EP-146 出来すぎた影武者
まだヒトの往来が少ないある日の早朝。町のとある場所にある公園に2人の人影があった。
1人は乗って来た自動車から荷物を取り出し、別の1人は背中にある大きな尻尾を具合を確認している。少なくとも後者は遠目で見る限りでは、普通のヒトだとは思えないだろう。
「良いわよー、とっても可愛いわよー」
「そりゃあ当然だよ。この日の為に準備したんだから」
「あっ、今のポーズ良い!もう1回お願い」
「任せてー」
断続的にカメラのシャッター音が響く中、写真を撮られている少女は耳を揺らして様々なポーズを披露する。
それがひと段落過ぎた後、カメラを仕舞ったその人物は慣れた様子で動画を撮り始める。その腕前はプロよりの素人といった程度だが、映像に映る少女はその期待に応えてみせた。
何気ない日常の一コマから華麗なダンスまで。一通り撮影を終えて満足すると、2人は手早く荷物をまとめて自動車に戻り去って行った。
これがしばらく前から桜里浜の町で確認された不審者の目撃情報である。
それでも住民は誰も不安に思っていない。むしろその正体は明らかであり、その目的が分かった後は進んで協力していた者までいた。
しかしこれが非公認の活動であることは他人の目を忍んでいることから明らかである。問い詰められる事態に至るまでそれほど時間はかからなかった。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「それで、どういうことなのか説明してもらいましょうか」
その日、言ノ葉家には3人の姿があった。テーブルの上に証拠を並べて呆れた様子で詰問しているのは、この家の長女である琴音。その正面に並んで座らされているのがこの家の三女である愛音とその母である。
「いやその、これには事情がありまして」
「ふーん。ならその事情というものを説明しなさい。あなたが、いま、詩音の格好をしているその事情を」
「うぅ」
琴音が言った通り、彼女はいま自分の兄である詩音の姿に扮している。いわゆるコスプレというやつだ。髪は勿論、耳に尻尾に加えて翡翠色の瞳までカラーコンタクトを入れて徹底的に再現している。
その身をもって現在進行形でやらかしている愛音に反論する言葉を持ち合わせているはずがない。
助けを求めて母に視線を向けるが、その母も後ろめたい自覚があるのか実に歯切れが悪い。何とか弁明を試みるが、琴音に視線を向けられただけでその意志はあっさりと挫けてしまった。
「分かった。一つずつ聞いていきましょう。まずその格好についてだけど」
「あっ、これは柚葉先輩に手伝って作ったんだよ。人工毛なんだけど、しー姉ぇが換毛期のときに抜けたやつをサンプルにして素材を探したの。細くてふわふわのやつを見つけるのも大変だったけど、銀色から瑠璃色に変わるグラデーションを再現するのが凄く難しくてね」
「黙りなさい」
「はい、すみません」
見て分かるほどに萎む愛音だが、その衣装に注いだ熱量は本物である。
詩音本人の毛並みを知る者からすると、その触り心地は数段落ちる。しかし写真や映像越しならその違和感は感じない。身長や体格は違うものの、いずれも本人を知らないヒトが見ても分からないだろう。
「この映像も無駄に凝った編集をしているし」
「最初は詩音がみせてくれない可愛いところを愛音が代わりに完全再現してくれていただけなんだけど。いつの間にかプロモーションビデオみたいになっちゃった」
「踊りながら楽曲に合わせて歌っているようにみせるのが難しかった」
「動画制作時の感想を聞いているんじゃないの。しかもこの曲、あぁもう」
「どうしたー?朝から何の、話しをしているんだ」
琴音が頭を抱えていたとき、騒ぎを聞いた父が部屋に入ってきた。詩音に扮する愛音の姿に立ち止まったが、特に言及することなく話しを続ける。個の自由を尊重する事が言ノ葉家の教育方針なのだ。
「成程な。確かによくできている。これを観たヒトは詩音という者の人物像を勘違いするくらいにはな」
「私が持つ技術の全てを注いで編集したわ」
「褒めてないから」
「一応本人ではない熱狂的なファンの1人ということはちゃんと書いているよ」
「投稿直前まで準備完了までしているなんて。絶対に駄目よ、そんなこと」
「あぁっ!ちょっと待って」
問答無用でデータを削除しようとする琴音に母と愛音が縋りつく。
2人としても動画を投稿するつもりは全く無い。悪戯半分で作ったものの、それはあくまで自分達で楽しむため。たまにこっそり鑑賞してニヤニヤ笑えればそれで充分なのだ。
それを聞いてますます放置できないと判断した琴音は保存されたデータの全てを削除する決心を固めた。
ようやく母を振り切った琴音だが、もう1人はそうもいかない。
「嫌だぁー!お慈悲を、どうかこの哀れな偽もふもふにお慈悲をー!」
「何が哀れよ!というかその服も早く着替えなさい」
愛音の力なら琴音を相手に拮抗するはずがないのだが、そんな事をすれば本気で怒らせてしまうのは明白。データの削除を阻止するために宥めるまでの時間を稼ごうとした結果、母のタブレットを姉妹で引っ張り合うという構図が出来上がった。
そろそろ20歳を迎える大学生と、来年には高校生になる中学生。良い年をして何をやっているのかと両親は思わず肩をすくめた。
そのときである。片方が手を滑らせてタブレットを離し力の均衡が崩れた結果、華麗に宙を舞ったタブレットがテーブルの角に激突したのだ。
聞こえてはいけない嫌な音を響かせたタブレットに騒いでいた4人は硬直する。とどめの一撃として床に落ちたそれをいち早く動いた愛音が回収して生存確認をする。
「あっ、良かった。まだ生きて」
電源が付いたその画面を見た愛音はまたもや固まった。何事かと他の3人も画面を覗くと、そこには動画の投稿が完了したことを示す表示がされていた。
完全に思考が停止する4人。そんな心情など知ったことではないタブレットはそのまま画面を暗転させる。それ以降タブレットが何かを語ることは無かった。
スイッチを押そうが画面を触ろうがその返答は沈黙のみ。その瞬間、4人の顔から血の気が一気に引いた。
「ど、どっどっ、どっどうするの!?どうすれば良いのこれ!」
「落ち着け、落ち着くんだ。冷静になるんだ」
「とにかく動画。投稿されたのか確認しないと。これ誰のアカウントだった?」
「お母さんのサブアカウントよ。ちょっと待って、私スマホどこに置いたのかしら」
「分かった。俺のスマホで見る。パスワードを教えてくれ」
「開いたよ!えっーと投稿履歴、投稿履歴。しっかりされているであります!」
「消して消して消して!」
「あっ、充電切れた」
「ぎゃーす!」
その後も誰1人として冷静になれないまま時間が過ぎ去り、ようやく対処が終わったのは不慮の事故から5分後の事だった。
たった5分。されど5分。詩音の日々の暮らしを温かく見守っているヒトは相応の数がいる。案の定、不特定多数のファンの目にはしっかり留まっていた。
「まずい。とんでもない勢いで拡散している」
「私が投稿した動画で1番再生回数が多いものより人気があるわ。悲しい」
「何がまずいって詩音本人が全く知らないのに広めてしまったということよね」
「学校に行く。噂になっている。動画を見る。バレる。嫌われる。終わった」
絶望の未来を余地した愛音はそれを避けられないと悟り膝から崩れ落ちた。今までも何度か危ない橋は渡り、その度に詩音は何だかんだと許してくれたが、今回ばかりはそうもいかない可能性が高い。それはもう非常に高い。
誰でも気軽に情報を発信できるこのご時世。詩音の存在が公になれば彼女が持つ特殊性は大きな波紋を生み、その結果起こる余波はどれ程のものになるかは予測できない。
中には実体無き刃を無遠慮に振るう者もいるだろう。優しいが故にその手の攻撃に一際弱いことを4人はよく知っていた。
「まぁ、遅かれ早かれこうなる気はしていたけどな。先に手を打っておいて良かった」
「それどういうこと?」
「いや何でもない。兎に角、まずは詩音に誠心誠意謝ろう」
「分かった。万物が敬愛する完全無欠、最強無敵のアイドルに昇華させるのはその後だね」
「絶対反対されるって」
「それしかない。恨みも嫉妬も全てを抱擁して浄化する究極の聖獣姫にすれば何の問題もない。これよ」
「これってどれよ。あといま変なルビを振ったわよね。やたらと格好良く決めた二つ名の上に。結構前から考えていたわよね」
「アイデア絶賛募集中よ」
「開き直って無敵になっている」
後に引けなくなり暴走仕掛ける母を鎮めながら4人は詩音を探す。今日は一日趣味に興じているらしいが、どうやら今は自室に戻っているようだ。
休みということもあり、陽が出ているうちから寝顔を晒している詩音。昼寝をすることはたまにあるが、獣人モードで寝息を立てている姿は初めてである。室内に響くシャッター音が止まらない。
「しー姉ぇ、起きて。大事な話があるんだよー」
「わふ、わふぅ」
「頬擦りしちゃうぞー」
「あうぅ」
「苦しんでいるみたいだな」
「何故に」
落ち込む愛音を他所に目を覚ました詩音は動物らしく身体を伸ばして大きな欠伸をする。そのまま寝惚け眼を擦ったところでようやく皆んなの存在に気付いた。
「あれ!?私がいる!」
「あなたが大好きな愛音だよ」
「愛音?はっ、まさか私と同じようにもふもふに。大変だ!」
「落ち着け詩音。実は色々と話さないといけないことがあるんだ」
父はこれまでの出来事を全て説明した。母と愛音がやらかしたこと。それらを誤って公開してしまったこと。包み隠さず丁寧に話した。
「ふーん。それっていま見れるの?」
「あぁ、ほらこれだ」
「わぁ、本当に私にそっくりだ。愛音は凄いね」
「何か反応薄いわね。嫌じゃないの?」
「んー?」
どうやら良し悪し以前に事の大きさをよく理解していないだけらしい。一先ず怒ってはいないようなのでそれに関しては安堵する。
この笑顔を守れるかどうかは今後の対応次第。4人の傑作が強まったのは言うまでもない。
愛「実は半獣モードとか、今日の獣人モードのしー姉ぇになるための衣装と特殊メイクのセットも用意していたりする」
琴「準備万端ね」
愛「これはまた今度時間ができたときにやろう」
琴「やらないという選択肢は無いのね」
詩「洗濯が大変そう」
父「詩音らしい感想だな」
愛「琴姉ぇの分もあったりする」
琴「えっ」
詩「3人一緒なら怖くないね」
琴「やらないわよ。私は絶対にやらないからね」
母「新しいカメラ買っておこうっと」




