孤児院結集編 愛
「ほう、面白いことを言う。わからなかったとな?」
ジャヌは面白いものを見るようにソルトを見据える。
「ああそうだよ! わからねえんだよ!」
目を見開き、彼は訴える。だが怒っている声ではない。泣いている声で、だ。
「クル姉が抱えてるもんは知ってる! 体中の傷も、心の傷も知ってる!」
彼は叫ぶ。
「だけど……だけど俺に……俺にできることなんてないだろ!」
「ほうほう。これは面白いことを言う。いや、違うな。なるほど、合点がいった」
ジャヌは手を軽く振る。椅子とテーブルが表れて彼女はそこに腰掛ける。
「お主、人の感情が分らぬのだな?」
〇〇〇
「いや、そこまで言ったら語弊もあるというものか」
ぶつぶつと座ったままジャヌは呟く。
「【勇者】、悪意が分り、助けを求める声も聞こえる。ふむ、神は便利なものを与えたな」
「神……?」
「はぁ、お主はこれも知らぬのか……それとも気づいておらぬのか」
不思議そうな顔をするソルト。呆れた様子のジャヌ。
「【勇者】、幼少期に激動の人生を歩んだものが復讐心に駆られることなく成長した際に授かる称号。不思議に思え。誰に授けられる?」
「……」
「そう、神だ。どっちの神かはわからぬ。悪魔喰いのやつらの神か、転生者たちにつく神か。どっちでも構わん。だがなそれは明らかにお前の枷だ」
また再び手をふるジャヌ。今度現れたのは菓子だ。
「人と魔族ではそもそも考え方も生態も違う。思想も何もかもな。だがソルト。お主はずっと人と暮らしておった」
ジャヌは続ける。
「赤子の頃であれば大してその差異で問題になることはあるまい。精々血の気が多い程度か? 母を殺された時に相手を殺しに行ったのもそれゆえだろう。プレアの方は……もともとの気性故か? まあそいつのことは置いておこう。そしてだ。幼少の時から人として暮らしてきたお主ならば本来人と同じ感情を持てたはずだ。感性を持てたはずだった。だが、【勇者】が、その称号がそれを妨げる」
「どういうことだ……」
「当り前よな。便利な道具があればそれを使う。そしてそうある限り成長はない」
菓子を口に運ぶ手を止める。
「お前は頼りすぎたのだ。【勇者】に。だから助けを求める声が聞こえぬ相手は救えない。だから悪意を持たぬ悪に弱い。だから――」
言葉がソルトを追い詰める。
「貴様は人の気持ちがわからない」
ジャヌは容赦しない。
「神もひどいものよ。魔王の息子であるお前にその魔王を打つ役割の【勇者】を与えるばかりか、ただでさえ異質な存在であるお主をさらに下手物にしてしまった。確かに、それならクルルシアを救うということは難しかろう」
ソルトは黙ったままだ。黙ったまま床を見つめている。
「だがな、吾はお主にクルルシアの救済の望む。それに応えてくれぬ限り、吾はクルルシアを目覚めさせるつもりはないぞ」
椅子から立ち上がりソルトに近づくジャヌ。クルルシアとほぼ同じ姿であり、違うのは瞳の色が金であること、そして髪における帯電の有無のみ。
「安心せい。難しいことは言わぬ。この場でこやつのすべてを救わんでもいい。この場では今から言うことをやってくれるだけでいい」
「ん?」
話の流れが見えないソルト。先ほどまでと違う雰囲気をまとわすジャヌに彼は違和感を覚える。
「こやつに愛を与えよ」
「は?」
びっくりするくらい先ほどとは違う言葉であった。
「は、ではない。単純であろう? こやつの今の状況はセタリアの喪失からくるものだ。ならばそれを埋める愛を与えればよい。別に完全に癒せる必要はない。こやつの支えになってくれればよいのだ。下手にそれで癒しすぎても依存に陥るからな」
「いや、だからって……」
ソルトは戸惑う。急にクルルシアに愛を与えよなどと言われても彼としては混乱するしかない。
「慌てるな。別に性行為をしろなどと言っているわけではない。ただ、クルルシアの幼少の傷を、そしてセタリアの死を乗り越えるだけの精神的支柱になってくれればよいのだ」
ソルトの顎をくいッと右手で持ち上げるとそっと耳元にささやく。
「あやつに口づけをせよ」
「え……は?」
先ほど愛を与えよと言われた時と同じように混乱するソルト。
「単純よ。古来より人はそれで愛を伝えてきたのであろう? 我も若輩ながら、それくらいは知っておるぞ」
「いやいやいやいや。俺がクル姉とく、口づけして何が解決するんだよ!」
「ん? これは異なことを。何度も言ったであろう? こやつに足りぬのは傷をいやすほどの愛じゃ。愛がないから歪んでおる。条件は単純であろう?」
ソルトの眼前にあるのはクルルシアと同じ顔の少女。
「なんだ? それともこやつでは不満なのか?」
そこには挑戦的な笑みが浮かんでいた。
〇〇〇
「ソルト兄さま……まだなの……」
クルルシアの眠る部屋。妹たちが兄姉の帰還を待つ。
「もうすぐ時間……ディア、ソルト兄さまだけでも強制的に戻せないの?」
「むり、クルルねえがこころをひらかないともどってこれない。ソルトにいさまはむりやりねじこんだから」
「そう……」
不安がじわじわと広がるエーデルワイスとブバルディアの二人。そこに新たに人物がやってくる。
「こら二人とも、あなた達が不安になってどうするの」
部屋に入ってきたのはシャル・ミルノバッハ。先ほどまで泣き叫ぶ孤児院の子供たちをなだめていたのであった。
「シャルさん……」
「でも……」
「安心しなさい。きっとソルトは帰ってくるから。あと数分の辛抱よ」
と、そのとき、ソルトの肩がピクリと動く。
「ソルト?!」
「ソルト兄さま?!」
「兄さま!?」
慌てて近づいてくる三人。
「ん……? 戻ってこれたか」
起き上がりあたりを見渡したソルトの第一声はそれであった。そして近づいてくる三人をみると
「お、ただい――ってぇ!?」
「うるさい! おとなしく床に座れ!」
ただいま、と言おうとしたソルトの脳天に、シャルのチョップが炸裂する。
「いや、帰ってきたんだから別に――」
「黙って危険なことしないっていったでしょ! 反省しなさい!」
再度振り下ろされる腕。一応の情報だが彼女は吸血鬼。加減しているとしてもかなりの力が込められている。
だが、そのお叱りは妹たちの声で中断となる。
「クル姉様?!」
「姉様!!」
先ほどまで微動だにしなかったクルルシアがうめきながらベッドから半身を起こす。
『ここは……私は一体何を……』
次の瞬間クルルシアの表情は青ざめ、赤らみ。
そして困惑した表情で指を唇に持っていく。
「姉様?」
『あ、ああ……すまない……。ちょっと待ってくれ……整理させてくれ……。おっと、もうこんな時間なのか……。シャルちゃん、エーデとディアを寝かせてきてくれるかい? 私はとりあえず……大丈夫だ』
まくしたてるように三人に退室をもとめるクルルシア。
「あ、はい。わかりました。けれど大丈夫ですか? 顔色が優れないみたいですけど。無理しちゃいけませんからね」
『ああ、ありがとう』
そしてシャルは部屋から出ていく。残されたのはソルトとクルルシアの二人。
『で、ソルト。一体私に何を――ん?!』
夢のような記憶をたどり、クルルシアは自分にされたことの真意を問いただそうとしたのだろう。だがそれはかなわなかった。
驚きのあまり彼女の思考は止まる。
彼女の唇は再び塞がれた。
数秒、同じ状態が続いた後、ソルトはクルルシアから離れる。
『そ、ソルト?! どうしたの?!』
「今まで気づいてないふりして、ごめん」
『?!』
今度はまた別の驚きだろう。再びクルルシアの思考が埋め尽くされる。
「クル姉のことはその……好きだ。だから、もう、一人で悩ませたりしない」
『こ、こんな時に何を……セタリアが――』
「こんな時だからだ」
ソルトはクルルシアの瞳をしっかりと見つめる。
「もう一人で悲しまないで。クル姉が傷ついた時は一緒に傷つく。クル姉が苦しいときは一緒に苦しむ。クル姉が嬉しいときは一緒に嬉しく思う」
『ソ……ルト……』
クルルシアの瞳から涙がこぼれる。嬉しさから来る涙なのか、はたまた悲しさから流れる涙なのか。
それはクルルシアにもわからない。
「大丈夫。大丈夫だから」
そしてその日、クルルシアの部屋から彼女の泣き声がとまることはなかった。
〇〇〇
「まったく、ソルトの奴め、人間の心がわからないばかりか自分の心も分かっておらんかったとはな」
暗黒の空間の中でクルルシアによく似た少女は呟く。
「しかしまあ、これで、あやつも、この真っ暗な心の中もマシにはなるだろう。いい加減暗闇も飽きたからな。なに、依存にならない程度には見てやるつもりじゃ」
そうつぶやいた直後、暗闇に光が差す。真っ暗で、雷が渦巻いていた場所にごく小さな、されどしっかりとした光が。
「ほれ、吾が思った通りじゃ。あとはせいぜい悩みを聞いてやれ。今なら『勇者』の力が動かなくてもわかるじゃろう。何をするべきかくらいな」
おせっかいな龍は光が見えだした暗闇からソルトの胸で泣きじゃくるクルルシアをみているのであった。
「あわよくば【神抗者】の称号も手に入ればよいが……」
ただ、最後だけは少し心配そうにするのであった。




