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ⅩⅦ.遭難者

 異国の服と言語。停止した思考が一瞬で動き出す。

 スカーレットが若い女性だと気づいた男は、驚きで目を瞠った。直後、すぐに短剣をしまった。向けられた鋭い視線と緊張感が緩んだことで、ほんの少しだけスカーレットもほっとする。ばくばくと心臓の激しさは続いたままだが。


 『――、―――?』


 男がなにやら問いかけているが、理解できない。見たところ、きっちりとした防寒服を身につけた男はまだ若かった。色素の薄い、銀髪の髪に藤色の瞳が印象的な白皙の美青年。恐らく歳は自分と変わらない。ゆっくりと言葉を選ぶように話しかけてくるが、スカーレットは申し訳なさそうに首を傾げる。


 「えっと、あの、ごめんなさい。何を言っているのかわからないのだけど」

 『――!』


 何故か驚かれた。いや、驚きたいのはこっちなのだが。だってこの国で他の言語しか話せない人間など存在しない。この男はもしかしなくても、異国から来た男ではないか。


 (身なりが上等でどことなく高貴な匂い……。まさか隣国の貴族……とか?)


 いきなり短剣をつきつけられたのには驚いたが、どうやら先ほどは謝られたみたいなので許す。今は身の危険を感じないが、どことなく戸惑いの中に興奮が混じった眼差しは居たたまれない気分にさせられた。


 『―、――?』


 背後から別の男が現れた。彼と同じ異国の言葉を紡いでいる。見慣れない角灯をぶら下げたまま近づく男は、スカーレットに気付き眉を潜めた。冬用の外套を羽織り、どことなく恭しい態度でスカーレットに話しかけていた男に何かを訊ねる。

 自分そっちのけで話し始めた二人に、ため息一つ。何だろう、別に用はないので通り過ぎていいだろうか。

 いや、待て待て。隣国からの間者だったらどうする。しかも侵略目的とか、この国に仇をなす危険思想を持った人物だったら、このまま見過ごすわけには……


 (って、そもそも私一人じゃどっちにしろ対応できないじゃないの。大の男二人を拘束するとか、無理)


 考える事僅か一拍。よし、見なかったことにしよう。

 目的が何かはわからないが、言葉が通じないのなら仕方が無い。彼等に関心がないわけじゃないが、温石の持続時間は二週間をきっている。それまでにこお真冬の寒さを脱しなければ。

 後から来た男がスカーレットに指を差した。一番初めに接触した男のほうが身分は上に見えるが、何だろう、明らかに失礼なことを言われている気がする。恐らくそれは間違いではない。どっちの男も銀髪で外見的には美しいが、美形だから安全だなんて事はない。厄介事に巻き込まれる前に逃げよう。


 『、ーー!』

 「うわっ!? いきなり腕掴まないでください。びっくりするじゃないですか!」


 踵を返した途端背後からがしりと腕を掴まれて、身体の重心がぐらついた。自分が持っている明かりと彼等が持ってきた明かりで、薄暗い中でも相手の表情や細かい仕草までは見えるが、足元はつるりと滑りやすい。慌てて支えてくれた男は、一番身分が上に見える青年。腕は掴んだまま、至近距離からにっこり彼女に微笑みかけた。


 『ーー、kre、wkr?』

 「はい?」

 

 思案一つ。すぐに男は口を開く。


 『……ワカル、マス、カ?』

 「え? わかり、ますか?」


 聞き間違えだろうか。とても訛っているが、何とか聞きなれた単語が聞こえたような。

 青年はほんの少し安心した笑顔で、再度口を開いた。


 「コレでドウ? つうじる?」

 「っ! つ、通じる……」


 え、どういう事? 外国語を話していた人間がいきなりこっちの言葉で話し始めたのだが。

 混乱するスカーレットに彼は微笑み、隣に佇む仏頂面の男を見上げた。何やら二番目の男は複雑そうな表情をしている。大きくため息を吐き、恐らく彼の主であろうその青年に小言を言った。

 再びスカーレットに向き合った青年は、白皙の美貌を少しだけ申し訳なさそうに曇らせて、スカーレットの腕を解放する。


 「いきなり、ごめんなサイ。ケン、おんなのこにむけて」

 「あ、いえ……驚いたけど、すぐに離してくれたし」


 なかなか体験できないスリルさだった。そう思うと自分はここ一、二カ月ほど、体験できない事ばかりをしている気がする。王城で暮らす事が一番びっくりな事だが。

 

 「コゴがつうじて、よかた。うしなわれたコトバ、まだはなす人、はじめてアッタ」

 「コゴ? 失われた、言葉?」


 はて、何の事だろうか。コゴとは古語、つまり大陸では既に大昔の言葉と認識されている言語を使っているという事か。それはそれは……喜んでいいのか微妙だ。相手は素直に尊敬した眼差しを自分に向けているが。

 そしてこれはもはや確信できるだろう。彼は、いや彼等は、他国の人間。どうやってここまでやって来たのか、もう見過ごす事は出来ない。気づかないフリでそのまま去ってしまっても良かったのだが、むしろこれはチャンスではないか。自分が王城から抜け出した原因を考えると、またとない好機。

 同時に、これは既に他国の人間がこの国に侵入できる技術を開発したという事。何等かの手段を使い、この閉ざされた竜の箱庭に潜入出来たのだ。国を揺らがす由々しき事態にも陥る。

 スカーレットは慎重に言葉を選びながら、無害そうに見える彼等を見上げる。


 「あなた達は、どちらからいらしたのですか? この国に他国の方がやって来るのは、初めての事ですよ」

 「! はじめて……はじめて?」

 「私が知る限りでは」


 少年のようにキラキラした眼差しで彼は自分を見つめてくる。その瞳からは興奮が隠しきれていない。お付きの人……で多分間違いではないもう一人の男性は、落ちけと宥めたように一言告げた。


 「コッチ、きて?」

 「え?」


 手袋で覆われたもこもこしたスカーレットの手を掴まれて、洞窟を出る。困惑したままの彼女に、背後にいた付き人の彼は『――!』と呼びかけた。お待ちください、とでも言ったのだろうか。

 ――見せたいモノがある。

 そうスカーレットに友好的に話しかける青年は、あの開けた雪原のもっと奥に案内する。一般的に使われる道から外れたその場所には、あの書物でかろうじて描かれていた飛行船があった。

 

 「え、飛行船……? うそ、本物?」


 小型のそれは、恐らく十名ほどしか乗せられないだろう。だがあの絵などよりも数倍性能が良さそうで、技術と科学の進展を垣間見える。目立たない色合いから、これは偵察隊が使う物ではないか。

 どの位の速さで進むのか、見当もつかない。むしろ本当に宙に浮かぶのだろうか。空を飛ぶなど、実際にこの目で確かめるまでは信じがたい。

 呆然と見上げていると、雪で滑らないようにと彼が手を引く。ざくりと雪を踏む音が交互に響く。近くまで近づく事になり、訳も分からず従った。こんなのが良く何事もなく入ってこれた物だ。古の結界が張り巡らされたこの地へ……


 「あれ? 結界があるはずなのに何故着陸出来て……。あの、どうやってここまで入って来れたの?」

 

 同い年に見える気安さから敬語をやめて話しかけると、彼はどことなく嬉しそうな気配を漂わせる。そういえばまだ名前も知らない相手だ。いくら人見知りをしない性格で、幼い頃から接客業を学んできたとは言っても、もう少し警戒心を抱くべきか。

 内面の緊張感は張りつめらせたまま、スカーレットは隣の男を見上げた。藤色の双眸が柔らかく和む。


 「トンできた。けど、オチてしまった。みえないなにかにあたった、らしい。でも、これジョウブ。シュウリ、できる」

 「落ちて、って落ちたの? 空から? 怪我とか大丈夫?」

 

 もこもこと着込んでいる為怪我をしているのかさっぱりわからない。中にもしかしたらけが人がいるのかもしれない。彼は目を丸くさせ、首を横に振った。どうやら否定する時、首を横に振るのは世界共通語らしい。


 「やさしいね……ありがとう。僕はアル。あなたのナマエは、なに?」

 「私はスカーレットよ」


 アルは数回彼女の名前を呟いた。スカーレットは彼の国では真っ赤な花をそう呼ぶらしい。キレイな名前だと褒められると、途端に顔が熱くなる。寒いのに熱いとか、何なのだ。

 何だろう、このドキドキは。近所の少年や幼馴染の友人とはくらべものにもならないほど、雅で柔らかく、端整な顔立ちの青年。貴族の中でも恐らく上位貴族だろう。いや、こんな風に他国に乗り込んでくるのだから、こう見えてエライ人なのではないか。まだ駆け出しの青年にしか見えないが。

 褒められ慣れていないスカーレットは、数歩彼から離れた。ありがとうとお礼を告げるのが精一杯。ッ背後で先ほどの男性がじっとこちらを見つめている事に気付き、慌てて顔色を戻す。


 「僕の……、トモダチ? エドワルド」

 「エドワルドさん?」


 何故疑問形だったのかは気になるが、紹介されたエドワルドは軽く礼をとった。渋々というのが見て取れる。良く見れば彼の瞳は藤色ではなく、薄い青だった。だが白皙の美貌はどことなくこの青年、アルに通じるものがある。

 

 「あなた達はどこから来たの? 何故ここに来たの?」

 

 世界地図を思い出す。一番近い隣国はウィステリア王国。その国の詳しい情報は全くわからない。だがかなり大きな国で、国土もリーゼンヴァルトより確実に大きいだろう。この国が地図に載っていないため、比較できないが。

 寒いから入ろうと促され、僅かに警戒心を強めるがスカーレットは従った。敵か味方かもわからない見ず知らずの相手の懐に一人で飛び込むなど、危険極まりない行為。だがもう少し話してみたいと、彼女の好奇心が疼いた。

 自分が望む外の世界を少しだけ見られる機会かもしれない。大丈夫、何かあった場合の護身用の武器は手元にある。

 にこにことした笑顔を見せられたまま、スカーレットは初めて空を飛ぶ乗り物に足を踏み入れた。何故招かれたのか、どういう意図が彼等にあるのかはわからないまま。己の好奇心を満たす手を、取ったのだった。

 

 










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