EP-147 器械体操の授業
年末年始の休みが明けた今年最初の登校日。すれ違う皆んなに新年の挨拶を交わしながらいつものように登校する。
通気性があり、熱が篭らない私専用の上着。防寒という本来の目的を忘れたそれから解放された私はいつものように教室の窓を開け放つ。
やっぱり換気は大切だよね。暖房なんて私は知らない。
「うー、寒い。どうして私達の教室だけ外と気温が変わらないのよ」
「そこにしーちゃんがいるからさ。皆の衆おはよう」
「おはよう。猫宮さん、稲穂さん」
「飛鳥はどうした?いつも一緒なのに」
「先生に捕まってプリント運ぶの手伝わされているよー。へい、しーちゃん!今日も良い天気だね」
「おはよう。曇天の空模様だけどね」
今日も狐鳴さんは朝からテンションが高い。いつものように近付いてくる彼女を冷たい手で頬を挟んで撃退する。さっき花瓶の水を替えたのだ。冬に水仕事をした後の手はさぞ冷たいだろう。
「ぐあぁー!私の熱が、体温がー!」
「温かいお茶ならあるよ」
「流石サメ、気が効く男はモテるぞ。ってあちゃう!」
どうやら水筒の中にあるお茶は予想以上に熱かったらしい。口の中を火傷していなければいいけど。
大体いつもこんな感じで教室を賑やかにする狐鳴さん。お正月に神社で会ったときは雰囲気が違う気がしたけど、そんなことなかったみたい。いつも通りの狐鳴さんだ。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
寒い冬に外で体を動かすのは中々に難しいものがある。ということなのか、最近の体育の授業では体育館で行うことが多い。
そして今回練習しているのは器械体操。鉄棒や平均台などの器機を使った運動のことだ。桜里浜高校では鉄棒、ゆか、平均台、跳び箱の中から1つを選んで練習をする。
ゆかは器機を使っていないとか野暮な事は聞いてはいけない。怪我をしないようにマットを敷いているからそれで良しということにしておく。少なくとも私はそう思っている。
「良介はどれにするの?」
「何も決めてない」
「私もー」
そもそも体操なんてやったことが無いからどれが得意なのかも分からない。先ずは一番できそうなものが何かを探してみよう。
良介の背中を追いかける。どうやら彼はまず鉄棒に挑戦するらしい。
棒を掴んだ良介は腕力だけで上半身を棒より上に持ち上げ、へその辺りを棒に付ける。その後、勢いつけて鉄棒を掴んだまま何度も何度も回転する良介は適当なタイミングで手を離し、体を捻りながら着地する。
こいつは本当に鉄棒初心者なのだろうか。それとも最近の人類は皆んなこれくらいできて当然なのだろうか。狼には難しくて分かりません。
ちなみに私はぶら下がるので精一杯でした。懸垂すら1回もできないまま腕の筋肉がぷるぷる震えています。
鉄棒を諦めた私が次に挑むのは平均台だ。高さがあり、両足を揃えて立てないほど細い足場の上で技を披露する。
私は高所恐怖症ではないし、バランス感覚も悪くない。たぶん。だから鉄棒よりはずっと可能性が高い、はずだ。
「狐鳴さん凄いね。平均台の上で走れるなんて」
「私これ得意かもしれない!サメはどう?」
「いやー、流石にこれは高いな」
「サメは背が高いからね。なんとかなりそう?」
「他の3つよりは望みがあるかな。後は練習次第」
謙遜の言葉とは裏腹に抜群の安定感をみせるナツメ君。水泳をやっていた彼は体幹が強いから、不安定な足場でも体が全く揺れていない。やりおる。
平均台が空いたところで私もあがってみる。いつも見上げていた皆んなの顔が下にあるのが少し新鮮な気分にさせる。
少し乗った感想としては特に問題なさそうということ。立つ、歩く程度の動きなら苦もなくできるし、それらしい動きをしても落ちる心配はなかった。
「さっき先生から聞いたんだけどさ。平均台のテストは座った姿勢から立ち上がって、そこから技をみせるんだって」
「座る?」
「お尻と両足の裏を平均台に縦一列で付けるんだ。その状態から立ち上がって」
ナツメ君に言われた通り立ち上がってみる。でもできない。手を使わないで立つくらいのことはできる筈なのに、まるでお尻が平均台にくっ付いたと思うくらい離れてくれないのだ。
しばらく粘ってみたものの、皆んなの温かい視線が集まってきたので諦める。どうして皆んなが当たり前にできることが私にはできないのか。普通の床の上ならできるのに。
「言ノ葉さんはあれかな。大きな尻尾のせいで重心が後ろになりがちなんだと思う」
「確かに。これだけ立派なもふもふだと存在感があるよね」
「どういうこと?」
「尻尾の代わりに重たいリュックがあると考えてみて。背負っている方が立つのが難しいと思わない?」
そう言われると何となく分かったような気がする。無意識のうちにバランスをとることができる反面、そういった弊害もあるのか。生きづらい身体になったものだよ。
初動からこの躓き方をしていると技能テストは凄惨な結末を迎えそうだな。残念ながら平均台も諦めるしかない。
となると残る選択肢は跳び箱と床。床は体操の選手みたいな動きはできないけど、安全の為のマットが敷いてあるから簡単なものならできるはず。
敷かれたマットに集まる団体に混ざりどんなことをやっているのか見学する。
「猫宮さん猫宮さん」
「何よ」
「猫宮さんは床の種目が得意なの?」
「そういうわけでは無いけど。体はそれなりに柔らかい方だから何とかなるかなと思って。詩音さんは?」
「何ができるのか模索中。鉄棒と平均台は諦めました」
「追い詰められているわね。とりあえず柔軟体操でもやりましょうか」
誘われるがままに私は猫宮さんと柔軟を始める。その自信の通り彼女の体はとても柔らかかった。きっと彼女の前世は猫に違いない。
対する私の柔軟性は平均以下。あちこちの関節から悲鳴があがり、終わった頃には既に満身創痍になっていた。これから本番が始まるなんて正気ではない。
「ここは他の種目より経験者が多いから大変だと思うわよ。体操部とか運動部のヒトが多いから」
「えー、それは困る」
「それ以外のヒトはそれこそ私くらいね。一応彼女もそうだけど」
そう言って猫宮さんが指したのは構えをとっている飛鳥さんだった。彼女は徐に走りだすと、何度も跳ねて何度も体を捻り、プロの体操選手も震えるような演技を披露した。
最後の着地まで綺麗に決めた飛鳥さん。自然と拍手喝采が起こりクラスメイト全員で彼女を賞賛していた。さすが飛鳥さん、格好良い。
「やぁやぁ、詩音ちゃんも挑戦するんだね」
「うん。私も飛鳥さんみたいにできるかな」
「怪我をするからやめなさい」
「そんな大袈裟だよ。準備運動のつもりで軽くやっただけだから」
「その準備運動をみて体操部のヒト達の心が折れたみたいだけどね」
飛鳥さんみたいな格好良い技は難しいけれど、私だって前転くらいならできるぞ。
後は後転や側転も練習すればできる気がする。倒立もできるようにならば更にできる技の幅が広がるはずだ。
とりあえずは基本の前転からやってみよう。男は度胸。恐怖や不安を勇気と覚悟で支えて何度でも挑戦するのだ。
猫宮さんからコツを教わったところで早速実践。順調に視界が回転して後は勢いのまま立ち上がるのみ。そう思った瞬間、今まで感じたことがないほど強烈な刺激が全身に走った。
「ふぎゃあ!」
「詩音ちゃん大丈夫?」
悶絶したままマットを転がる私に近付き様子を伺う飛鳥さん。しかし今の私に答える余裕はない。
というのも、前転して立ち上がろうとしたそのとき、私は自分で尻尾を踏んでいたのである。
足の裏や脇の下を触られるとくすぐったいと感じるヒトは多いと思う。私の尻尾はそれより遥かに感度が高いのだ。
毛を撫でるくらいなら問題ないけど、尻尾を直接触られたり、毛を引っ張られるとそれはもう大変なことになる。
虎の尾を踏むという言葉があるけどまさにその通りだ。尻尾がないヒトにはこの気持ちは分からないだろうね。
「もう嫌だ。もうやらない」
「分かった、分かったから落ち着きなさい。マットに威嚇しないで」
「どうやら相当深いトラウマになってしまったみたいだね」
傷ついた心がいくらか回復したところで、私は最後となる跳び箱に挑むことにした。これが駄目だと今期の体育の成績が大変なことになる。なんとかしなければ。
しかし悲しきかな。跳び箱だけは得意とかそういうのは一切ないんだよね。中学生のときも大してできなかったし。少しでも成長の望みがあれば充分です。
「おっ、言ノ葉さんも跳び箱やるの?」
「他に選択肢がなくてね」
「そうか。まぁ、程々に頑張ろうな」
槌野君はそう言うと徐に走り始め、勢いをそのままに8段の跳び箱をバク転で跳んだ。
当然のように披露しているけど、高校生は皆んなあのような技の1つや2つは習得しているものなのだろうか。
「あいつもなんだかんだで這った状態で校庭を疾走した前科がある奴だから」
何か達観した様子の小鹿さんに手伝ってもらいながら段数の低い跳び箱を用意する。槌野君が跳んだやつなんて今の私には行く手を阻む無慈悲な壁にしか見えない。
「他のヒトのことは気にしないで私達は自分のペースで頑張ろうね」
「そうだね」
彼らのような身体能力がなくてもめげずに頑張れば平均点は貰えるはず。私は先生を信じて無理せず等身大で頑張ることにします。
狼「詩音に似合うスポーツって何だと思う?」
詩「得意なやつではなくて?水泳なら愛音に教わったから少しできるけど」
鹿「絶対に陸上。マラソンとか長距離選手になるべき」
槌「分かった分かった」
狐「新体操とかどうかな。リボンとかバトンとか似合うと思う」
猫「スケートなんてどう?氷の上とか相性良さそうでしょう」
鳥「皆んな分かってないね。詩音ちゃんに最も合うスポーツ。それは」
鮫「それは?」
鳥「チアだよ、チア。チアリーディング」
狐「それだ」
詩「やらないけどね」
槌「今年の体育祭が楽しみだ」
詩「やらないからね!」




