EP-142 光陰如箭
光陰如箭。それは月日が経つのが早いことを意味する言葉である。「光陰矢の如し」と言い変えれば多くのヒトにも耳馴染みがあることだろう。
これまでの人生で最も波瀾万丈な1年だったけど、裏を返せばまだ1年足らずの間に起きた出来事なんだよね。
うーむ、改めて考えると感慨深いものがあるね。落ち着いた今だからこそ呑気にそう思えるのかもしれないけど。
それでも結果として今日まで無事に過ごせているのだから、それに勝る幸福はないよね。
「ねー、部屋の掃除手伝ってよー。お姉ちゃーん」
「自分の部屋くらい自分でやりなさい」
「意地悪ぅ。しー姉ぇ助けてー」
抱きつくように飛び込んできた愛音の魔の手から緊急回避。この1年で事あるごとにもふもふされてきたのだ。単純な突撃ならそう簡単にはやられないぞ。
残念ながら寛いでいたソファは占領されてしまったけど。仕方ない、とりあえずココアでも淹れるとしよう。
どうして年末の忙しい時期に私や琴姉ぇはのんびり過ごしているのか。それは以前から少しずつ大掃除を進めていたからである。
そもそも大掃除は年末にまとめて行うイメージがあるけど、12月29日から掃除をするのは縁起が悪いことらしい。縁起が良いのは12月13日で、そこから28日までに終わらせるのが良いのだとママが言っていた。
その忠告を素直に従い掃除を済ませていたのが私と琴姉ぇ。その忠告に従わず怠惰に過ごし、いま泣きをみているのが愛音である。
私達は居間や庭、更には「Lesezeichen」の掃除まで終わらせたというのに、妹は自分の部屋すら片付けていない。何という落差なのだろうか。
「こうなったら最後の手段。しー姉ぇ、手伝ってくれないならこの粘着ローラーで大切な尻尾をコロコロするぞ」
「そんな凶器は仕舞いなさい。一先ずココアでも飲んで一休みしよう」
「ありがとー」
「それを凶器って言うのは詩音くらいよね」
荒ぶる妹を宥めたところで私達は話し合う。結局私も琴姉ぇも可愛い妹のたまに手伝う事になったけど。まぁ、3人でやれば直ぐに終わるはずだ。
「でも大丈夫なの?詩音に見られるとまずいアレとかコレとかあるんでしょ」
「それは平気。一時的に琴姉ぇの部屋に避難させたから」
「なにしてくれているのよ。本当にもう、そういう事だけは仕事が早いんだから」
「お待たせー。それじゃあ始めようか」
ココアのカップを片付けていた私は少し遅れて合流する。愛音も監視の目があるためか、怠けることなく手を動かしている。
始めてしまえばあっという間で、今度こそ愛音はのびのびと居間で寛ぎだした。私が座っていたソファで。
「おー、3人揃って年末を謳歌しているなー」
「お父さんはまだ忙しそうだね。それなーに?」
ソファの上で無言の攻防を繰り広げていると、荷物を抱えたパパが現れた。綺麗にした部屋に荷物を並べるとは。なんて酷いことをするんだ。
「愛音は覚えていないか。前に着たのは随分と昔だから、覚えていないのも仕方ないか」
「それ呉服箱よね。ということは」
パパが並べた箱の一つを開けた琴姉ぇ。呉服箱という名の通り、中に入っていたのは艶やかな着物だった。
色合いからして女性もののそれは愛音や琴姉ぇが着るには随分と小さい。パパ曰く、これは2人が子どものときに着ていたものらしい。
「物置を整理していたら偶然出てきたんだよ。流石にもう着れないけど懐かしくなってな。折角だから見てみたくなったんだ」
「へー、私は全然覚えていないや」
「あの頃の愛音は今より大人しかったな。琴音は今とあまり変わらないが」
「あぁ、何となく思い出した。初詣の帰りに町内のかるた大会に飛び入りで出場したんだっけ」
「かるたではなくて百人一首だな。初めて遊んだのに百個の和歌を全部記憶して、経験者を無双して優勝したから皆んな驚いたものだ」
「琴姉ぇは小さい頃からチートだったんだね」
「余計なお世話よ」
これはきっとママが残していたと思う。こういう思い出の品は捨てずに残しておく性格をしているから。素人目でも良い状態で保管されていたのが分かる。
しかしこの手のものは思い出にはなるけど処分が難しいよね。着られないけど捨てるには勿体ないくらい綺麗だし。かといって再利用の方法は思いつかない。どうするんだろう。やっぱりまた物置の肥やしになるのだろうか。
「あっ、そうだ。飛鳥さんに引き取ってもらうのはどうかな。呉服屋だし、ここにあるより有効活用してくれるよ。きっと」
「そうだな。でも今日は年末で休みだろうから、落ち着いたときにでも渡そうか」
ちなみに飛鳥さんの家は元旦から3日は新年を着物で迎えたいヒト達のために開店しているらしい。商品を買うというよりは着付けの予約で一杯なんだって。
ちなみに私達の着付けはママと琴姉ぇがやる。ママはクリスマス後くらいから連日通い詰めて、秧鶏さんから教わっているのだ。なんでも自分の子どもの着付けは自分でやりたいのだとか。今日は家に居ないのもそれが理由である。
ちなみ琴姉ぇは夏祭りのときに見て覚えたらしい。私が玩具にされていた間にしっかり習得しているとは流石である。
「それにしてもあれね。詩音もこの1年で女性ものの服を着ることにすっかり抵抗が無くなったわね」
「そんなことないよ。でも家にある服が全部女性ものなんだもん。それしかないならそれを着るしかないでしょ。お陰で慣れたけどさ」
私の部屋のクローゼットは組み合わせから衣替えまで全自動でやってくれるんだよ。定期的に新しい服が更新されているし。ちなみに主犯はママで共犯は愛音だ。
自分でもズボンとか買おうと思ったけど、服って意外と高いんだよね。2人の趣味に合わないものは自腹になるんだけど、元々服には興味が無いからそこまでして買いたいと思わないくらいには慣れたよ。
私が持っている男性用の服なんて、それこそ制服くらいだよ。
「どうせなら着物は男性用が良いな。色合いが大人しくて格好良いやつ。それでパパと一緒に男同士で静かに散歩を楽しむの。どうかな」
「愛娘と一緒に散歩か。悪くないな」
「息子!息子だから!そこ最重要だから!」
「成程。確かに今年はしー姉ぇの可愛さを際立たせてきたけど、クール系とかボーイッシュの路線も開拓するのもアリだね」
珍しく愛音が私の主張を汲んでくれた。男なのにボーイッシュという表現をされるのは不服だけど。それでもこれでクローゼットの中身が少しでも私好みになってくれたら嬉しいな。
「分かりました。前向きに検討します」
「検討しないときに言う台詞ね」
「善処します」
「善処しないときに言う台詞ね」
「最善を尽くします」
「最善を尽くすつもりが無いときに言う台詞ね」
行動しないヒトが言う定型文を連発する愛音。最初から期待なんてしていないから良いけどさ。
「それに関しては期待せずに待っておくとして。そろそろ夕飯の準備をしようか。それで早くお風呂に入って早く寝よう」
「えっ、なんで。日付変わるまで起きて待とうよ。この世の誰よりも新年の挨拶やろうよ」
「私そんなに起きていられないもん。なんならもう既にちょっと眠い」
「高校生にもなって夜更かしができないなんて。この健康優良児!」
「それは怒っているの?褒めているの?どっちなの」
「むしろ愛音は早く寝なさい。まだ中学生なんだから」
「そんな殺生な」
年末に食べるものと言えば年越し蕎麦。お蕎麦を茹でるのは勿論。今回は私が天ぷらを揚げてみたよ。
そう言えば料理を始めたのも今年からだったか。今では高温の油が相手でも必要以上に怖がることはなくなった。唐揚げ作りで鶏肉を油に入れる度に逃げていたときが懐かしい。
ママが作ったアルバムと比較すると随分と浅い思い出だけど、私にはどれも大切なものだ。この一年に起きた出来事の数々に思いを馳せながら、揚げたての海老天の味見をする。
出来立ての天ぷらを食べられるのは料理をした本人だけの役得だよね。
詩「ところであの昔の着物だけど、どうして3着もあるの?もしかして予備とか?」
父「いいや、ちゃんと着ていたぞ。お前が」
詩「私!?いやでもあれ女の子用だよね」
父「お母さん曰く、男の子が女の子用の服を着てはいけないなんてルールはない。可愛い子に可愛いものを着せて愛でることの何がいけないの。だそうだ」
詩「暴論だ」
父「確か当時の写真も保管していたはずだぞ。化粧までやって貰って、美少女三姉妹だってちょっと有名になったんだよ」
琴「当時の出来事が衝撃的なあまり、記憶から抹消していたのね。哀れ詩音」
愛「その写真みせてよ。スマホの待ち受けにするから」
詩「ダメ!やめて!消して!」




