森の逃亡編 残り
「クク、くひゃひゃひゃ。そこまでわかったんだね。偉い偉い。ほめてあげる。ただの人間のくせに凄いじゃない。いや、死んでるのかな? だからこそかな?」
スノードロップの指摘を受け、おかしくなったように笑う暴食の使徒。だが、それも一瞬。笑いが収まると次に浮かべたのは怒りの表情だ。
「我らが神の寝所を暴くとは! その恥を知れ! この愚か者が!」
唾を吐きながら暴言を喚き散らす少女を見てスノードロップは警戒を高める。念のために複数の戦闘用死体を周囲に展開するが、使徒が重しとなっている死体から抜け出す気配はない。
「神様……あそこにいるんだね」
そう、と言いながら再びスノードロップは空へ目を向ける。そしてじっと目を細める。するとやはり、薄く、しかし間違いなく暴食の使徒から魔力が立ち上る。否、恒星からも魔力が送られているようだった。
「なら、この魔力の紐を切っちゃえばいいのかな。あなた腕切られても元気そうだし」
同じく腕を切られたジギタリスは出血のせいもありぐったりしている。が、暴食の使徒は死体の下でもがくほどに元気だ。出血なんて気にしていないのだろう。故に、その命の供給源は天から降りる魔力にあると確信する。
だが、その言葉が引き金になった。今まで重しとして使徒を抑えていた死体が突然消える。
「え?」
体を抑える重しが消え、当然自由の身になる使徒。突然の状況の変化にスノードロップは動揺を隠せない。
しかし使徒のやったことは極めて単純。彼女は死体を食ったのだ。
「まっず。でも仕方ない。仕方ありません。我が神を脅かす不届き者を前に贅沢は言えません。死体であろうといただくのです」
「!?」
立ち上がった使徒から今ままでとは違う、殺意のこもった視線をぶつけられ思わずたじろぐスノードロップ。
「神届物【いただきます】」
そのわずかとは言えない、決して使徒相手に見せてはいけない隙を、少女は突かれた。
少女は見る。先ほどとは桁違いの何かが己に迫るのを。何度も目にした影響だろう。不可視のはずのそれを彼女は感じ取る。
しかし、意味はない。ジギタリスは腕を食べられただけですんだが、それはまだまだ使徒が本気を出していないとき。食事を目的にのんびりとしていたときだ。決して今のように、駆除を目的としたものではなかった。
スノードロップに躱すすべはない。その速度は少女の動体視力を軽く超えている。その大きさは彼女の大きさを軽く凌ぐ。
そして、例え自身の体を使役、再生できる彼女でもすべてを一度に食べられればもとに戻れるはずもない。
「ジギちゃん……兄様……ごめんなさい」
その最後の僅かな時間、彼女には謝ることだけが許された。
「謝るくらいなら飛び出すんじゃない」
「え……」
しかし、その瞬間は来なかった。響いたのは三人の少女のものではない、男の声。同時に暴食の使徒の声が響き渡る。
「う、嘘……嘘嘘嘘! あなたは……魔族領に転送されてたはず! ここに来るには数か月かか」
「【勇魔大封】」
唱えられたのは【勇者】のみ使うことができる固有魔法。勿論異世界勇者ではない。展開されるのは魔王であろうと閉じ込める絶対の結界だ。
「お兄様……」
へたりと、安心から地面に座り込んでしまう少女。それを見てその少女の頭をなでながら彼は言う。
「やっと追いついたぞ」
勇者、ソルト・ファミーユは追いついた。
〇〇〇
外見は少し、スノードロップたちが知っているものと違った。
見慣れた銀髪は少し陰って黒ずみ、目の色も銀から金へ。肌の色もところどころ黒く変色している。
しかし、紛れもなくそれはソルトであり、彼女たちの兄であった。
「で、聞いた限りだと暴食の使徒か。クル姉の一撃で吹き飛んだとは聞いてたけど……死んではなかったか」
目の前で、使徒を眺めながらソルトは言い放つ。が、言われた使徒は耳に入っていないのかぶつぶつと呟く。
「ああ……来ちゃったねぇ……。どうやってきたのかな……。それにどうしようかな……」
「クル姉から龍を借りただけだ」
いうが早いか、行動するが早いか、彼は剣を抜く。
「ま、まってお兄様! 相手は」
離れていても捕食するという情報を伝えようとするが遅い。暴食の使徒はにやりと笑うと、自身の攻撃範囲に彼が来た途端、神届物を発動する。
「神届物、【いただきます】」
それが詠唱なのか、それとも例外的に詠唱がいらないものだったのか、他の少年少女にはわからない。しかし、間違いなく暴食の使徒の能力は発動し、ソルトの腕を食らう。
「ごめんな。悪意は感じるんだ」
「なっ」
が、ソルトの腕が無くなることはなかった。見えない何かを躱すように歩を進めると手に持つ剣を振りかぶる。
「一刀」
「ぎゃう!」
振り下ろされるソルトの刀を残っていた腕を犠牲に払いのける。いや、払いのけるなんてものではない。腕を切り飛ばされながら強引に軌跡を変えただけだ。
ソルトが下から上へ切り返すよりも早く、使徒は後退する。狙いは一つにソルトから離れること。二つ目に倒れているジギタリスを使うこと。
「おい! 動くんじゃないのです! こいつがどうな……ありゃ?」
ジギタリスの腹を足で踏みつけ人質とする使徒。だが、ソルトが唐突に視界から消えている。先ほどの場所に立っているのはスノードロップのみ。
「探してるのは俺か?」
そんな声とともに使徒の、ジギタリスを踏みつけていた足から鮮血が飛び散った。
〇〇〇
ぐらりと、暴食の使徒が倒れる。当然だ。四肢のうち右足以外のすべてを切られたのだ。むしろ両腕が無くなっても動けていたことの方が異常だ。
だが、ついに移動すら困難になる。這うことすらままならない様子で彼女は何があったのかを理解する。
「勇者の……転移……」
「正解だ。条件かなり厳しいけどな」
ぐったりとするジギタリスを片手に抱えながらソルトは答える。勿論その間にも次の準備を済ませる。
「まだ頭ふらつくからこれで終わってくれると助かるんだけどな」
「何を言って……ちっ!」
慌ててその場を飛びのこうとする暴食の使徒。しかし遅かった。暴食の使徒を押しつぶさんと、氷の塊が上空から飛来する。
もちろん普段であれば遅いなんてことはない。上を向いて神届物を発動するか、単純に躱せばいいだけだ。
しかしそれはできない。両腕を失い、片足を失い、動くことも上を向くこともできない彼女はそのまま氷に押しつぶされる。
「あ……ぐ……」
うめき声が聞こえる。だが、それを聞いてもソルトは攻撃の手を緩めない。
「聖なる水よ。我が導かん。悪なる餓鬼に捌きの一擲を振り下ろさん。【氷獄監針】」
魔方陣が描かれ、上空にいくつもの鋭利な氷柱が作り出される。そしてできたものからソルトは暴食の使徒目掛けて氷もろとも破壊していく。
「スノー、ジギタリスを運んで遠くに」
「で、でもあいつの結界で……」
「やつの結界がまだ残っているならシャルを探すんだ。すぐ近くで待機してる」
「わ、わかった」
いそいそと死体を使ってジギタリスを運んでいく。その隙にもソルトは絶えず氷の氷柱を落とし続ける。
「いいがげんにじろおおおおおお」
その時、ぬっ、と氷の中から手が伸びてくる。当然のようにそれを剣で払いのけるソルトだったが腕は切れず、どんどん伸びていく。
「こんどはなんだ?」
ソルトは氷の塊を、伸び続ける腕の甲に落として掴むことを禁じる。逃げる妹たちに攻撃が行かないように、うねうねと伸びる他の腕と足も弾き飛ばす。
氷の針山と化した場所から出てきた暴食の使徒の姿はひどいものであった。当然、体中には氷柱の太さの穴がいくつも貫通し、ほとんどの骨は折れている。
しかし、その傷口をぐじゅぐじゅと音を立てながら何かの肉が埋めていく。切られた両腕と足も人とは思えないそれが伸び続けていた。
「私ば! 僕ば! 神様のだめにだだがっでるのでず! ごのふどどぎものがぁ! おどなじく! ずるのでず!」
「誰がするか」
再び剣を構えて、ソルトが舞う。ただただ肉の塊を両断していくだけであったが……
どれだけ繰り返しただろう。ソルトの息はまだ大丈夫だ。
一方、暴食の使徒は時間が経てばたつほど体が局部的に肥大化していき、もはや少女が原型などとは誰も思えない状態になっていった。
うねうねと動く手足はその先端こそ地面につなぎ留められているものの、どこに関節があるのか、鞭のようにしなりながらソルトに襲い掛かった。
しかし何事にも限界はあった。
ある時、ソルトに切られた腕が再生しなくなった。魔法で開けられた穴が修復されなくなった。そして何より、暴食の使徒本人が感じ取ったのは。
「あ……あで……? がみ……ざま……?」
どこかに残る本能か、使徒は口を開く。動きを止めた使徒にソルトは警戒しながらもあることを確信して極大の一撃を用意する。
「我、勇者なり。悪を祓い、善を守護する勇者なり。その役目に従い、一撃を届けん」
「みはな……され……た……? がだば……とすさ……ま……」
元少女の絶望の声と、ソルトの準備が整うのは同時だった。
森に一つの風が、強大な強大な風が吹き荒れ、
暴食の使徒は一片も残らなかった。
〇〇〇
前章、今章の死者
悪魔喰い
サクラス(仲間を逃がすために残り死亡) (残り七名)
ガダバナートス十四柱
信仰の使徒スプルホ・トレーミ―(ソルトたちと交戦した悪魔喰いに仕掛けるが返り討ちにあい死亡。特に描写なし)
暴食の使徒トーナ・バークラー(上参照) (残り七名)
異世界勇者死者なし(残り十九人)
孤児院死者なし(戦闘員ソルト、シャル、クルルシア、ラディン)(他は非戦闘員に移行)




