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極夜の館―怪物(まよいご)たちのほのぼの日常日記―  作者: 畔奈りき
追憶:孤高の吸血鬼・ジャクソン
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第百三十二話 おばちゃんとの対決篇

 ミカは、ジャクソンに腕を振りほどかれないように踏ん張りながら、「飲みたい……飲みたい……」と譫言を吐き続けるジャクソンの顔を見下ろした。その表情を窺えば、黒い液体を求める目は相変わらず赤く淀んでおり、もうミカが何を言っても届かないだろうとわかる。ジャクソンのそんな姿は、あまりに見るに堪えなかった。だって、ミカが知る大人のジャクソンはいつも穏やかだし、一緒にここまで旅をしてきた若いジャクソンは、どこか冷めた態度を取りがちだが、いつだって冷静でカッコいい感じがする男だというのに。

 地下学会信者のおばちゃんは、黒い液体が入った瓶をジャクソンに向けて掲げたまま、ミカの後退に合わせてじわじわ近づいてくる。


「くそ……こっちくんなよ……ッ」


 幸い、薬のせいで硬直していたミカの体は、一度奮い立たせてしまった後は、自由が利くようになった。やはり、あの薬は、「博士」が使っていたものより効果が薄いのだ。あるいは、博士は薬を注射していたのに対し、今回は臭いを嗅いだだけだから、効きが悪いのかもしれない。

 ミカは、今の自分が取るべき行動について考えてみた。

 まず、礼拝堂の中央には、血の女王と、黒い煤を固めたような幽霊がいて、その周りに地下学会の悪魔信者たちが群がっている。アルバートも血の女王が流す黒い液体に夢中だから、彼のことは、しばらく警戒しなくていいはずだ。だが、アルバート自身が何もしてこなくても、ジャクソンが黒い液体を飲んでしまえば、アルバートの思う壺なのである。こんな状況になれば、アルバートの狙いぐらい、察しが悪い奴でもわかる。すなわち、アルバートが血の女王の祭典をジャクソンに見せようと拘っていたのは、ジャクソンが黒い液体を欲しがらずにはいられないとわかっていたからなのだ。ジャクソンが黒い液体の味に嵌れば、それを手に入れるため、自ずと地下学会に協力するようになるとわかっていたからなのだ。

 それなら、ミカがするべきことは、ジャクソンに黒い液体を飲ませないことと、この礼拝堂から無事に逃げ出すことである。

 だが、礼拝堂の壁や扉は黒い煙に覆われているから、外に出ることはできない。ここは、チャンスが来るまで礼拝堂の中で待つしかないのだろうか? でも、そのチャンスっていつまで待てばいいのだろう。血の女王から黒い液体が出なくなるまで? それまで、ジャクソンを抱えながら、このやっかいなおばちゃんから逃げ回ることができるのだろうか。

 だが、ミカはやるしかないと覚悟を決めた。ミカには、「なんとか逃げ回る」しかできることが思いつかないからだ。ミカは、少しでもおばちゃんを突き放そうと、「がるるう!」と威嚇の声を出してみた。しかし、むかつくことに、おばちゃんは、困ったように眉根を寄せるだけだった。


「まあ、はしたないわ、ゴーストの坊や」

「だから、俺ゴーストじゃねえし!」

「いいえ、アルバート様がゴーストだと言っていました。強がりはもうよして。ヴァンパイア様をこちらに渡して」

「ふん。誰が渡すかよ。おばちゃんこそ、強がってんのバレバレだぜ。俺は狼男なんだぞ。近づいたら、首をガブってやるからな」

「そうよ、危ないわよぉ!」


 突然、背後から別の人間の声が割り込んできて、ミカはぎょっとして後ろを振り返った。

 声の出処は、礼拝堂の玄関に近い隅っこだ。そこでは、地下学会のローブを着た数人が寄り集まって、こちらを見ている。

 彼らは、おばちゃんと同様に黒ローブのフードを脱いでいて、手には黒い液体が入った瓶を持っていた。中には手や口のまわりを黒く汚している者もいる。見たところ素人っぽさがある彼らは、地下学会の中でも立場が低く、黒い液体を自由には手に入れられないのだろう。今、まだ血の女王に群がって液体を啜っているのは上層の信徒だけで、瓶一本のおこぼれをもらった下っ端たちは、邪魔にならないよう隅に身を寄せているのだ。

 先ほど、「危ないわよぉ!」と怯えた様子で声をかけてきたのは、その集団の一番手前に立っているおばちゃんだった。大変だ。ミカと対峙しているのもおばちゃんだし、よく見れば隅っこに寄り集まっている人々のほとんどがおばちゃんである。どう呼び分けよう。「危ないわよぉ!」と言ったおばちゃんは、口元に黒い液体が付着しているから、口が汚れたおばちゃんと呼ぶことにする。

 口が汚れたおばちゃんは、腰を引きながら恐々と声を低めて訴えた。


「あんたも見たでしょ、その子が狼になるのー! 早く離れなさいよー!」


 なるほど、危険を顧みない同僚(おばちゃん)が、凶暴な狼男と対峙していると見て焦っているわけだ。

 本当は追い詰められているのはミカの方である。だが、ミカはその誤解がちょうどいいとばかりに便乗した。


「ふふん、あのおばちゃんはよくわかってんじゃん。ほら、どっか行けよ。今なら見逃してやるからさ」


 しかし、口が汚れたおばちゃんに心配された方のおばちゃんと言えば、ケロッとして、


「あら、大丈夫よ。今あなたはヴァンパイア様を抱えてるんだから、狼になれやしないわ。ねえ?」

「えッ、それは……」


 正にジャクソンを抱えるのに必死で一歩も動けずにいるミカは、「ねえ?」と呼びかけられ、思わず顔を引きつらせた。その反応を見て、口が汚れたおばちゃん含め、隅っこに固まった者たちが、「え、そうなの?」「やだよく見たらかわいい、子供じゃない」と若干警戒を解く。

 ミカと対峙しているおばちゃんは、隅っこの集団に向かって言った。


「あんたたちも、怖がってないで手伝ってちょうだい。アルバート様は今お忙しいんだから、わたしたちがやらないと、ヴァンパイア様ったらお腹が空いて気の毒だわ」


 仕事に熱心な同僚の熱弁は、隅っこで大人しくしていた一般信徒を奮い立たせる効果が抜群にあったようである。

 口が汚れたおばちゃんも、その後ろの手が汚れたおばちゃんも、そこに混ざった小柄なおじちゃんも、みんながハッとした顔でチラリとアルバートを見て、彼がまだ黒い液体に夢中であるのを見るや否や、「それもそうね」と意を決した顔でミカに迫って来た。


「アルバート様の代わりに!」

「わたしたちも地下学会よ、怯えてちゃいられないわ」

「なんか彼、ちょっとあほの子ちゃんみたいだし」

「そうだ、そこのベンチにヴァンパイア様を寝かせましょ。そしたら、わたしが黒い血を飲ませるから」


 一人のおばちゃんの指示で、他のおばちゃんたちは「うん」と力強く頷くと、ミカを背後から取り囲み、ジャクソンに向かって手を伸ばしてきた。


「だーーーーッ、舐めんなよなあ~~~~~!」


 ミカは、咄嗟に体を丸めて、腕の中に抱えたジャクソンを守ろうとした。が、ミカ本人も忘れがちだが、今のミカは霊体なのである。おばちゃんたちの手はミカの体を易々とすり抜け、ジャクソンの肩や腕を掴む――ジャクソンをあまりに容易く奪われそうになって、ミカはびっくり仰天して大声を出し、


「うわあああああああ!」


 そのまま意を決して、ジャクソンの脳天に目いっぱいの頭突きをかました。


「ん~~~っく~~~俺は痛くねえ~~~~!」


 ゴン、と音がするほどの頭突きだ。本来ならミカの額も相当に痛むだろうが、今回ばかりは霊体なのが功を奏した。

 ジャクソンは、ミカに頭突きされた衝撃で俯き、おばちゃんが差し出した黒い液体入りの瓶から目を離した。ついでに、両手もダランと垂れる。やった、正気とまでは言わずとも、混乱状態に陥ったらしい。気を失ったかどうかは知れない。

 ミカは、暴れなくなったジャクソンを肩に担ぎ直した。こうすれば、走るのにジャクソンが邪魔にならない。

 そして、ミカは背後に群がってきていたおばちゃんたちを振り切って、礼拝堂の玄関に向かって走り始めた。


「まあ、坊や、お止まりよ」

「ヴァンパイア様を雑に担がないで!」

「どこに逃げるっていうの、逃げ場なんかないわよ」

「うるせ~! 逃げ場がないなんて、わかってるっつーの!」


 それでも、ミカは逃げなければいけないのだ。ジャクソンが正気を失った今、彼を守れるのは自分だけなのだから。

 それに、ミカが玄関の方向へ走ったのは、外に出るためじゃない。そっちの方向に、起死回生の糸口が見えたからだった。

 それは、礼拝堂からの脱出に直接つながるものではないし、物語なら悪役がやるような卑怯な手口である。だが今、ジャクソンを守るための手段がそれしか思いつかないのなら、正しいやり方かどうかなんて、二の次である。

 ミカが向かった先――礼拝堂の玄関にほど近い、室内の一番隅の隅。そこには、一人の若い女性が、怯えるように頭をかかえてしゃがみ込んでいた。フードを目深に被ったままで、ずっとそこに留まっている。手に持っている瓶はまだ空っぽのままだし、手や袖が黒い液体で汚れた様子もない。肩を震わせながら、小さな声で何かをぶつぶつ呟いており、ミカが目を付けたのは、その呟きの内容であった。普通の人には聞こえない声量でも、狼の耳なら聞き取れる。女性が呟いているのは、深い後悔の言葉であった。


「こんな儀式だなんて、知らなかった……知らなかったの……」


 ミカはその女性に近づくと、彼女の傍にジャクソンをそっと降ろし、うつ伏せに寝かせた。そして、ジャクソンが意識を取り戻しても暴れ出さないように、彼の背中を両手で押さえ、その場で狼の姿に変身した。

 女性は、物音に驚いて顔を上げ、真横から自分を見下ろす大きな狼に気づいた。

 後悔と懺悔でいっぱいだった女性の感情が、一瞬にして死への恐怖に塗り替わる。

 顔を蒼白にした女性に、ミカの決心は一瞬だけ揺らいだ。若い女性を見下ろす焦げ茶色の狼。この状況は、あの時に似ている。姉の最期に、似ているのだ。どれだけの時間が経ったって、ミカの罪は消えない。ミカは狼男で、怪物だ。でも、ジャクソンは違う。彼は言っていたのだ――血は飲まない。怪物にはならない。人間と一緒に生きていくと。ジャクソンがこの先、極夜の館に呼ばれるような罪を犯すとしても、今のジャクソンのその決心を、地下学会なんかに破られるのは嫌だ。

 ミカは心の中で「ごめんね」と謝ってから、ミカはローブから覗く彼女の手首にガチリとかみついた。


「キャーーーーーーー!!!!」


 女性が悲鳴を上げる。痛いだろう、怖いだろう。でも、死ぬほどではないはずだ。だって、ミカは彼女の手首を噛み切ってはいない。

 ミカは、口に女性の手首を含んだまま、黒い液体を持ったおばちゃんたちをキッと睨みつけた。これは、おばちゃんたちに向けたパフォーマンスなのだ。ミカは、ジャクソンを守るために、こうして人質を取ったのだ。

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