幕間 少女と龍の始まりの物語
あるところに一人の女の子が生まれました。彼女が生まれた時、両親は喜びました。
しかし幸せはすぐに過ぎ去りました。父が娘に暴力を振るうようになったからです。
理由は簡単、女の子の思っていることが伝わってくるから。勿論幼い赤ん坊ですからはっきりと言葉になって聞こえてくるわけじゃありません。ただ、父や母には彼女が考えていることが伝わってきました。
娘から「おなかへった」「ねむい」「うるさい」などの感情が聞こえてくるというのは両親にとって気持ち悪いものでした。
娘がしゃべり始めると父の暴力はさらにひどいものとなりました。
何故なら彼女が話す内容と伝わってくる気持ちが違うからです。
「パパ……好き」
『パパ……怖い』
ただ、父にも良心があったのか殺してしまうような真似はしませんでした。なるべく死なないように、されど女の子が黙るように。
おなかを蹴りました。喉を焼きました。頬を叩きました。腕を折りました。足を折りました。
次第に女の子の心の声は聞こえなくなりました。いつも上の空で過ごすようになりました。
〇〇〇
女の子は生まれたときからほかの人の感情が伝わってきました。あの人は私にあたたかい心を向けている。あの人は私に冷たい心を向けている。言葉は知らずとも本能で理解していました。
そんな彼女にとって家は地獄でした。
いつも父から伝わってくる感情は負の感情。母から伝わってくるのは辛うじて温かい感情。
しかし母は決して助けてくれません。自分も暴力を振るわれることを避けたかったのかもしれません。
父の暴力が振るわれるようになって娘は考えました。
そして心を閉ざす方法を本能で覚えました。
まだ二歳でした。
〇〇〇
娘が心を閉ざしてしばらく経ちました。
その日、彼女の両親はなにか用事があったらしく朝早くからいませんでした。
だから彼女は家でのんびりしようと思いました。
しかし、
『誰か! 誰か助けてくれ! 吾は! 吾はまだ死にたくない!』
外からでした。彼女の心に別の誰かの心の声が聞こえました。
『……だれ?』
少女はつい、聞き返します。すると相手の驚いた感情が伝わってきました。
『!? 誰かいるのか! 助けろ! 吾を助けてくれ!』
『いいよ……なにする?』
『吾と契約を約束してくれ! そうすれば吾は自由になれる! 早く!』
契約、などと言われても彼女はよく理解できません。しかし相手から伝わってくるのは必死な思い。断ろうとは考えませんでした。
『いいよ』
〇〇〇
その日、少女が住む町ではお祭りが開かれていました。
町を困らせていた悪い竜を勇者の人が捕まえたのでした。
処刑は町の広場で、みんなが見えるように行うそうです。
「いやあ、勇者様、感謝いたしますぞ」
「いえいえ、この世界にはお世話になっていますから」
「いやいや、子供とはいえ雷龍の子供を捕らえるなど、勇者様でなければできませんとも」
町の人々は勇者が謙遜しても褒め続けます。
今日の主役は彼でした。捕まている龍はそのお祭りを盛り上げる小道具に過ぎません。
だから誰も気づきませんでした。龍を捕まえた鎖にひびが入り、その目に光が戻ったことに。
「グオオオオオオオオオオ!!」
龍の雄たけびが町に響き、翼を広げます。
その時になってようやく皆は龍が逃げ出そうとしていることに気づきました。
「な、なんでいきなり龍の力が増したんだ?!」
勇者の青年が叫び、武器を構えましたが時すでに遅く、龍は大空に飛び立ちます。
剣が届かないと勇者は戦えません。つまり今の彼に龍を捕まえる力はありませんでした。
「魔物の力が増大……確か【魔獣調教師】と契約すればそんなことが起こると聞いた記憶が」
「そんなまさか、龍と契約可能な人がこの街に?!」
〇〇〇
『感謝するぞ! 感謝するぞ! 契約者よ!』
『けい……なに? それ』
女の子は理解できません。しかし、龍が喜んでいることだけは理解しました。
『細かいことはどうでもいい! 契約者よ! 吾とともに行かぬか? その家は楽しくないと見える』
『……』
実際楽しくありません。腹を蹴られ、喉を焼かれ、頬を叩かれる、腕を折られ、足を折られる、そんな生活。
『空の旅はいいぞ! 自由気ままだ。もっとも暴れたら今回のように捕まるが』
魅力的な言葉が少女にささやかされます。
細かい意味は分からなくても楽しそうな気持ちだけは伝わってきました。
『……く……』
『お?』
『いく! いく!』
『よし分かった。共に行こうではないか』
龍は快活に笑います。
〇〇〇
「おい! 龍が家を襲うぞ! 冒険者はまだか!」
「そ、それが! 龍の移動速度が速くとても追いつけません!」
「ち、使えない」
苛々した声が町に広がります。
そしてそうこうしているうちに龍は一つの家に着地し、首を家の中に突っ込みました。もぞもぞしたかと思うと家から小さな小さな女の子を口にくわえて、再び飛び立ちました。
「あ、あれは私の娘よ!!」
一人の女性が叫びます。しかしすぐにその口を閉じました。
女の子は笑っていました。母親が今まで見たことのないくらい満面の笑みを浮かべて。
その後、女の子を見つけることは誰にもできませんでした。




