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極夜の館―怪物(まよいご)たちのほのぼの日常日記―  作者: 畔奈りき
追憶:孤高の吸血鬼・ジャクソン
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第百三十三話 人質作戦篇

 若い女性の地下学会信者の腕から、ミカの牙に血が伝う。血の味を口の中に感じると、すぐに、ミカは彼女の腕から口を離した。若い女性の血が、床にぽたぽたと垂れる。

 ミカは、ジャクソンを狙うおばちゃん軍団に顔を向けた。鼻先の長い狼の顔は、迫力を伴っておばちゃんたちを睨みつける。

 おばちゃんたちは、狼になって女性を襲い始めたミカに、少なからず恐怖を抱いたようだった。

 それでも、彼女らの判断力は鈍くさい。集団の中央に居た一人のおばちゃんが、困惑のままに一歩足を踏み出して来ようとする。


「ぼ、坊や、そんな冗談は……」


 ミカは瞬時に、アウオオオオオオオンと高く鳴いた。縄張りを主張する声だ。つまり、これ以上近づいてくるなというアピールである。

 ビクリと硬直したおばちゃんたちを相手に、ミカは続け様、低く唸って見せた。


「グルルル……ッ」


 ――近づくな。それ以上近づいたら、この女の人を食ってやるぞ。

 そんな主張が、おばちゃんたちに伝わるように。

 言葉で言わず、唸り声だけで警告を続けているのは、ぼろを出さないようにするためだった。この若い女性を本気で食べるつもりはないので、下手に喋るとハッタリがバレそうな気がしたのだ。逃げ場のない礼拝堂で助かるチャンスを待つために、人質作戦は最後の切り札である。ミカが下手を打って失敗すれば、ジャクソンは地下学会に持っていかれてしまう。

 実際、ミカの判断は懸命だった。人間は言葉が伝わる相手より、伝わらない相手を恐れる。「坊や」と呼びかけても答えず、口元を血に濡らしながら警告の唸り声を上げるだけの狼は、ミカの想像よりもよほど恐ろしい。

 ミカはおばちゃんを牽制した後、足元に視線を移した。右の前足の下には、うつ伏せになったジャクソンの背中がある。暴れ出さないように遠慮なく踏みつけているが、ジャクソンはまだ、ミカの頭突きで意識を失ったままのようだ。

 次にミカは、正面に目を向ける。睨んだつもりはなかったが、そこにへたりこんでいる若い女性は、ヒイッと短い悲鳴を上げた。立ち上がって逃げ出そうとしているのか、手足をバタバタ動かしている。しかし、腰が抜けて立てないようだ。可哀そうに、恐怖に顔を引きつらせ、目を涙でいっぱいにしている。大丈夫だよ、食べないから、ちょっとだけ協力して――本当はそう伝えたかったが、おばちゃんたちに聞こえてしまっては意味がないので、口には出せない。

 ミカが、なぜこの女性を人質に選んだのか。それは、この女性がどの地下学会信者からも離れた礼拝堂の隅っこにしゃがみ込んでいたから、という都合もあるが、彼女が哀れで、助けてあげたいと思えたことも理由の一つだった。

 女性の頬には、既に乾いた涙の痕があった。ミカに襲われる以前に、既に泣いていた証拠である。

 実は、ミカがおばちゃん軍団に目をつけられた直後のこと――そう、隅っこに集まっていたおばちゃん軍団の中から、口の汚れたおばちゃんが声をかけてきた、その直後のことだ。彼らがミカからジャクソンを奪おうと近づいてきたとき、おばちゃんたちのコロニーが崩れて、その集団の向こうに隠れていた人物がチラリと見えたのだ。おばちゃん軍団に取り囲まれていたのは若い女性で、身を震わせながら泣きじゃくり、神か何かに懺悔していた。懺悔する言葉の内容から、事情はだいたい察された。

 今も、その若い女性は、ミカに命乞いをしながら合間に懺悔を続けている。


「やだ、助けて……助けて……! ごめんなさい、美人になりたいだけだったの……!」


 きっとこの女性は、血の女王の祭典がどういう儀式なのかを知らずに参加したのだ。美人にあこがれてオカルトに手を出して、純粋に願いをかなえようと僻地の廃村で行われる祭典に希望を託した。でも儀式の正体は、自分と同じくらいの年齢の女性を殺して、その死霊を固めて作った血を飲むような残虐行為だった。

 地下学会のおばちゃん軍団は、泣いてしまった彼女のために黒い液体を差し出して、慰めようと集まっていたのだろう。彼女が本当にそれを望んでいるとも限らないのに。

 彼女はまだ黒い液体を飲んでいない。彼女も地下学会の信者ではあるけれど、ここに来たことを後悔しているというなら、ミカは、自分が逃げるついでに逃がしてあげてもいいと思った。

 そのとき、おばちゃん軍団の背後から、ゆっくりと近づいてくる衣擦れの音が聞こえた。その音の正体は、大男が腰に巻いたローブを無造作に垂らして、床に引きずっている音だ。無論、その大男とは、アルバートのことである。

 先ほどまで、執拗なほど黒い液体を啜っていたアルバートは、おばちゃんたちより頭二つ分も高い身長で、彼女らの垣根の向こうから顔を覗かせた。


「やあだ、ゴーストの坊やったら、突然遠吠えが聞こえたから何かと思えば……それは人質のつもり? 考えることが初心で、お粗末ね」


 ああ、相変わらず余裕綽綽で癇に障る声だ。アルバートの人を馬鹿にしたようなもの言いを真に受けると、ミカがおばちゃんたちの牽制のために高く吠えた声は、せっかく放蕩しきっていた厄介者を目覚めさせてしまったらしい。

 ミカが人質にしている若い女性が、希望を見出したように涙を止め、口元にいびつな笑みを浮かべて言う。


「あ、あ、お助け……」


 アルバートの登場に、おばちゃんたちは後ろを振り返り、不安げな顔をしながら左右に別れてアルバートのために道を開けた。そうして、最前に出てきたアルバートを見て、ミカは「こいつ、本当に馬鹿だな」と思って、鼻筋に皺を寄せた。人質の女性も、助けを求める言葉をピタリと止め、驚愕に目を見開く。


「ア、アルバート様、そそ、そのお姿は……?」


 黙っていようと思っていたミカだったが、この若い女性がなんだか、あまりに気の毒な感じで、とうとうアルバートに向かって冷たい声で言った。


「あんた、怪物になりたかったのか?」


 ミカの反応に限らず、女性の反応も決して好意的なものではなかったが、しかし、アルバートは心底誇らしげに微笑んで、全身を見せびらかすようにくるりと一周回った。後ろ首と腰に手を当てて、グラビアモデルを気取ったポーズをとる。


「もっともっと強く、美しくなったのよ」


 アルバートは全身の服を脱いでいた。腰回りだけは、辛うじてローブを巻いているが、その他には靴すらも履いていない。ペタペタと裸足で歩いては、床に黒い液体を滴らせている。全身から、まさに浴びるように黒い液体を摂取したのだろう。どれくらいの量を飲んだのだろうか。

 アルバートの体は、もともとガリガリにやせ細っていた。それでも、その体の形は、ちゃんと人間の形をしていた。

 しかし、今は違う。今のアルバートの全身には、角のようにとがったいぼが沢山生えていたのだ。

 肩、ひじ、指の関節、背骨の一つ一つ、太もも、足の指、至る所に、痩せて骨が飛び出したのとは違う突起物が発生していた。一番目を引くのは、坊主頭の額に生えた角だ。皮膚の内側から石ころをいくつも積み上げて無理やり盛り上がらせたような角で、皮膚が限界まで伸びきっている。悪魔らしさとも違ういびつさが実に醜悪だった。

 しかも、アルバートのベージュ色の肌の上には、肌の繊維に沿ってひび割れたような謎の文様が、闇色に浮き上がっていた。アルバートが顔面に施していた化粧も、その黒い文様のせいで崩れており、ミカからすれば「強くて美しい」とは程遠く見える。誰もが一目で、彼は純粋な人間ではなくなったのだとわかる見た目をしていた。

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