に電話しているの。私の意志は誰にも邪魔させないぞ」
「うるさい!言わないと俺の命が危ないんだ。万が一でもお前に何かがあれば、俺はやられる」
「誰に?何に!?その含みのある言葉の方が気になってきたよ」
「言えない、言えないんだ。もしも誰かに話したら、俺はやられる」
「それはもういいよ!」
燻る感情を地団駄を踏んで発散した私は足早に先に行く良介の後を追いかける。
格好良いと可愛いの違い。クラスの皆んなにも聞いてみよう。
狐「おはようしーちゃん。今日も今日とて可愛いね!」
詩「むー!」
狐「ぐふぇ!朝から尻尾アタック。ありがとうございます!」
鮫「おはよう。朝から元気だね」
猫「うるさいだけでしょ」
狼「あれが俺なら頭突きされていたな」
狐「いやー、それほどでも」
詩「良かった。今日の狐鳴さんは狐鳴さんだ」
狐「そうだよ。今日も今日とてしーちゃんの親友。狐鳴さんだよ」
鳥「やれやれ」




