孤児院防衛編 肆
「間に合った!」
そんな声と共にセタリアの、触手に埋め尽くされていた暗い視界に光が差す。
「ソル……兄様……?」
朦朧とする意識の中セタリアは辛うじて助けてくれた人物を視認する。
ソルト・ファミーユ。彼女の敬愛してやまない兄である。振り返った義兄の顔がセタリアの視界に映る。
だが、彼から返ってきたのは労いの言葉ではなかった。
「おいリア……その肌の色。【狂獣化】を使っただろ」
ソルトの口からこぼれたその言葉にピクリと体を振るわす獣人の少女。その反応にため息をつきながらソルトは嫉妬の使徒に剣を向ける。
「セタリア……よく頑張った。後は任せろ。今は少しでも休め」
「はい……兄様……」
「ふん! 自分から会いに来てくれるとはな。嬉しい限りだ。魔王の息子、ソルト・ファミーユよ。お前に消えて貰わなければ魔族全討伐とはならぬのでな」
二人の会話に嫉妬の使徒が割り込む。男の触手が蠢き、その幾つかがソルトやセタリアを狙って勢いよく射出されるがソルトは難なく、その全てを一刀のもとに切り裂いた。
「ほ、ほう、やるではないか。ではこれでどうだ」
次は地面から、空から、右から左から、ソルトを囲むようにあらゆる方向から触手が伸びてくる。
だが彼は、セタリアを抱きかかえると、まるでどこに避ければ助かるのか知っているかのようにほんの少し移動し、数本の触手を切り伏せただけで安全な場所を確保した。
「な……ぐ、偶然か。なに、運も実力のうち。それくらいあって貰わないと張り合いがないというものだ!」
一瞬口ごもった使徒だが、気を取り直したのか再び触手を増やす。だが……
「うるせえ。こちとら貧血で頭に響くんだ。喋らないでくれ」
無詠唱で、面倒そうに雷の槍を宙に浮かべたソルトは真っ直ぐに、使徒目掛けて投擲した。
「ふん、そんなもの、この触手の壁でええ、うおおおおおおお!!??」
たったそれだけ、たったそれだけの魔法に嫉妬の使徒が作り出した触手の防御は貫かれ、槍は彼の肩に直撃。閃光とともに雷がほとばしる。
「くっ! 油断か?! それならばこうだ! 私はお前のその魔法の才能に嫉妬する! 魔族でありながら人の幸せを噛みしめているお前らに嫉妬するぞ!」
その宣言と共に嫉妬の使徒の魔力が膨れ上がる。それと共に周りに展開されていた触手も色を黒く変え、その先端は鋭利に変化する。
「なんだ……?」
「ふははは! 私は嫉妬の使徒! 他者に嫉妬すればするほど強くなれる! 今までの攻撃と同じと思わない方が」
「出でよ、闇を纏う雷よ、その矛先を持って万物を貫け複合魔法【黒雷槍】」
嫉妬の使徒の声を遮り、ソルトが詠唱。それとともに現れるのは闇属性の魔法を纏った雷の槍であった。
そして、投擲。
先程よりも遥かに強固な触手を、まるで紙を破くかのように平然と突き抜けていき、今度は使徒の腹を直撃、そのまま貫通した。
「ば……馬鹿……な……」
倒れていく使徒。たった二擊の魔法で使徒をそこまでにしたソルトは再びセタリアに向き直り左手に抱え込むと、
彼女を貫こうと地面から伸びてきた触手を一刀のもとに切り伏せた。
その様子を倒れたふりをして見ていた使徒は明らかに動揺。
「な、何故だ! 先程もそうだ! 何故私の攻撃を」
「悪いな。悪意は分かるんだよ。どこから狙ってくるとかな」
ソルトはそう宣言すると持っていた剣に魔力を通す。
「固有魔法【英雄鎧装】」
黒い魔力がソルトからこぼれ、その全てが剣に収束していく。異形と化していく剣を見た嫉妬の使徒は撤退を決断。触手で地面に穴を開け逃げる準備を開始する。
「ふん、どうやらお前と私とでは相性が悪かったらしいな。今度会うときはそれ相応の準備を……な?! これは!?」
だが、嫉妬の使徒が地面を掘り進めた先にあったのは白銀に輝く壁、結界であった。
「【勇魔大封】。逃がすわけないだろ」
【勇魔大封】。ソルトが持つ唯一の結界。その強度は狂化したクルルシアであろうと破れない。
「ぐっ! おのおおおれえええ!」
逃亡すら阻止された嫉妬の使徒は残る力全てを使って触手を生成。結界の発生源であるソルトを叩き潰すべく、放出する。
だが、彼は逃げるてもなく、躱すでもなく、真っ向から向かい討つ。
「我、勇者なり。家族に仇なす者に相応の裁きを」
先程射出された細い触手とは違い、幅がソルトの身長ほどもある触手が更に束となり、大蛇のごとくソルトとセタリアに迫る。
「我が魔力を糧に。目の前の魔を討伐せよ」
ソルトの体から魔力がこぼれ落ちていたものが完全に剣へと収束する。それと同時に触手も二人の前に辿り着き二人を飲み込まんと襲いかかる。
「【魔滅の剣】」
そして、ソルトはその全てを切り裂いた。
〇〇〇
「ソル……兄様……やつは……?」
「消滅は確認した。間違いなく殺せたはずだ」
その言葉を聞いてほっとするセタリア。だが、再び慌てた表情となる。
「家に……異世界……勇者たちが……!」
「それも安心しろ。シャルが向かってる。今のあいつなら神届物持ってる素人くらいなら余裕だ」
「で、でも……相手は……何人も……ふぐっ」
まだしゃべり続けようとするセタリアをソルトは優しく抱きしめる。
「お前が心配しなくてもいい。後は俺達に任せとけ。もう時間も無いんだろ?」
「……はい」
ソルトの問いかけに頷くセタリア。
「なんで……【狂獣化】なんて使ったんだ……。あれだけ使うのを禁止されてただろ」
「だって……ああでもしないと……私じゃ時間稼ぎにもならないから……」
「時間稼ぎなら……他にもあっただろう! 俺が間に合わなかったらどうする気だ!」
「そこは……信じてたから……絶対来てくれるって……」
「……」
その言葉にソルトは言葉に詰まる。
「確かに……足止めの方法なら他にもあった……と……思う……。でも確実じゃない……から……。【狂獣化】が一番……確実に足止めできると思った……」
「リア……」
【狂獣化】。獣人の種族ならば誰もが使える、身体能力を限界まで、いや、限界を超えて高める固有魔法。セタリアのような子どもでも使えば使徒と張り合える身体を手に入れることが出来る。
ただし、気を付けなければならないことが二点。
一つ、時間制限があること。限界を超えるため身体能力に獣人の体をもってしても僅かな時間で壊れてしまうのだ。
そして、もう一つ。
使えば、その本人は必ず死ぬ。
「あ~あ……眠くなってきちゃったな……」
「ばかやろう……」
もうどうすることもできない事態にソルトは悪態をつく。そのソルトの顔にセタリアは手を添える。
「兄様……そんな顔しないで……笑って……」
「あ、ああ、分かったよ」
できる限り、笑顔でいようとするソルト。涙が零れていたがその顔を見てセタリアは満足そうだ。
「うん……ありがと……じゃあ……最後にもう一つだけ……」
「なんだ?」
「ダンに……皆に……大好きだったよって……伝えて……」
そしてセタリアは目を閉じた。
〇〇〇
同時刻
「ふふ! フフふふフフフふフ! 気分、最高!! 血ってこんなにおいしかったのね!! 力がみなぎって来るわ!! アハハハハハ」
月明かりが照らす孤児院。その屋根の上で一人の少女が、その紅い目を光らせながら高らかに笑っていた。
孤児院の周り、そこには異世界勇者たちが息も絶え絶えに倒れ伏しているのであった。




