EP-109 血縁
文化祭の出し物として演劇をやることが決定して、私以外のクラスメイトにも役割が与えられた。
疲れた私とは対照的に皆んなの気持ちは湧き立っているけど、事はそう簡単ではない。何せ学校の飾り付けもあるのだ。舞台に立つメンバーも練習だけに注力する訳にもいかず、裏方の物作り班を手伝わないと間に合わない。
「あっ、しーちゃんは演技にだけ集中してくれれば良いからね。その他諸々の雑用は私達で何とかするから」
「そういうわけにもいかないよ」
雑用なんて言うけれど、必要ない役割なんて無いんだから皆んなで協力しないと。仲間外れも寂しいからね。
「ちょっと、どうして私は教室に入っちゃ駄目なのよ」
「分かってくれ猫宮さん。作業を効率よく進めるにはこれが最善なんだ」
「あなた達、私のことを馬鹿にしているの?木材を切るくらい私にだってできるはずよ」
「駄目よ!教室がサスペンスの事件現場になってしまうわ!」
「それどういう意味よ!」
「まぁまぁ皆んな落ち着いて。猫宮さんは俺と買い出しに行こう。予算に対して必要なものが多くてね。賢く買い物ができるヒトがいないと予算オーバーしそうなんだ」
「そういうことなら仕方ないわね」
「馬場も来てくれ。一緒に荷物持ちだ」
「はいよー」
荒ぶる猫宮さんを宥めて買い物に出かけるナツメ君。さすが彼だ。これで余計な血を流さずに済む。
猫宮さんとノコギリを同じ空間に置いてはいけない。混ぜるな危険の劇物だからね。
「まぁ、予算が少ないのはそれなりの理由があるんだが」
「狐鳴さん。さすがにこれはやり過ぎよ。予算のほとんどを衣装代につぎ込むなんて」
「結構出演する人数が多いからね。これでも結構切り詰めているんだけど」
「そう言ってほとんど言ノ葉さんの衣装代よね。他のヒト達との落差が酷いわよ。紙で作ったお面を頭に付けるだけなんて。保育園児の演劇じゃないんだから」
「折角しーちゃんが主役を引き受けてくれたのに妥協はできない」
「やれやれ」
「良介、早く次の板を切ってよ。また押さえているからさ」
「ん、分かった」
切った板を組み合わせて舞台に使う道具の形ができる。ここから色を塗ったりするけど今日はもう時間切れ。各々が家に持って帰ることができる範囲で作業を進める予定だ。
ちなみに私が持ち帰るのは台本1冊。誰よりも身軽なはずなのに誰よりも重く感じるのはどうしてだろうね。
「狐鳴さん、いくら予算をかけたとしても上手く作れるヒトがいないと意味無いわ。既存のものを買うだけならまだ良いけど」
「こういう類いの衣装って作りが甘くて安っぽいから駄目だよ。素人のコスプレって感じで。そんなものではしーちゃんの魅力は引き出せない」
「となると自作するしか無いけど、私達の中で服が作れるほど裁縫が得意なヒトはいないでしょう」
「それに関しては心当たりががあるんだ。私もあったことは無いんだけど、今日にでも交渉してみるってさ」
「そう。でも上手く行かない場合も考えておかないと」
「大丈夫だよ霊ちゃん。そのヒトも私達の同志らしいから。きっと喜んで引き受けてくれるよ」
*****
「ただいまー」
文化祭に向けた買い出しによりいつもより帰宅時間が遅れた棗は鍵を取り出したところで開いていることに気付いた。どうやら今日は自分より早く家に帰ったヒトがいるらしい。
最も両親は基本的に遅くまで仕事をしているので、誰の仕業が想像は容易い。
「ただいま姉さん」
「なっちゃんお帰りー」
居間でだらしなく寝転がる姉に声をかけて、帰る途中で買った食材を冷蔵庫に入れる。ついでに夕食に使う材料を取り出して慣れた手つきでエプロンを身に付ける。
「ねー聞いてよなっちゃん。今日学校でさー」
「はいはいどうしたの」
棗の姉は専門学校に通っているのだが、日々大変なことがあるのだろう。キッチンに来ると半分の確率で棗に愚痴を漏らしてストレスを発散している。ちなみに残りの半分はご飯をつまみ食いに来るときだ。
しかし今日は相当鬱憤が溜まっているのか、背後から文字通り粘着質に絡みついてきた。姉との関係は良好だから気に触ることは無いのだが、さすがに包丁を持っているときは危ないから控えて欲しいと思う。
「それで今日やっと課題を出し終えたの。本当に大変だった。もうやってられないよー」
「ご苦労様。それなら今夜はお祝いにハンバーグにしようか」
「チーズは?」
「入れましょう」
「やった!さすがなっちゃん。愛してるぜっ」
背後で小躍りする姉。彼女は頑張ったことを認めてくれた弟が気を利かせて好物を用意してくれていると考えているのだろう。
しかしそれは偶然だ。棗はこの後の交渉を少しでも有利に進めるために機嫌を取ろうと思っただけである。
しばらくして夕食の支度が整い、2人は食卓を囲み手を合わせる。程良く溶けたチーズを絡めたハンバーグを頬張り、棗の姉はいまご満悦だ。
今なら話せる。そう判断した彼は狐鳴から言われたミッションを遂行するべく口を開いた。
「姉さん、実は折り入って相談があるんだけど」
「ん?なんだね。お姉ちゃんに話してみなさい」
「姉さんは卒業生だから知っているよね。来月高校で文化祭をやるんだけど」
「おぉ!そういえばそうだね。なっちゃんは何やるの?」
「演劇だよ。裏方だから舞台には立たないけど」
「そうかそうかー。色々と大変だろうけど楽しみなよー」
「うん、ありがとう。それでちょっと姉さんに頼みたいことがあってさ」
「ふむふむ」
「皆んなが着る衣装なんだけど、それを作るのを手伝ってもらえないかな。ほら、姉さんは学校で服飾の勉強をしているから。力を貸して欲しくて」
本題を切り出したそのとき、姉の箸の動きが止まる。先程までの機嫌が嘘のように何とも言えない微妙な表情を浮かべていた。
「うーん、なっちゃんのお願いは聞いてあげたいんだけどね。さっきも言ったけど、同じ製作チームになった子がサボったせいで、その穴埋めのために今日まで凄く頑張ったの」
「うん、そうだったね」
「それで明日からは学園祭で展示するデザインを描かないといけなくて。あんまり余裕が無いんだよね」
「そうか、分かったよ。無理なことを言ってごめんね」
「こちらこそ力になれず申し訳ない。ハンバーグご馳走様。お風呂に行ってくるね」
「はーい、行ってらっしゃい」
2つの意味で手を合わせて立ち上がる姉を見送り、棗は静かに息を漏らす。
姉が多忙なことは分かっていた。それでも聞くだけ聞いて欲しいと狐鳴に懇願されたので駄目元で頼んだだけのことだ。
そして結果は棗の予想通り。せめて早く結果を伝えようと狐鳴に電話をかける。
『へいサメ!それでどうだった?お姉さん了承してくれた?』
「単刀直入に聞くなぁ。残念ながら駄目だったよ。力にならなくてごめんだって」
『うぅ、そっかぁ。サメが頼んでも駄目なら無理かぁ』
「他にアテが無いなら皆んなでどうにかするしかないよ」
『うーん。でもそれだと綺麗にできないだろうし。かと言って発注する予算なんて無いし』
「せめて言ノ葉さんが着る衣装だけでも良いものにしたいよね」
今はあまり気乗りしていないが純粋で素直な彼のことだ。立派な衣装を見れば頑張るしか無いと考えるに違いない。それ以上に責任を感じてプレッシャーに押し潰される気もするが。
「他のアテか。親御さんの中に裁縫が得意なヒトがいればもしかすると」
「ちょっと待ったぁ!」
「うわっ!びっくりし、うわぁ!」
突然扉を開け放って現れた姉に驚く棗だが、その姿を見て直ぐに目を閉じて顔を逸らす。確かにお風呂に行くとは言っていたが、どうして中途半端な格好で戻ってきたのだろうか。
「どういう事なの!知っていることを全部話して。なっちゃん!」
「いやちょっと待って。訳が分からないんだけど」
「だっていま言ノ葉さんって言ったよね。もしかしてそれ、詩音君のことかな!?」
「姉さん、言ノ葉さんのことを知っているの?」
「ある日突然女の子になっちゃったケモ耳美少女でしょう。それ私の友達の妹、じゃなくて弟だよ!」
「えぇっ!?」
お互い事情が飲み込めずに混乱を極める鮫島姉弟。どうにか落ち着いたところで2人はそれぞれが知っていることを話し合った。
これにより鮫島棗の姉こと鮫島柚葉はこの日、衝撃の事実を知る。存在を知ったそのときから世界が鮮やかに彩られてた奇跡の化身、言ノ葉詩音。推しに推していた親友の弟である彼はなんと自分の弟のクラスメイトだというのだ。
こんな偶然が起こり得るのだろうか。いや起こるはずが無い。何故ならそれは偶然ではない。運命だったのだから。
「詩音君が、詩音ちゃんが演劇。それも主役」
「うん。一応台本あるけど」
「それ見せて」
「はい」
多分いま自分の目の前には目が据わった半裸の姉がいる。側から見ると凄い光景に違いない。
目を閉じたまま台本を取りに行き、戻った途端に奪われる。一応着替えも用意したが、それは眼中に無いようだ。
「やる」
「えっ?」
「演劇の衣装製作、私がやる!」
「いやでも姉さん学校の課題があるってさっき」
「詩音ちゃんの衣装デザインを出すから問題なし。実物まで作ったとなれば評価も高いはず」
「だそうです」
『ありがとうサメ!さすが私の親友だね』
途中から通話の設定をスピーカーモードにしたため事情は狐鳴も把握している。むしろ一切の妥協が無い大作を作りそうな勢いに夢が膨らむばかりだ。
いずれにせよ難題の1つが解決に向かって前進したことは喜ばしいことだ。棗はそれを素直に喜びつつ、同時に詩音が姉に弄ばれる未来を予感して心を痛める。
「強く生きてくれ。言ノ葉さん」
最近の姉には恋人とは違う好きなヒト。いわゆる推しというものか。それに対してとても熱い想いを持っていることは棗も知っていたし、楽しそうな姉を見て素直に応援していた。
しかしその対象が詩音となると話は変わる。何せ彼の席は棗と隣り合わせだし、昼休みには友達と一緒にご飯を食べる仲である。教科書を忘れたときは肩を付けて1冊を読み合ったことだってある。
他ならぬ本人が男友達として付き合うことを望んでいたためそうしてきたが、他人から見れば実に充実した関係に見えることだろう。少なくとも姉が知れば嫉妬に狂うことは避けられない。
海水浴での出来事なんて知られた暁にはどうなることやら。想像することすら恐ろしい。
「スリーサイズは前に聞いたけど今はどうだろう。一応琴に確認するとして、もっと物語の世界観とキャラ設定を読み込まないと」
『それなら今度、脚本家と一緒に話し合いましょう』
「本人の立ち振る舞いを観察しながら、ね、くぅー、面白くなってきた!」
「良かったね、姉さん」
自分自身の身を守るため、今後棗はより一層慎重な立ち回りを要求されることになるだろう。
未だかつて無く上機嫌に喜ぶ姉に微笑みつつ、心無しか痛むお腹をそっとさする棗であった。
詩「わふっ!?何か今とてつもない悪寒が背筋を走ったよ」
琴「空調の温度を下げすぎなのよ。もう戻すからね」
愛「号外号外!来月に高校の文化祭でやるステージでしー姉ぇが主役をやるよ」
詩「やめてよ愛音!いま夜なんだよ。近所迷惑だよ」
母「皆さん、ウチの子をよろしくね」
詩「お母さんまで何やってるの!」
父「おーい、そろそろご飯食べようよー」
琴「あら、こんな時間に電話だわ。悪いけど先に食べていて頂戴」
愛「はーい」
琴「もしもし、こんな時間にどうしたの?柚」
柚『詩音君のスリーサイズを教えて下さい』
琴「はり倒すわよ」




