EP-12 担当医
性別が変わり動物の耳と尻尾が生えたせいで慌ただしく日々が過ぎる。気付けば月が変わり冬服では熱を感じるようになる。
「手を横に伸ばして真っ直ぐ立つ。ほら」
「わぅん」
姿見の前でママに言われるがままに動く。女性ものの服は種類が多くていまいち着方が分からない。着せ替え人形にされたとき一回は袖を通した筈だけど記憶が無いんだよね。
どうにか着たものの人様に見せられない有様だったので結局ママに着付け直してもらっている。腰リボンを背中で綺麗に結ぶなんて姿見があってもできないよ。
「よく似合ってるわ。尻尾を出す穴を空けて正解ね」
自分が選んだものを着させられたからか、今日のママはご機嫌である。結構良い金額のそれに尻尾を出すためだけに穴を空けて縫い直すとは。
さて、どうして慣れない格好をしているのかと言うと、これから出かけるからだ。事故の後にお世話になった病院が紹介してくれた医者に会いに行くのである。
その人は医者だけでなく獣医師の分野にも精通しているのだとか。今後はその人にお世話になるから挨拶と事故後の診察をしてもらうことになる。
「でもご近所さんで良かったわ。電車で小一時間かかるのかと思っていたから」
「そうだね」
そう。紹介された医師は家から歩いて通えるほど近い場所に住んでいるという。何という偶然だろうか。
それでも今日はママとパパの3人で向かう。移動には車を使う。道中ですれ違うヒトの視線に晒されるのはまだ辛いから。
戸締まりをするママを置いて先に軒先に移動する。よし、周りに誰もいない。
余談だけど我家は家の外の敷地が結構広い。道路と私有地を分ける柵を通った後、玄関の扉まで少し歩かないといけないのだ。
代わりに道沿いにはママが経営しているカフェがある。料理好きが高じて開店したらしいが、お店は小さく利益はほとんど無いらしい。あくまでも趣味や道楽の延長線に過ぎない。
「紫音、行くわよ」
「はいはい」
パパが移動させた車の後部座席に乗り込んだ私は車が発進する前に帽子を被った。これで獣耳が見られることは無い。
シートベルトをして準備は整った。それにしても車に乗ると尻尾の収まりが悪いな。背もたれとの間でその存在を主張している。これでは背中を預けられないじゃないか。
具合の良い体勢を模索するが納得がいく回答が得られないまま目的に着いた。乗車時間一瞬だったな。
「ここで合ってる?」
「みたいだな」
住所を確認してパパは敷地内の駐車場に車を停める。樹や花が植えられて緑に溢れるその病院は、周囲がアスファルトに覆われた住宅街と道路であることを踏まえると違和感がある。ここだけ森の中にあるみたいだ。
「桜の樹に梅に紅葉、モミの木まである。ここだけで一年の月日を感じられそうだよ」
「良いところね。いつも気にせず通り過ぎていたけど勿体無いことをしていたわ」
病院に入ると中は味のあるレトロカントリーという内装で、とても病院とは思えない雰囲気だ。待合室の中央にある大きな水槽で泳ぐ金魚。席も動物が引っ掻いたり噛み付いた痕が所々にある。
生き物と緑の匂いに紛れて微かに感じる薬品の臭い。お世辞にも綺麗とは言えないところだけど、着飾らないこの感じは自然と余計な力を抜いてくれる。結構好きな趣味かもしれない。
「紫音、こっちきて見ろよ!」
声色を高くしてパパが呼ぶ方を向く。「受付」と書かれた簡素な卓札。そこにはさも当然という堂々とした態度で眠っているフクロウがいるではないか。
「可愛いわねー。触っても大丈夫なのなしら」
ここは本当に病院なのか。アニマルカフェの間違いでは無いのか。それとも動物病院ってこれが普通なのか。
次々と湧き出る疑問を頭の隅に寄せて受付に置かれている呼鈴を鳴らす。「リンッ」と音が鳴るとフクロウは半目を開ける。
まるで起こすなと言わんばかりに私を睨んでいるみたい。一体どうしろというんだ。視線を合わせるとフクロウはゆっくり目を閉じた。私の勝ちだ。
「はーいただいま」
程なくして奥から看護師の女性が現れる。思っていたより若い人だ。
「えっと、言ノ葉紫音さんですね。竜崎動物病院へようこそ。私は動物看護助手の戌神造美です。よろしくお願いします」
そう言うと戌神さんは手を差し出して握手を求めた。わたしではなくママに。すみません、紫音はこっちです。
耳を動かして主張する。ママも曖昧に笑いながらさりげなくそう指摘すると、戌神さんは顔を真っ赤にして照れたように私と握手した。可愛い人だなぁ。
「んんっ、では早速ですが先生のところに案内しますね。着いてきてください」
着いて行くとは言え案内された部屋は目と鼻の先だった。建物の割に狭い気もするけど、怪我や病気の動物を預かっているスペースが大半を占めているのだろう。
「竜崎さん。言ノ葉さんがお見えになりましたよ」
「ぐはああぁあーーー!」
突如診察室に響く悲鳴。只事ではないその声に緊張やら不安やらの感情は全て吹き飛び、とにかく目の前の扉を開ける。
そこには地面に倒れる男性と2匹の大型犬。ゴールデンレトリバーとシベリアンハスキーかな。辺り一面には夥しい量のドッグフードが散乱していた。
「葉生さーん!?」
「何て酷いことを。一体誰が」
慌てて介抱する戌神さんと戦慄するパパ。これで床に散っているのが血なら事件だけどドッグフードだからなぁ。
それとよく見ると倒れているお医者さんの近くにあるドッグフードだけ無駄に綺麗に並んでいる。もしかしてこれはダイイングメッセージのつもりなのか。だとすると倒れているのにこのお医者さん余裕綽々じゃないか。ユーモアに溢れ過ぎだよ。
そして多分、パパとママはお医者さんの意図を咄嗟に理解した上で悪ノリをしている。1人本当に心配している戌神さんが可哀想だよ。
「あなた、あれを見て!」
ママがダイイングメッセージ?の存在を指摘して戌神さんの意識をそちらに向ける。文字列は2つあってそれぞれ「ひのえ」、「このと」と読める。たぶんこの犬達の名前だよね。
「こらぁ!2人とも!」
証拠隠滅を図り逃げる2匹の犬。戌神さんはそれを追いかけて診察室を出て行った。なんだこの愉快な病院は。
「いやー、お恥ずかしいところをお見せして申し訳ない。まぁ、こんなの日常茶飯事なんですがね」
何事も無かったかのように起き上がり、椅子に座るよう促しつつ周りを手早く片付けるお医者さん。寝癖はそのままで着ている白衣も動物に汚されていてみすぼらしいが、不思議と嫌な感じはしない。根からの良い人なのだろう。
「改めてまして、竜崎葉生です。本業獣医師ですが人間も診れます。以後よろしくー」
母「さっきの2匹は竜崎先生が飼っているんですか?」
竜「はい。正確には飼主さん募集中って感じですが」
父「と言いますと?」
竜「ウチに居るのは病気や怪我で入院している子を除くと他に行くあてが無い子なんですよ。保健所に行くところだったり、捨てられてしまったり、飼主が倒れてしまったり、理由は様々ですが」
紫「そうなんですか」
竜「言っておきますけど俺はそんなお人好しじゃないですよ。幸せにしてやれる保証ができないのに軽々と命を預かるのは人間のエゴですから」
父「仰る通りだと思います」
竜「でもね、うちの戌神が皆んな連れて来ちゃうんですよ。見捨てられない、助けて欲しいって。そんなこと言われたら放っておけないじゃないですか」
竜崎先生は快活に笑う。ここに来て良かった。
この人なら信じることができる。




