20.
提案があると、特徴的な真っ赤な唇の口角を上げてニヤリと笑うダリアの目は笑っておらず、明らかに良からぬことを考えているようだ。
「一応聞いておきましょうか…… 私が判断して、それから旦那様にお伝えします」
「あらダメよ、大事な話なのだから直接グランジュ公爵に取り次いでちょうだい」
予想通りと言うべきか、想定外と言うべきか、ダリアはあんな事があったというのにまだテオバルトに直に交渉しようと言うのだ。リチャードは相手に分かるように大きな溜め息をついて見せた。
「その要望を聞き入れる事は出来ません。それが納得出来ぬと言うのであれば本日はお引き取りください」
「なっ! なんですって? あなたわたくしの話を聞いていたの? わたくし達はグランジュ公爵家の当主に呼ばれ、そしてその人物に傷付けられたのです。この事を何もなかった事にすると? それはあまりにも横暴な圧力なのではなくて?」
自分が譲歩の姿勢を見せたにも関わらず、無下にされたダリアは信じられないと言いリチャードと公爵家の事を責め始めた。
「なんと申されてもこちらの対応は変わりません。あなた達母娘のケガに対する治療は終わっておりますし、その先の話は旦那様とハワーズ伯爵が交わしますのでお気になさらずに」
「わたくしは、今、ここで、グランジュ公爵と話がしたいと言っているのです!」
――バンッ――とテーブルを叩くダリア。
不機嫌さを前面に出し、己の要求が通らない事へのいら立ちをこれでもかと主張するが、リチャードは眉一つ動かさない。その態度が更に気に障ったのか、自分の飲みかけの紅茶が入ったカップをリチャードに投げつけた。
――ピシィッ――弧を描く液体とともに凍り付いたそのカップはリチャードにぶつかる事無く床へと落ちた。
毛足の長い絨毯のおかげで割れる事を免れたそのカップをゆっくりと拾い上げてテーブルの上に置く。すると、液体であったソレもコトリと音を立てた。
「これが最後の忠告です。この場で私に話す気がないのなら、このまま大人しく娘を連れて伯爵家へとお帰りください」
「――つっ! 分かりました! 話します、 話せばいいのでしょう! わたくしはねぇ、そもそもこの公爵家の事を思って……」
「御託は結構です、時間が勿体ないですから手短にお願いします」
リチャードは怒りを抑えていた。この母娘が長年マリエッタを苦しめていた事を調べ、その内容を知っていた彼の怒りは一触即発となっていたのだ。
しかしそんな事など露ほども知らないこの母娘はことごとく失態を繰り返すのであった。
「いい? よく聞きなさい。こちらに嫁いだとされるあの娘は公爵家にふさわしくありません。したがって、ハワーズ伯爵家から嫁をというのであれば先程わたくしといたブレンダを嫁がせますので、そのようにグランジュ公爵にお伝えなさい」
「ふっふふ……、はーはっはは!」
堪えきれずといったようにリチャードが声をあげて笑うと、ダリアは呆気にとられ言葉に詰まる。
「んなっ!――」
「ふぅ……全く、恐れを知らない恥知らずというか、なんというか。あなた達母娘は本当によく似ている」
「どういう意味かしら? そうだわ、ブレンダはどこにいるの? 今すぐ連れてきてちょうだい。それとグランジュ公爵もね、まずは当人からの謝罪があって然るべきだわ」
危機感がない……とでもいうのか、ダリアは空気も読まずに己の主張を通そうとするが、リチャードがそれを許すはずなく高圧的な態度で答える。
「内容がどうであれあなた達の要求が通る事はありません。あなたは傷付けられた慰謝料だなんだと話しておりましたが、それを超える罰を受ける覚悟をした方がいい」
「罰って……何の事かしら?」
「母娘そろって同じ反応とはね……、宝石店の前での無礼だけにとどまらず、我が主達への度重なる不敬、そしてグランジュ公爵家に対する脅迫。これでもほんの一部ですがね」
「脅迫だなんて! わたくしはただ穏便かつ両家にとって有益となるよう提案があるというだけで」
「はっ! 厚かましいだけではなく、これほどまでに浅ましいとはね。貴様らがマリエッタ様に行ってきた非道の数々! 必ずその身をもって償わせるから覚悟しておくのだな」
リチャードは言葉を崩し感情をそのままにぶつける。
しかしそれにも怯まないダリアは、遮られてしまった己の主張を通そうとする。
「あの娘がこちらでどのような妄言を吐いたかは知りませんが、わたくしは実の母親を亡くした可哀想なあの娘の母親代わりとなり、これまで育ててきたのですよ? 感謝こそされ、恨むだなんて!そうやってマリエッタはこの公爵家に取り入ったのね? なんて狡猾な……」
「だまれっ! もういい、口を開くな。お前の娘と共にこの屋敷を直ちに去るがいい」
冷気を纏ったリチャードが殺気を放ちダリアに圧をかけた。
すると、高慢な態度で反論していたダリアは小刻みに震えだした。己の意識とは別に、体と感情を制御できず狼狽える。
初めて向けられた殺気に声もあげれずにいると、部屋の扉をノックする音がした。
「馬車の準備が出来ました」
その言葉を聞いたリチャードがダリアに背を向ける。
それと同時に放たれたいた殺気も、漏れ出ていた冷気も嘘のように消えたのでダリアはようやく息を吸い込み呼吸をしたのだった。
ダリアは今自分に向けられていたのが何だったのか……それを即座に理解する事は出来ずにいたが、引くべきと本能が告げたのでそれに従ったのであった……。




