EP-115音楽のちから
予定通り体育館のステージを存分に拝める特等席を確保した愛音。母と共に詩音の勇姿を残す準備を終えたところで予定されているイベントが順次始まる。
しかしこのヒト達は残念なことに詩音以外のヒトに関しては大した興味を持っていない。その結果、今日が楽しみで早起きした分不足していた睡眠時間を補うことに費やした。
客席から良く見えるということはステージ側からでもその様子が良く見える。特等席で堂々と眠る愛音もまたそれはよく目立っていた。
「ハッ!ここは高校、私は愛音」
「思考は正常みたいね。安心したわ」
軽音部によるライブが始まったことで周りも騒がしくなり、流石に眠っていられない。
詩音の出番まで残り約1時間。適当に時間を過ごすべくスマホを取り出して弄り始める。母ですら手拍子くらいしているのに凄まじい胆力である。
「皆さん、聴いてくれてありがとうございます。では次のバンドに交代します。しかし実はメンバーの1人が昨日怪我をしてしまいまして」
「でも安心して下さい。頼りになる助っ人が来てくれましたよ」
そう言って無事にライブを成功させた学生達が掃けていき、次のグループがステージに上がり機材の準備始める。
始まるまでの待ち時間。にも関わらず客席はこれまでとは違うざわめき方をする。
「あっ、琴姉ぇから通知が来てる。えーっと」
「愛音、愛音。前を見て」
「あー、ちょっと待ってて」
「あの子、もしかしなくても詩音じゃないの」
「なぬぅ!?」
驚きと興奮を交えて肩を叩く母の言葉に愛音は顔を上げてステージを見る。そして見つけた。皆んなが準備をする中、端の方で静かに佇んでいる詩音の姿を。
次にある演劇の衣装だろうか。髪と尻尾の毛の色が普段とは違う。制服下に衣装を着ているのだろうか。靴も上履きでは無く動物の足のようだ。半獣化した詩音を知る愛音にとってはよく見知った姿である。
「一瞬明日が満月かと思ったわ。でも手はヒトのままだからあれは衣装よね。元の素材をよく生かしているわ」
「半獣しー姉ぇの制服姿。良い!良いよ!」
詩音は早々に音の確認を済ませた後、邪魔にならないように大人しくしている。しかしその存在感は明らかで、不安のあまり尻尾を抱いている様子がより大衆の視線を集めている。
「そんな感じで今日はやっていきますが、さっきも言った通り今日は怪我で休んだメンバーに代わり特別ゲストが来てくれています。言ノ葉さでーす!」
「わふっ、詩音の名前は詩音です。詩音と呼んで下さいよろしくお願いしましゅ」
最高潮に緊張していることがよく伝わる自己紹介。客席にいるヒト達の心がほっこり温まった。この一瞬で大半の者が好意を抱いたのは言うまでもない。
「それでは早速1曲目いきます。聴いてください!」
全く余裕が無い詩音の様子に気を利かせて早速演奏を始めることにするバンドのメンバー。彼女達は知っている。このもふもふは楽器を弾かせると別人のように性格が変わるのだ。
ドラムの合図で奏でる最初の一音を鳴らした途端、彼女の雰囲気が変わる。音色が創造する世界に音楽に然程興味が無いヒトですら心を揺さぶられ、引き込まれていく。
ヒトはこの気持ちを感動という言葉を使い表現する。先程の様子から一転し、素人の技巧では無い運指を披露する詩音は演奏しながら楽しそうに笑う。
その純粋な笑顔を見てときめかないヒトなどいるはずもない。演奏が終わる頃には観客の心は一つとなり、ステージを震わせる歓声が上がった。
「わぁ、こんなに盛り上がったのは初めてだよ」
「適当なトークタイムでも挟む予定だったけど、ちょっとペース上げた方が良いね」
「それでは立て続けだけど2曲目!私達が最初に作った曲です。どうぞ!」
その特殊な外見と演奏技術に驚いた観客達だったが、彼らは更に驚かされることになる。それは演奏をしながら披露された詩音の歌声だった。
当初は歌わない。もしくはできる範囲でコーラスを入れるだけの予定だったのだが、詩音は音楽に関する学習能力は非常に高い。曲と同時に一度聴いただけで歌詞は覚えてしまったのだ。
そして昨日、演奏が楽しくてテンションが上がった詩音は本来のギターが担当する通りに歌ってみせた。それもただ上手いだけでは無い。曲調に合わせて声の質を変えて、音楽の世界観をより鮮明に表現してみせたのだ。
年齢より子どもらしい幼い声から外見からは想像できない激しい歌。更には成人男性の低い音まで変幻自在。演奏も歌もその曲に求められているものを、それ以上の完成度で応えてみせたのだ。
時間の流れと共に観客の心を引き込むライブ。本来なら適当なトークを挟んで時間を稼ぐ予定だったが、そんな小細工など無用だった。観客が、何より演奏者が楽しんだ時間はあっという間に過ぎ去ってしまう。
「はーい!以上で私達のライブは終わりまーす。もう一曲をやる時間は無いけど。言ノ葉さん、最後に一言頂戴な」
「えっ?」
演奏の余韻に浸る詩音だったが、最後の最後に現実に呼び戻される。マイクを押し付けられて状況を察すると、あたふたと慌てて目をぐるぐると回しながら何とか言葉を紡ぐ。
「あの、その、この後は私のクラスで発表があります。演劇です。えっと、よければそれも見てもらえると嬉しいです。あっ、でも時間があればで大丈夫なので。よろしくお願いします、はい」
震える声で述べたのは感想ではなく宣伝だった。先程の雰囲気から一転して、しどろもどろに答える詩音に観客の心は温もりに包まれた。
「やっぱり詩音は好きなことをしているときが一番輝いているわね」
「いつもの可愛いしー姉ぇと、最高に格好良いしー姉ぇが見れた。これはもう昇天するしかない」
「あら、本番はここからでしょう」
「琴姉ぇ、今のしー姉ぇ見てた!?」
「残念だけどいま来たところよ」
「あー、惜しいなー。もう人生の半分は損をしたよ」
「そこまで言うのか」
「残念。でも私に言わせれば損をしたのは愛音の方だと思うわよ」
「へー、この文化祭にしー姉より素晴らしいものは無いと思うけど」
「それは後のお楽しみね。ほら、次が始まるわよ」
演劇の主役がその前のイベントに飛び入り参加するのは前例が無いことだが、ただの学生が行う行事にここまで期待が高まっているのも今までには無かったことだ。
何せこの場にはもう彼女のファンしか存在していないのだ。どんなに残念な演技であろうと、例え失敗したとしても、最後までやり遂げれば拍手喝采の嵐となるだろう。
本人は望んでいないだろうが観客の期待は最高潮だ。全員の注目が集まる中、遂に開演の幕が上がる。
詩「私はもう満足だよ」
猫「いや本番はここからだから!急いで着替えなさい」
鳥「これはまた見事に燃え尽きたね」
詩「台詞も全部飛んだ気がする」
狐「大丈夫大丈夫。しーちゃんは好きにやってくれれば良いから。後のことは他の皆んなにアドリブで何とかさせるよ」
鮫「無茶振りが過ぎる」
狼「まぁ、緊張しているよりは力が抜けたぶん良いだろ。昨日だってなんだかんだで上手くいったし。お前らなら何とかなるさ」
鮫「裏方は気楽で羨ましいよ」




