森の逃亡編 暴食の使徒
「逃げないでいいよ。君たちは私のお腹に入る運命なんだから」
騎士の体を貪ったせいで血だらけの少女にジギタリスとスノードロップは思わず一歩引きさがりそうになる。しかし実際にそれは敵わず、見えない壁に阻まれる。恐らく暴食の使徒がさっきまでいた場所を中心に結界のようなものが張られているのだろう。
「ジ、ジギちゃん……」
「お前は死体でも召喚しとけ。俺の毒が効かないならそれしか手はねえ」
ぼそぼそと意思の疎通を図る二人。その間にも暴食の使徒は一歩一歩と距離を詰める。
「ほらよ! 俺様が相手してやるよ」
強がりとともにジギタリスが一歩前に出たのをみて、蒼髪の少女は嬉しそうに笑う。
「キヒヒ。やっと逃げるのをやめてくれて嬉しいよ。嬉しいです。嬉しいのです。早くその腕を頂戴。その瞳をなめさせて。首の血管もちゅるちゅると吸うのもいいな。そうだ、骨もコリコリ味わなきゃ」
「できるもんならやってみろ!」
暴食の使徒が無防備にもジギタリスの攻撃射程内に入った瞬間、紫の少女から発せられた毒の魔法が雨あられと降り注ぐ。当然先ほど使った【毒雨】とはまた違う成分になっている。
筋弛緩。眩暈。失明。感覚麻痺。その他さまざまな理不尽が使徒の少女に襲い掛かる。
先ほどまでの抵抗性に意味はない。その全てが彼女の体にとって未知のものだ。
だと、言うのに。
「おいしいね。おいしいね」
ペロリ、と少女はそのすべてを食った。そこには何の症状も現れているようには見えない。その様子にジギタリスは毒づく。
「ちっ、どう考えても相性悪いじゃねえか」
「私が元気なのが不思議? でも当り前でしょう? 私は暴食の使徒。食事してるだけでアレルギーとか食中毒になってたら笑いものだよ?」
ふふふ、と自分で言ったことに自分で笑いながら少女はなおも距離を詰める。ジギタリスはその説明ですべてを理解したわけではなかったがそれでもこのままでは自分の魔法が何一つ効かない判断して行動を変える。
「捻じ曲がれ。地よ。泥、うねりをあげよ。連結せしは氷翠。天の声に耳を傾けよ。土魔法【地翠龍】 ……ちっ、こんな魔法得意じゃないんだけどな!」
暴食の使徒に対して回り込むように走りながら、ジギタリスは詠唱し、終わると地面に両手をつける。そこを起点に魔方陣が広がる。
そして、現れる。体を水晶のような結晶物で覆われた龍が。頭だけでもジギタリスを軽く上回る巨体である。
暴食の使徒はそれを邪魔するでもなくのんびりと、今なおジギタリスの方へと歩いている。まるでそんなもの脅威ではない、というように。
「やれ!」
ジギタリスの命令。同時に、水晶の龍がトーナに襲い掛かる。自分の何倍もの大きさの、迫りくる尾を眺めながら少女はぼやく。
「う~ん、お肉がある方が好きなんだけどなぁ」
叩きつけられてきたしっぽを躱すことなく、少女は受け止める。地面をえぐり、後退しながらも少女は使徒としての身体能力だけでそれを受け止めてる。そしてジギタリスの魔力が込められた龍をおいしそうに見つめると、
「いただきま~」
「誰が一匹って言ったよ」
その開かれた口は、真上から襲い掛かってきたもう一匹の龍の攻撃により強制的に閉じられた。
当然、被害はそれだけではない。脳天から大きな打撃を食らったトーナの体はそのまま地面に叩きつけられる。それも一回ではない。何度も何度も二匹の龍は尾を叩きつける。
「これで死んでくれりゃ楽なんだがなぁ」
その様子を見ていたジギタリスの口から出た言葉。希望的観測のつもりだがまさしくその通りになった。
「ふふふふふふふ。痛かったよ。安心してよ。痛かったってば」
むくりと何事もなかったかのように少女起き上がる。そこに二匹の龍が再び攻撃を加える。
加えようとした。
「あ、もうそれはお腹一杯だからいいよ」
パクン、と音がした。それは攻撃を加えようとした龍の尾が消えた音。そしてそれだけではない。ぼこぼこと、水晶でできた龍の体が見る見るうちに削られていく。
「ちっ、今度は何だよ」
今までにない攻撃を見せられてジギタリスは新たに魔法を準備する。が、無駄だった。
「ねえ、人がご飯を食べようとしてお預けするなんて一番やっちゃいけないことだよ」
バクン、という音がジギタリスの耳に届く。だが、今のは龍がやられた音ではない。もっと近くだ。
背筋に走る、恐ろしく嫌な予感とともに自身の右腕を見る少女。
その腕は、肘から先が無くなっていた。
「あ……あああああああああ!?」
突然の激痛にジギタリスは叫ぶ。血はダラダラと流れ続けており、何かしらの攻撃を目の前の敵から受けたのは明らかだ。
思わず座り込むジギタリス。しかし今は戦闘中である。
「ねぇ。答えなよ。答えなってば」
暴食の使徒、トーナは近づくとそのまま遠くへ蹴り飛ばす。抵抗する余裕もないのかジギタリスはゴロゴロと無抵抗に転がるだけだ。
「が、がはっ」
「さあて、次はどこをいただこうかな」
血を口からこぼしながらジギタリスの体をゆっくりと見聞する暴食の使徒。恐らくその腹にはすでにジギタリスの右腕をはじめ何人もの人体が入っていることだろう。
「けっ……これ以上やるもんなんてねえよ」
それを言うなら元からあげる体なんてないのだが、ジギタリスは挑発気味に喋る。しかし、暴食の使徒は特に気にした様子もなく近づいてくる。
「そう。うん、決めました。右腕を食べたんだから左腕も食べないとね!」
そう言って手をジギタリスの方へ伸ばす。抵抗する力も出せず思わず目を瞑る少女。
だったが、その瞬間は訪れなかった。
「せいやっ!」
「むにゃ?」
その手を、突如地面から生えた口が捕食したのだ。
「なに……が……」
ジギタリスも目の前の光景を疑う。彼女の目に映るのは呆然と、奇しくもジギタリスと同じく隻腕となった暴食の使徒の姿。どうやら彼女も何が起こったのか把握できていないらしく、完全に動きが止まっている。
自分で自分の腕をたべたのかとすらジギタリスは考えたがやはりそんな様子でもない。彼女たちにわかるのは、ただ目の前の地面に大きな穴が開いているという事実だけだ。まるで何かが飛び出てきたかのような大きな穴が。
もっともジギタリスの方も腕の激痛のせいであまり考える余裕はなかったのだが。
「痛い……」
ぼつりと、暴食の使徒が呟く。と、次の瞬間彼女は勢いよく横に飛びのいた。怪我をしているとは思えない速さで。
そしてその場所に、地面を割って、おどろおどろしい蛇のような魔物が飛び出してきたのだ。その胴の太さは少女たちを軽く丸のみにしてしまえるほど。
地面に這い出たそれはジギタリスを守るように、その身を二人の少女の間に割り込ませる。
「ちっ、こいつも私のじゃまをするのですか」
憎々しげにその魔物をにらみつける暴食の少女。だが、もとから悪い目つきがさらに悪くなる。
「なんだ……食えないじゃん」
がっかりしたように、そして興味を失ったように少女は呟いた。
それもそのはず。その魔物は生きてはいないのだから。
もともと綺麗だったであろう鱗は所々が剥げ落ち、胴の身もところどころ欠けている。おまけに目にも生気はない。まさしく、死体そのものである。新鮮とは言い難い。
そして当然、その操作主は一人しかいないわけで。
「スノー……できたか」
「うん、遅れてごめんね」
すこし離れた位置から白黒の髪をした少女が歩いて近づいてくる。暴食の使徒も気づき攻撃の体制を取る。
「ふんっ、片腕食べたからって調子に乗ってるようだけど使い魔なんていくら出そうが私には効かないので―」
「もう、準備は整いました。私、死体使いってのもあって魔力の流れを見るのは得意なんです」
「あ……? 何言ってんだ」
スノードロップの発言にジギタリスはわけのわからない様子で見る。一方で暴食の使徒の変化は劇的だった。
「おまえ……や、やめて!」
ジギタリスが横にいたことも忘れてスノードロップの方向に走っていく。途中魔物の死骸やジギタリスの魔法が妨害する。それをかき分け押しのけ、暴食の使徒はスン―ドロップへと肉薄する。
だが、その行動を読んでいたスノードロップの罠が、樹上から人ひとり程度ならば簡単に押しつぶせるであろう魔物がとびかかってくる。
「ぐあっ!?」
「私の魔法はね、死体に残ってる魔力を操作するの。残ってる分だけだからいずれ無くなっちゃうし、生きてるときほどの出力は出ないんだけどね」
巨大な魔物に押しつぶされながらも、暴食の使徒は息を荒げながら死体使いの少女を睨みつけた。
「最初一回、あなたが食べてるのを見ただけじゃわからなかったよ。食べてるものに目が行っちゃったしね。でも何回も何回も見てたら疑問に思うよ。食べたものはどこに行ったのかなって」
そう言ってスノードロップは空を仰ぎ見る。もっとも今は木の葉しか見えないが。
「さっき、ジギちゃんの大きな魔法も食べたよね。ジギちゃんの魔力、なじみがあって追いやすいんだよね」
そして彼女は指さした。地上から、そして昼でも空に確認できる、否、昼にしか確認できないものを。
もし地球ならば【太陽】と呼ばれていたであろうものを。
すなわち、今もなお地上を照らす恒星を。
「あれだよね。魔力の送り先。そしてあなたの活動、魔力の供給源」




