EP-11 お手入れ
「さて紫音。私達に何か言うことがあるわよね」
俺、もとい私はリビングに敷かれた絨毯の上で正座させられている。それを強要した琴姉ぇは腕を組み足を肩幅に開いた仁王立ちスタイルで耳を見下ろしている。
んー、やっぱり心の中でも一人称を私にしないと間違えて口から出そうになる。不本意だけど意識して変えていかないと。
「別に何も無いけど」
琴姉ぇの詰問に対してありのままに答える。そう、私は2人がご立腹な理由に全く心当たりが無い。寝巻きから着慣れない服に着替えようと四苦八苦していたときに道場破りの如く2人揃って部屋に押し入って来たのだ。
お陰で着替え途中の半裸姿を見られた。これはむしろ詫びるのは2人の方ではないのだろうか。
「しー姉ぇ、今までちゃんと髪を洗ってなかったでしょ」
愛音は人差し指を立てて私に向かって言い放つ。他人を指差すのはやめなさい。
それに髪くらいちゃんと洗ってるし。耳の中に水が入らないか冷汗を流しながらね。
「だったらそんな毛先がボサボサになる筈無いのよ。どうせ男のときみたいに泡立ったら終わりって考えてるでしょ。リンスに至っては使ってすらないし」
「うっ」
「お風呂出た後の肌の手入れは億歩譲って良しとしても、そのもふもふを雑に扱うことは許されないの。許されないの!」
「2回も言うな」
愛音の戯言は置いておくとして、琴姉ぇの指摘は正しくその通りで反論のしようが無い。
男のとき、耳や眉毛が隠れないくらいの短髪だったけど、今は下ろすと背中が隠れてしまう長髪だ。心無しか毛量も増えている気がする。尻尾に関してはそれ以上だ。
それの全てを丁寧に洗っていたら一体どれほどの長風呂になることやら。私の方が先にふやけてしまう。
「面倒だろうと女の子たるもの自分磨きは怠るべからず。洗い方を一からちゃんと教えてあげるから来なさい」
「今から!?まだ朝なのに」
「朝風呂も乙なものだよしー姉ぇ。大人しく私達に尻尾をもふらせなさい」
「それが本音でしょ!」
抵抗するも多勢に無勢。人間のレベルを超えた身体能力を発揮する愛音に回り込まれ、尻尾を掴まれて力が抜ける。そのまま肩に担がれて浴室に連行された。
この身体、弱点が多過ぎて嫌になる。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
着替えたばかりの服を剥ぎ取られて浴室に詰め込まれる私。入口は立ち塞がれてもう脱出の術は無い。
「お姉ぇとおっふろ、お姉ぇとおっふろ」
語尾に音符が付いているのが分かるくらいテンションが上がっている愛音。わざわざ新品のスポンジを用意して準備は万全な様子だ。
ちなみにここはお風呂場だけど愛音達はシャツとホットパンツを着ている。いくら家族でも異性が裸で過ごすのは私の心が保たないから、濡れても良い格好をしてもらったのだ。
「思春期の男子じゃないんだから」と琴姉が愚痴を漏らしていたけど、中身は思春期の男子そのものなんだよ。多感な時期のど真ん中なんだよ。むしろ隠してくれと頼んでいるのに不服である意味がわからない。
ちなみに私は産まれたままの姿です。シャツ1枚すら許されず、せめてタオルで隠させて欲しいと言うとフェイスタオルを渡された。ここは普通バスタオルを渡すところだと思う。どうにか前は隠せているけども。
「ところで紫音はどのシャンプーを使っていたの?」
「これ」
指差したのは以前から使っているシャンプーだ。父さん、ではなくパパが使っているものを許可を得て拝借しているのだ。
それを知るや否や琴姉ぇはそのシャンプーを手に取ると流れるように脱衣所の隅にあるゴミ箱に投げ捨てた。
「ええぇー!?」
「あれは男用のシャンプーなの。今の紫音が使うのはナシ」
言い分は理解したけど捨てる必要は無かったでしょ。私は兎も角パパが泣くよ。
「ほら楽にしてしー姉ぇ。まずは私がやってみせるから。ふへへへへ」
「口で言えば分かるよ。触る必要なんてふひゃあ!?」
「わぁ、シミもホクロも何一つ無い。大きい。柔らかい」
空のバスタブに入れられた私は精根尽き果てるまで2人に虐められた。気分はトリミングされた後に全身を洗われるペットである。
もう2度と同じ辱めを受けたくない。この日を境に私は真面目に手入れをすることを誓った。
「洗顔、化粧水、美容液、クリーム、日焼け止め。夜は洗顔の前にクレンジング」
燃え尽きて灰になった私はリビングのソファに座り、教えられた呪文を繰り返し唱えながら虚空を見つめる。お風呂を出た後もやることがあるとは恐れ入ったよ。
その上私は髪を梳かして更に尻尾を梳かさないといけない。自由に過ごせる時間が無い。一体いつになったら解放されるのだろう。
「はいこれ」
渋々やろうと重い腰を上げたところでつげ櫛を渡される。でも確かこれって櫛の中でも一生使えるような高級品だったはず。本当に変なところでお金をかけるな。
「私がやっても良い?」
「駄目」
邪念を溢れさせている愛音を追い払い髪を梳かす。正直に言ってものの良し悪しは分からないけど使いやすいのは確かだ。
ふむふむ、尻尾は敏感だと思っていたけどそうでもないみたい。毛を逆なでるように触られたり、尻尾の本体を直接掴まれたりしなければあまり気にならない。
むしろ丁寧に撫でるぶんには気持ち良いかもしれない。梳かす度に艶が増してふわふわになっていく。あっ、これ永遠にできるやつだ。
「生まれ変わったら櫛になりたい。合法的にもふもふに埋もれたい」
「何を言ってるの?」
「私にも触らせてよー。乱暴にしないからさー。ちょっとだけ、ちょっとだけで良いから」
「動画を消してくれたら良いよ」
「うっく!しー姉ぇもだいぶ強かになったね」
「撮ってたんかい」
適当に言ったのに本当に撮影していたらしい。愛音は一度肖像権という言葉の意味を調べた方が良いと思う。
悩んだ結果、撮影を諦めたらしい愛音はテレビに近付くと、裏側に立てかけていたスマホを取る。それもう盗撮のやり方なんだけど。
「尻尾の先に向かって撫でるだけならセーフ?」
「何で分かるのさ」
「ずっとしー姉ぇを観察していたから」
「兄のストーカーはやめなさい。でも枝毛見つけたら教えて」
「任せろ」
ここで約束を破れば2度と触らせてなるものか。そんな私の警戒を敏感に感じとったのか、愛音の触り方は今までと違いとても丁寧だった。何だかんだで本当に嫌がることはしない愛音。相変わらずこうした駆け引きが上手い奴。
「はあぁ、幸せ〜」
「愛音って動物が好きなんだね」
「んー、どうかな。好きは好きだけどペットを飼うとなると色々と大変でしょ。それを考えると諦めるくらいって感じ」
「あー、それは分かる気がする」
「別にしー姉ぇをペット扱いしているとかでは無いからね」
「分かってるよ」
「私さ、こんな大きいもふもふを抱いて寝るのが夢なんだ」
「それは駄目」
唐突なカミングアウトはやめてくれ。抱き枕にさせてと言われて了承する訳があるか。おいこら舌打ちをするな。
「それならこうしてたまにもふらせてよ。一緒にお手入れ手伝うからさ」
「どうしようかな」
「お願いしますよしー姉さま〜」
「まぁ、気が向いたらね」
「よっしゃぁ!」
言質を取ったとガッツポーズをする愛音。嬉しそうだけど別に毎回やらせるつもりは毛頭ないからね。
琴「あなた達、私抜きで楽しそうなことしているじゃない」
愛「琴姉ぇ。このもふもふ半端じゃないよ。手間暇かけるほど艶ともふ度のステータスが上昇していくよ」
紫「RPGゲームのレベル上げか」
愛「数値が上限に達するまで私はやめない!」
紫「それは困る」
琴「紫音の言う通りよ。上限一杯まで極めるのは私がやるから代わりなさい」
紫「それも困る」




