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ふぇんりる!  作者: 豊縁のアザラシ
120/199

SS-120 とある諜報員の一日

 私の名前はハート。この国の平和を維持するために人知れず活動する秘密組織に所属する構成員の1人だ。

 自分で言うのもアレだがエージェントとしての能力は高いと自負している。何せ過去に存在する諜報員の中でも最強にして最凶と恐れられたロウ先輩が直々に指導した世代の1人だからだ。

 その指導は苛烈(かれつ)を極め、多くの同胞が道半ばで挫折した。最後まで耐え抜いたのは私を含めて僅か数名。

 あのときは、うん。控えめに言って地獄だった。

 しかしロウ先輩の教えは確かなものであり、私は着実に実績を伸ばして高い評価を得ている。後輩からの信頼も厚く、充実した日々を送っていた。


 そんなとき新たな任務を受けることになった。依頼主がロウ先輩と聞いたときはかつての悪夢が蘇り全身が悪寒と冷汗で震えたことは今も覚えている。

 しかし任務の内容はある人物の監視及び護衛。それも国の命運を左右する地位や権力を持つ重鎮ではないごく普通の学生が対象だという。

 その程度の事で組織の人間を使うなんてあり得ない。にも関わらず任務の重要度、優先度、秘匿性は最高ランク。一体なんの冗談かと思ったが、資料に記された一文で私は全てを理解した。


「尚、対象はコード名L(ロウ)の血縁者である」


 否、理解するか、しないかは最早関係ない。これを断ることは即ち先輩を敵にするということ。そんな選択肢はあり得ないのだ。

 私は全国に根を下ろし害をもたらす反社会組織を制圧する任務を早々に終結させると愛する母国に戻り、早速新たな任務に就いた。

 移動の最中に詳細な情報は把握したが、やはり最初は信じられる内容ではなかった。それでも目の前で獣の耳と尻尾が揺れる姿を見た以上、現実に起きた事実であると認めるしかない。


「こちらハート、対象を確認しました」

『よし。以降はE(エデン)O(オーバー)M(モニカ)とのチームアップで対処しろ』

「了解しました。先輩も対象のスマホに例のアプリ、インストールお願いします」

『あぁ、分かってる。そっちは任せたぞ』

「無論です」

『父さんただいま』

『おぅ、大丈夫だったか?』


 その後、護衛の対象は言ノ葉詩音と名前を改めて日常生活を送り始めた。

 しばらく観察していて分かったのは詩音ちゃんはとにかく良い子であるということ。

 獣化しても理性を失うなんてことはなく、むしろ妹に弄られる始末。この変化を機会に色々なことに挑戦し、学校に通い友達まで作った。これほど素直で頑張り屋で優しい子はそういない。

 しかし、それ故に危うい。彼女は人見知りだが一度信頼すると無条件で相手を信用してしまうのだ。

 例えそれが悪意を持って近づいた人物であっても。


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


「それじゃあ行って来るねー」


 買い物に出かける詩音ちゃんの後を気付かれないように追跡する。この程度なら組織の者で無くても遂行できると思うだろう。しかし事はそう簡単な話しでは無い。

 その理由は詩音ちゃんの聴力。そして警戒しているときの勘の良さだ。下手に追跡をしたり、逆に接近に気付かれないように足音を消して気配を消すと、その違和感を感じて辺りを見回すのだ。

 私も今までそれなりに修羅場を潜り抜けたと自負しているが、まさかごく普通の一般人に気配を悟られるとは。さすがロウ先輩の娘さんである。

 もしもこの失態が彼に知られたら、とりあえず三枚に下ろされることだろう。比喩では無い。あのヒトは本当にやるヒトなのだ。


「あっ!詩音お姉さんだ!」

「おはよー。今からお出かけ?」

「うん。公園に集まって鬼ごっこ」

「そっかー。頑張ってねー」


 以前仕掛けた盗聴器とGPSで詩音ちゃんの現在位置を特定。一般人を装いつつ、確実に視界に入らない距離から仲間と交代して追跡する。

 どうやら偶然すれ違った近所の子どもと話をしているらしい。最初は頑なに家から出ようとせず、例え外出しても家族に隠れていた詩音ちゃんがこうも社交的になるとは。その成長がまるで我が子の事のように嬉しい。


「あら詩音ちゃん。おはよう」

「おはようございます」

「わんわん!」

「君もおはよー」

「わぅー、がぅー」

「へー、ご主人とボール遊びするんだ。一杯遊んでもらえると良いねー」


 どうやら偶然すれ違った近所の犬とその飼い主と話をしているらしい。以前読んだ報告書によるとどうやら彼女はその辺にいる動物と会話をすることができるらしい。

 何でもそのときは近くにいるスズメの群れに声をかけて迷子の猫を探す手伝いをしてもらったとか。諜報員からすると眉唾物の能力である。

 ただし昆虫や微生物とは会話できないらしい。この辺りの線引きは本人も分からないようで今も曖昧だが、「意思疎通が可能か否か、彼女の中に何かしらの線引きがある」というのが担当医の考察だ。


「あっ、スズメさん達。おはようございます。今日も良い天気ですね」

「ピー」


 それにしても動物と話している詩音ちゃんは(はた)から見ているとかなり不思議な子に見える。一見何も無いようなところで立ち止まり、お辞儀したりしているからな。

 事情を知らないヒトが見ればさぞ困惑するだろう。


「今日は皆さんお集まりでどうしたのです?」

「チュンチュン」

「えっ、不審なヒトがついて来ているのですか」

「全員散開しろ!」


 突然周辺を見渡す詩音ちゃん。盗聴器のお陰でいち早く危険に気付いた私は仲間に指示を出すと共に急いでその場を離れた。

 詩音ちゃんは初対面のヒトといるときは人見知りをするし、土地勘が無い場所に行くときは警戒心が高いが、普段は全く危機意識が無い。意識が低いのではなく全く無いのだ。

 良からぬ思想を抱く連中は接触する前に私達が排除しているのもあるだろう。だとしても普通の女子高生が持つ警戒心すら持っていない。やはり今も自分は男であるという認識なのだ。

 そんな彼女を心配するのは野生動物も同じなのか。私達の存在を感知してはそれを詩音ちゃんに報告してしまう。実に厄介極まりないことだ。


「んー、怪しいヒトなんてどこにも居ないけどなぁ」


 そして数ある動物(アニマル)ネットワークの中でもスズメ監視網の厄介さは群を抜いている。物陰に隠れたくらいでは見つけられるし、細い路地裏に逃げたとしても高い機動力を生かして追いかけてくる。加えて数も多いため、こうなると一度撤退するしかない。

 結局私は近くの服屋で変装を一新せざるを得なくなった。このスーツ代金、ちゃんと経費で落とせるだろうか。

 気を取り直して詩音ちゃんの追跡を再開する。スズメ達と熾烈な鬼ごっこをしている間に目的地であるスーパーに着いたようだ。

 外からでは店内の状況が分からない。かと言って大勢で潜入すれば目立つため、こういうときは代表の1人が店の中に入る。今回は私のため買い物客を装い護衛を継続する。


「おっ、20円引きになってるやつがある。やった」


 詩音ちゃんは嬉しそうに油揚げを買い物カゴに入れた。今日の特売品であることに加えて、昨日の売れ残りで値下げされているものがあると知っていて来たのだろう。実に買い物上手である。

 私も商品を適当にカゴに入れて詩音ちゃんの後ろに並ぶ。このまま何事も無く家路に着けば良いのだが。そう思ったときに限ってトラブルとは起こるものなのだ。


「あっ!」

 

 何かを見つけたのか、尻尾を揺らして悩む素振りを見せた詩音ちゃん。するとレジを待つ列から離れて何か商品を取った。

 確認したいが今から列を離れるのは流石に不自然。大人しく買い物を済ませて商品を袋に詰めながら様子を窺う。


「よいしょ、よいしょ」

「いらっしゃいませー」

「あの、その、ポイントカードを」

「お預かりしまーす」


 詩音ちゃんが持つ。否、抱えているのは米だった。それも2キロや5キロではなく、10キロの米。この店で一番大きいサイズの米である。

 急いで米の売場を確認した私は詩音ちゃんの行動に納得し、自分の調査不足を悔いた。詩音が運んでいた米は底値と言っていいほど値段が安かったのだ。

 油揚げを購入することは分かっていたがまさか衝動的に米も買うとは思わなかった。底値を見つけて嬉しそうに耳と尻尾を揺らしているが、果たしてたった1人でどうやって家まで運ぶつもりなのだろうか。

 案の定、嬉しそうに会計を済ませたものの詩音ちゃんは店の端で途方に暮れていた。あの小さな身体で10キロの荷物を抱えるのは困難だ。仮にできたとしても家に帰るまでの体力が無い。


「うにゅうー、ふにゃー」


 それでも自分一人で頑張ろうとしてしまうのが詩音ちゃんである。気合いを入れて米を抱えふと顔を赤くして運び始めた。

 しかしあの声でよく力を込められるな。生まれて初めて威嚇をした子猫のようで、ただひたすらに可愛いだけだ。

 ひとしきりどうにか運ぼうと四苦八苦したものの、店から少し離れた位置で諦めたのか、スマホを取り出して誰かに連絡を取り始めた。

 ロウ先輩に車で迎えに来てもらうつもりなのだろう。それが最も堅実だし、私達としてもあの人が来てくれるならこれ以上安心できることは無い。


「あれ、電源が付かない。はぅ!充電が切れてる」


 詩音ちゃんは落ち込むと耳と尻尾が萎れるから遠くからでもよく分かるな。

 ちなみにスマホに仕込んだGPSは組織が開発したもので、容量や充電の減りにほとんど影響が無い代物だ。特に詩音ちゃんは買い直したばかりであり、電子機器には詳しく無いから分からないはず。

 例え充電が切れたとしても僅かに残る電力でGPSはしばらく機能するから、このまま離れても見失うことは無い。このまま作戦通り監視と護衛を継続するのが賢明だろう。

 しかしそれは10キロの米の隣で途方に暮れる詩音ちゃんより任務を優先した場合の話だ。任務云々の前に大人として、困っている詩音ちゃんを助ける方が大切に決まっているだろ。任務遂行だって?そんなのどうだって良いんだよ!


「おや、そこにいるのは詩音君じゃないか」

(はと)さん!こんにちはです」

「よく私の名前を覚えているね」

「だって鳩さん、毎日お店に来てくれたじゃないですか。私だって常連さんの名前は覚えられますよー」


 そう、実は私は普段から彼女の母が経営している店に潜入調査をしている。あるときは任務で。またあるときはプライベートでずっと見守っていたのだ。

 それはもう詩音ちゃんが料理ができなかった頃からずっと通っている。初めて注文したサラダの野菜が不揃いで、きゅうりの輪切りが全部繋がっていたのは良い思い出だ。


「こんなところで何をしているんだい?」

「実はその、ちょっと買い物をし過ぎてしまいまして」

「成程ね。私で良ければ手伝うよ」

「いやいや、それは流石に悪いですよ」

「子どもが気を遣う必要はないよ」

「むっ、私はもう高校生です!」


 憤慨する詩音ちゃんから米を預かり家路を共にする。結果としてすぐ側で護衛ができるのはありがたいことだが、それとは別に1つ問題があった。

 店を出た後から背後から付いてくる2人組の人影。実力はプロ寄りのアマチュアといったところか。武装もしている。追跡に気付かれている時点で程度が知れるというものだが、構成員があの2人とは思えない。間違いなく別動隊がどこかにいる。

 ここから家までの道中で人通りが少なく、接触してくる可能性があるポイントは限られている。詩音ちゃんに気付かれないように周囲にいる仲間に合図を送り対処させる。

 彼らに任せれば万に一つの危険も無いだろう。私は私で詩音ちゃんに気付かれないように敵を排除しなければならない。


「ところでそっちの袋には何が入っているんだい?」

「これは油揚げです。お米も買えたから今日は稲荷寿司をたくさん作るのです」

「それは良いね。きっとお父さんも喜ぶよ」

「いいえ、これは友達と一緒に食べます。稲荷寿司が大好きな子がいるので」

「あー、そうなんだ」

「この世の何よりも油揚げが好きと言っていました」

「その子は狐か何かなのか?一体いくつ買ったんだい?」

「安くなっていたので予定よりたくさん買えましたよ。えーっと」


 詩音ちゃんが顔を伏せて買い物袋を漁ったその瞬間、私は10キロの米を空に投げて音も無く地面を蹴る。地面を滑るように姿勢を低くして接近し、相手の間合いの内側から急所に一撃を叩き込む。

 流石に戦場でも無いこの地で屠るようなことはしないが、しばらく病院の天井を見上げる生活になるのは必至だろう。


「見てください。全部で3袋も買えました」

「おー、大量だね」


 落ちてくる米をキャッチして、詩音ちゃんが顔を上げる前に元の場所に戻る。耳を動かして自慢げに見上げる姿はあまりにもあざとい。これで無自覚なのだから本当に困ったものである。


「あれ、今なにか倒れるような音が聞こえたような」

「そうかい?私には何も聞こえないが。それより早く家に帰ろう」

「そうだ。お遣いの途中でした」


 家路を急ぐ詩音ちゃんの後ろを着いて行く。手前の角の曲がるとき反対側にあるカーブミラーに仲間が写る。どうやら向こうも片付いたようだ。


「鳩さんはお昼ご飯もう食べましたか?まだなら是非お礼させて下さい」

「そうだなぁ。それなら有難くご厚意に甘えようかな」

「任せて下さい。美味しい稲荷寿司を作ります」

「あの店、一応洋食屋だよね」

「特にそういう拘りは無いです。ママの気分次第なので」

「こんにちはー」

「わんわん!」

「こんにちは。お前も元気かー?」


 ご近所さんが連れている犬と戯れる詩音ちゃん。私はその飼い主と軽く会釈をする。

 成程、この先のルートは異常無し(クリア)か。どうやら今日も無事に家まで帰れそうだ。報告感謝するぞ、モニカ。


「そろそろ行くよー」

「くぅーん」

「またねー」


 その後はトラブルに巻き込まれる事もなく、無事に彼女を家に送り届けることができた。約束通り稲荷寿司をご馳走になったがやはり美味い。

 仕事に関係無くともプライベートで通う価値があるな。


「家庭教師のお仕事。頑張って下さいね」

「ありがとう。また来るよ」


 詩音ちゃんに見送られた私は先程来た道を戻り、配置に着いて任務を続行する。

 手土産に貰ったこの稲荷寿司は後で仲間にあげるとしよう。

詩「見て見て狐鳴さん」


狐「わぉ、稲荷一色のお弁当だ」


詩「お裾分けだよ。ハロウィンはよろしくね」


狐「貰って良いの!?いやっほぅ!」


鳥「なんて優しい賄賂なの」


狼「美味そうだな。俺にもくれよ」


狐「シャー!」


狼「うぉっ!?動物みたいな威嚇するなよ」


猫「あなたそんなに稲荷寿司好きだった?」


狐「んー、そう言われると結構食べる機会多いかも」


鳥「今更取り繕う必要ないよ。稲穂の家は食卓の全てを油揚げに染めあげるなんて日常茶飯事だもん」


狐「他人の家の食卓事情を暴露するな!」


詩「また機会があったら作ってあげるね」

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