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お誘い

 もうすぐ九月だというのに蝉の鳴き声は一向に止む気配がしない。あまりのうるささに俺は耐えられず、勉強の中断を余儀無くされた。


「おや、司か。勉強はいいのか?」


 自室を出ると、待ち構えた様にチヒロが立っていた。こんなところでどうしたのだろうか。見た限りチヒロに異変は無い。


「ん? ああ、蝉がうるさくてな。三ヶ月後にはある意味大学受験より大切な試験があるっていうのに、このままじゃヤバいよ本当」

「そうか。それは難儀な事だな。確かそれに受からないと受験もクソも無いんだろう?」


 そう、三ヶ月後つまり十一月には『大学入学資格検定』通称大検が待っている。高校を中退した俺は、これに受からない事にはチヒロの言う通り、大学受験は論外なのだ。


「全くもってその通りだ。しかしチヒロ、女がクソとか下品な言葉遣いは良くないと思うぞ?」

「こ、こらは失礼した。次からは気を付けよう」


 俺に指摘され、表情には現れていないが、どもったり噛んだり動揺してるのが分かる。当初は服を着る事に疑問を呈していたチヒロが羞恥心を身に付けたのなら喜ばしい事だ。


「それで、何か用か? 何の意味も無くこんなとこ突っ立ってた訳じゃないだろう」

「ああ、えっと……その……」


 チヒロは何か言いたげだが、口ごもってその真意は不明だ。


「…………。まあ、中入れよ。俺はお茶でも淹れてくるから」

「それなら私がやろう」

「いいからいいから。落ち着いたらいえばいいさ」


 俺は無理やりチヒロを部屋に入れ、台所へ向かった。

 あの状態から聞き出すのは逆効果だろう。本人の口から言うのをじっくりと待てばいい。丁度喉も渇いてたしな。



 ***



「どうだ、落ち着いたか?」


 チヒロは正座してお茶を啜っている。堅苦しくてこっちが窮屈な気分になるな。俺の思いとは対照的に、チヒロは完全にリラックスして表情が柔らかくなっていた。


「ああ、ありがとう。それでだ……私とデートしてくれないか?」

「え?」


 俺の聞き間違いで無ければチヒロがデートしてくれと申し出たみたいだが……。


「デートだ。逢い引きだ。ハンバーグではないぞ」


 うん、知ってる。

 それにしても何でデートなんだ。


「え、何? デートってつまりそういう事か? チヒロはもしや俺が……」

「ち、違うぞ! 大学に行ったら彼女の一人や二人作るだろう? いくら顔がいいとはいえ、女の扱いに慣れていないんじゃすぐ捨てられてしまうだろう。だから私が予行練習をしないか誘っているんだ。司には世話になってるからな。他意は無い!」

「なるほど。一理ある」

「だろう?」


 けど、あそこまで激しく否定しなくても……そんなに俺の勘違いが嫌だったのだろうか。


「まあ、いいや。じゃあその時はよろしく頼むな」

「任せてくれ。司こそ忘れるんじゃないぞ」


 チヒロはにんまり笑って部屋を出ていった。


 勘違いとはいえあんな事を言われ、上の空だった俺は結局一日中勉強に手が付かなかった。

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