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24.


 テオバルトと同じように、マリエッタもその夜、幼い頃の夢を見ていた。

 


 母を亡くして墓前で泣いている私を無理やり屋敷へと連れ帰った父は、私に知らない人間を二人紹介した。「お前の新しい母と妹だ」と、ただそれだけ。

 

 母のお気に入りの椅子に座り、家具や調度品のセンスが悪いと文句を言っている女性と、私の事をジッと睨む私と同じ歳ぐらいの少女。その時の私は目の前の状況が飲み込めず、ただ茫然とするばかりであったが……私の地獄の日々はそこから始まったのだった。

 

 義母と義妹の二人は私を家族として扱わず、使用人以下に虐げた。

 与えられる食事は食べ残しの残飯か、あるいは使用人が憐れんでこっそり分けてくれる僅かなパンの耳だけ。堪らず調理場に忍び込み野菜をかじっているところを見つかり、罰として何日も水以外は与えられず、空腹のあまり庭の草を口にしたこともあった。

 たちまち栄養失調となった私と、贅の限りを尽くす義妹。私達の見た目が入れ替わるのにそう時間はかからなかった。

 

 そのうち昔からの使用人達は辞めさせられ、義母達の機嫌を窺う怠惰な使用人達ばかりとなり、いよいよ私の味方はいなくなっていった……。


「床を磨いたら、次は屋敷の周りの雑草を全部抜いてきなさい」

「お義姉様?それが終ったら私のお願いを聞いてね」 


 私は広い屋敷の掃除や、加えて義妹の我が儘に振り回されたりと……いつも疲れ切っていた。

 

 そして些細なことで怒りを買った際には、容赦なく平手打ちや足蹴にされたり、物を投げつけられ、時には転倒するまで突き飛ばされたりなど二人の行為はエスカレートしていき、私の体にはいつも生傷が絶えなかった。


 特に、真冬の凍えるような夜は辛かった。ろくに暖房もない物置部屋や、時には庭に締め出されることもあり、薄い布一枚で寒さに耐え、夜が明けるのをただじっと待つしかなく、「このまま朝なんて迎えず母の元にいきたい」と願う事さえあった。


 義母と義妹は私の事を、「役立たず」「醜い」「いらない子」「ぼろ雑巾」などと罵り続け、私の存在そのものを否定し続けた。


 そんな中、実の父親は私に手を差し伸べるどころか視線すら合わせず、その状況に無関心であった。

 父の愛は母が居た頃から希薄ではあったが、二人がこの家に来た事でその理由を子供ながらに理解し、納得したのだった。


 私は自分の生きる価値を見失った。希望も、感情も、全てを捨てた。


 母を亡くしただけでなく、全てを諦め手放した私は……誰かに抱き締められたり、優しい言葉をかけられることもなく常に孤独で、心がいつも飢えていたのだと思う。


 

 ある日の事、ブレンダがいつものように癇癪を起していた……何やら友人が持っていた『綺麗な箱が欲しい』と。

 案の定、目当ての物が見つかるまで帰ってくるなと、私はよくも知らない王都に使いに行かされた。

 

 王都中を探して回ったが、他国の土産物だったそれが見つかるはずもなく……今思うとそれもブレンダの嫌がらせだったのかもしれない。

 

 辺りが暗くなり、辿り着いた先は王都の外れの橋の上。水面に揺らぐ月明かりをぼんやりと眺めていた私は……王都を彷徨いながらずっと思っていた事があった。

 

 それは……母や私の装飾品やドレス、それに大事にしていた宝物までを奪っておいて……これ以上何を欲しがり、どこまで求めるのだと。


 それ以上考える事も歩く事も出来ずにいた私には、帰る場所もなかった。


 水の音に反応するように川の流れの行きつく先を考え、橋の下を覗き込んだその時――。橋の先の茂みがガサガサと動いている事に気付いた。

 

 野犬かもしれないと息をひそめ静かにその場を離れようとしたが、葉擦れの音に紛れ微かに人の声が聞こえた気がした。

 思い切ってその音の根源を確かめることにした私は、そこに男の子がいるのを見つけたのだった。


 茂みに隠れるように膝を抱えるその子の身なりはいいが、思い詰めた様な顔はどこか怯えているように見えた。なので最初は迷子かと思い、自分の事は棚に上げ「大丈夫?」と声をかけてしまった。

 

 自分でも不思議だった……なぜその様な行動に出たのか。知らない場所がそうさせたのか、それとも相手が子供であったからなのか理由は分からない。しかし私は間違いなくその少年に引き寄せられたのだ。


 お互い警戒はしていたと思う、しかし私は久し振りに意味のある言葉を発し、人間らしい感情で彼に接した。そんな私をどう思ったのか、彼は私の事を心配してくれた。


 私達は何か通じるものを感じていたのかもしれない。


 「他人を傷付けたくないんだ……」と願う彼の悲痛な苦しみを知り、私は痛みの残る自分の腕の傷をさすった。そして星空の下願った――。

『この優しい人がどうか幸せになれますように――』と。

 

 まだ幼かった私達はただ互いを思いやるだけで精一杯だったが、その時にふと母の声が聴こえた……ような気がした。


 私はポケットからハンカチを取り出して、それで彼の涙の跡を拭った。

 唯一残された母との思い出のハンカチ――「この二匹の黒猫は親子なのよ?私達みたいでしょう?」と言った母の笑顔が瞼の裏に浮かぶ。


 照れくさそうにハンカチの刺繍をなぞっている彼の隣で、私はもう一度空を見上げた。そして……彼の事をもう一度祈る。自分の願いはもう叶う事がないから、彼の事だけを。

 

 母の声を聴き、彼の弱さに触れた刹那――この時だけは屋敷での辛さを忘れ、人としての感情を取り戻せたのだと思う。


 

 それから彼と別れた私は、橋の上で立ち止まる事無く屋敷に帰る道を選んだ。


 月明かりに照らされた帰り道、もう一つだけ星に願った。

 母に会う事は叶わないが、彼にならまた会えるかもしれないと……。

 ほんの僅かな希望を胸に抱き、満点の空に想いを託す――「どうか、星の巡りがあるように……いつかまた、彼に逢えますように」と、幼い頃の私は確かにそう願ったのだった。










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