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極夜の館―怪物(まよいご)たちのほのぼの日常日記―  作者: 畔奈りき
追憶:孤高の吸血鬼・ジャクソン
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第百三十話 血の女王の祭典篇――その二

 礼拝堂に顕現した死霊人形(死霊の塊)「血の女王・エリザベス」のことを、ミカは「姉さん」と呼んだ。それを隣で聞いていたジャクソンはハッとして、そういえば、とそもそもこの廃村に来た理由について思う。

 ミカが帰りたがっている極夜の館(彼の家)は、もともと「エリザベス」という名の古い貴族が所持していた屋敷であったという。そこで、ミカとジャクソンは、条件に合う屋敷を探して、遥々この廃村にやってきたのだ。ミカはその家で他のモンスターと同居しているらしく、屋敷の持主であった「エリザベス」という貴族も、今や同居のモンスターの一匹だと言っていたはずだ。ミカは先ほど「血の女王・エリザベス」のことを「姉さん」と呼んだが、つまり、あの死霊人形が、ミカと同居しているモンスターのエリザベスなのだろうか。

 ミカと血の女王が知り合いなら、ミカが助けを求めれば応じてくれないだろうか――例えば、室内を覆う黒い煙を引っ込めたり、地下学会の奴らを一網打尽にしたり――ジャクソンはそんな期待をチラリと抱いたが、ミカの泣き面を思い返して、すぐに自ら甘い考えを否定する。血の女王の助けを期待できるなら、ミカは純朴な顔に似合わぬ憎々しげな表情ではなく、希望に満ちた笑顔を浮かべるだろう。大方、目の前に現れた悪魔の成り損ないは、本物の血の女王ではなく複製品、もしくはそれ以下の何か。何でもいいが、ミカが意思疎通を図れる存在ではないのだ。だって、あれは姿を人型に似せただけの死霊の塊だ。ミカが日常的に同居し、しかも「姉さん」なんて呼べる存在だとは、到底思えない。


 ミカと同居しているエリザベスさんがどんなモンスターだか知らない。だが、ミカはそのモンスターを慕っている様子だった。人間の死体の断片と死霊を使って、知り合いの姿を再現されたときの気持ち、その拒否感とは、どれほどのものだろう。


 それは、今のミカの必死な様子がよく物語っている。痺れた体を床に横たえてピクリともできないジャクソンには、ただの部外者の自分が、彼の気持ちの全てを推し量ってはいけないとさえ感じられた。

ジャクソンの隣で、ミカは必死に体を起こそうとしている。ジャクソンの耳に、ミカが繰り返し呟く声が届いた。


「俺は霊体、薬は効かない。俺は霊体、霊体、動けないって思い込んでるだけ……ッ」

「ミカ……」


 その必死な姿に、無様なジャクソンは呆然として、彼の名前を呟くことしかできない。ミカは、「動けないのは思い込み、霊体だから薬は効かない」と、自分に言い聞かせるように繰り返している。

 また、ミカは力を振り絞り、うめき声の隙間で、こうつぶやいた。


「ジャクソンが、そう言ってただろ……!」


 言ったっけ? 僕が、霊体なら薬は効かないって? そんなことを?

ジャクソンは頭に疑問符を浮かべたが、ミカと出会ってからの短い期間に、彼と交わした少ない会話を一つ一つ思い返し、やっとそれらしきやり取りを思い出す。

 それは、ミカと出会ってすぐのこと。狼に変身して全裸になってしまったミカに、服を着た姿に戻る方法を教えたときのことだ。


 ――確かに君はさっきまで服を着ていて、狼に変身した時にその服は破けた。けど、全部君の思い込みだよ。

 ――今の君はゴーストで、見た目は君のイメージに従ったものに過ぎない。


 ミカを相手に「思い込み」というワードを使ったのは、その時の会話ぐらいだ。

 いや……ゴーストとしての見た目と、モンスターを捉える薬の効き具合の話じゃ、全然違う。ジャクソンが教えたのはあくまで変身のコツである。ジャクソンは思わず呆れて、同時に、自分の言葉が思いもしない形でミカを鼓舞していることに気まずくなった。

 確かに、肉体を持たないミカが「体が痺れる」と感じるのはおかしいと、いやはや、ミカの思考回路も理解できないわけではない。実際、ジャクソンも一度、その考えが頭をよぎった。だが、地下学会のアルバートは、ミカのことを生霊だと判断した上で、死霊の拘束術に替えて、薬物を用意してきたのだ。それなら、この薬物は、ヴァンパイアのジャクソンでも霊体のミカでも関係なく、人ならざるものを等しく拘束する効果があると考えた方が自然だ。

 むしろ、ミカが今、体の自由を取り戻しかけている状態こそ、まさに思い込みの力である。火事場の馬鹿力というやつだ。

 その努力に水を差すのは心苦しいが、しかし、周囲の様子を気にかけていたジャクソンは、すぐに彼を止めなければと思った。


「ミカ、待って……」


 ジャクソンは、ミカに腕を伸ばそうと体に力を入れようとして……結局満足には動けず、ビチビチと体を跳ねさせてうめき声を上げるに終わる。

 それでも、ミカは、そのうめき声だけで、ジャクソンが何かを言おうとしていることに気づいてくれた。


「ジャクソン?」


 ミカは心配そうに声をかけてくると、そこで気張っていたのが途切れたようで、腕の力が抜けて、「うっ……」と声を漏らしながら床にべしゃんと潰れた。だが、それも都合がいい。ジャクソンは、顎に上ってきた吸血コウモリのイチ伝いに、ミカへ説明する。


「地下学会の奴らが、まだ変な歌を続けてる。まだ何かあるかもしれないから、今は動かないで」


 コウモリのイチは、ミカの体の下で待機するもう一匹のコウモリのニに、ジャクソンの言葉を伝える。コウモリのニは、ミカの顎の下から這い出て、指でぐるりと一周、礼拝堂全体を指し示してみせた。周囲の黒ローブを着た者たちに注意してください、という意味のジェスチャーだ。素直なミカはコウモリの指先を視線で追ったため、地下学会の異様な歌がまだ続いていることにちゃんと気づいてくれた。ミカは張り詰めた表情でコウモリ、ジャクソンと順に目を合わせ、肘の力が抜けたのとは明確に違う、獣が身をひそめるような緊張感で身を伏せる。

 アルバートの部下たる黒ローブの者たちは、血の女王が顕現してもなお、「どどどどどど」と不気味に低く聞こえる唱和を途切れさせない。

 ここで、血の女王を観察していたアルバートが、合図をするように片手を上げた。すると、血の女王が立つ礼拝堂の中心に比較的近い場所にいた数名が、ススススと足音を立てずに前へ進み出た。その者たちは、血の女王に歩幅五歩分ほど開けて近づき、無言で取り囲んだ。皆、後ろ手に無色透明な液体が入ったビーカーを隠し持っている。あれは、とジャクソンが思った瞬間、そのビーカーが、血の女王に向けて一斉に投げつけられた。


――バシャン、ガシャン、パリン!

「ギャアアアアアア!」


 ビーカーは血の女王の肌に中身の液体をまき散らし、床に落ちて派手に割れる。それまで、体を取り戻した喜びに打ち震えていた血の女王は、突然の攻撃に聞くに堪えない悲鳴を上げて、立ったまま縄で縛られたように体を硬直させた。

 ミカが信じられないというように目を剥き、血の女王を害する黒ローブの者たちを見る。


「は……? なんでだ? お前らが呼び出した悪魔だろ、なんで薬ぶっかけてんだ!?」


 気が高ぶっているミカは、もう地下学会を刺激しないように声を抑えるということはできないらしい。ジャクソンは、ミカがビーカーの中身を「薬」と言ったのを聞いてから、ミカに続いて、血の女王の方から漂ってくる刺激臭に気が付いた。それは先ほど、ジャクソンとミカが嗅がされた薬物と同じ臭いだ。あのビーカーの中身は、ジャクソンたちの動きを拘束している薬と同じものだったのだ。

 あの薬は近くで嗅がないと効果がないと、アルバートが言っていた。そのとおり、臭いが漂ってきても、ジャクソンの体の痺れが酷くなることはなかった。

 それにしても、ヴァンパイアにも霊体にも悪魔もどきにも効く薬とは、とんでもない。その効果は絶大な上、試験管に入っていたのは気体、ビーカーに入っていたのは液体といったように、用途にも広がりがある。ジャクソンは、ミカとジャクソンの間に散らばった試験管の破片を、忌々しさにチラリと見て、そこで気づいた。割れたまま放置されたガラス片の上に、ごく小さな水滴が付着している。試験管が割れた直後には、水滴なんて見えなかったはずなのに?


 血の女王は悲鳴を上げて激しく抵抗したが、両腕の肌が体側に癒着したかのように動かず、怒りに髪を振り乱すばかりで、自由は利かないままのようだった。黒ローブの者たちは、彼女の拘束に成功したと判断すると、やはり「どどどどど」とつぶやき続けながら壁際の列に戻っていく。

 地下学会の目的は、血の女王の召喚で留まらないのだ。まだ何かしようとしているのである。

 やはり、アルバートは聖典をめくり、新たな詠唱を開始した。

 血の女王を召喚するため詠唱していた際は、祭司らしく祈りの言葉を読み上げるように落ち着いていた。しかし、今度の詠唱は、まるで悲劇を演じる舞台俳優のように、激しい情念が込められ、祈りというよりも懇願するような響きを持っていた。


「おお、血を嫌う煤影の守護者よ、求救の声を聞き入れたまえ! 悪の権化、非道の王が今、我らを脅かしている。来たれ、そなたが真に騎士ならば、来たれ、血による被虐を許さぬならば!」


 アルバートは詠唱を終えると、祭壇の上に置いていた逆十字を手にとり、血の女王に向かって掲げた。

 すると、逆十字の縦棒と横棒が交差した場所から、スルスルと黒いモヤが糸のように細長く伸び出てきた。それは、礼拝堂の天井と壁を覆っている黒い煙――被害女性たちの死霊――に似ていたが、それよりも荒々しくよじれながら動いており、煤が風に弾けるがごとく、細かな粒子に分散しては元に戻る。黒煤の何かは、逆十字の中から全身を出すと、細長く引き伸ばした人間のような形をとった。

 血の女王を形づくる死霊と同じ存在か、とも思ったが、なんとなく、後から出てきた黒煤の方が、天井の黒い煙よりも強い意思を持っているように感じる。ただ、血の女王と黒煤が同じものだろうが違うものだろうが、ジャクソンにはどうでもよかった。ジャクソンにとっては、得体の知れないものが二つに増えただけだ。

 今度は何が召喚されたんだろう――そんな悠長に疑問を抱く暇などなかった。

 黒煤は、礼拝堂に登場した瞬間、ケラケラと愉快そうに笑い声を上げ始め、力を誇示するがごとく血の女王の周囲をビュンビュンと飛び回ったのだ。そして、ジャクソンの理解が追い付かぬうちに、血の女王の腹部目掛けて、真っ黒い腕を伸ばした。


 ――ざく。


 黒煤の腕は、大きなナイフのように鋭い形をとって、血の女王の腹を掻っ捌いた。


「アアアアアアアア!!」


 血の女王が痛みに悶えながら叫んだ。

 黒煤は、間髪入れずに次の斬撃を繰り出し、血の女王を容赦なく切りつけていく。ジャクソンはあっけにとられて、その一方的すぎる仕打ちを見ていたが、ちょうど黒煤の顔にあたる位置に、三点、細く引き伸ばされた赤い光源があることに気づく。それは、黒煤の両目と口であろう。黒煤は、生き物なのかモンスターなのかすらも怪しいくせに、明確な嗜虐の意思をもって血の女王を嬲り、顔にいやらしい笑顔を浮かべているのだ。


 地下学会は「どどどどど」という唱和をやめ、拳を突き上げながら歓声を上げた。うわあああ、うおおおおお、と雄たけびを上げる姿は、サッカーの大会を見る観客のよう。いや、彼らの趣味はもっと残酷だ。優位性を象徴する円形劇場で、剣闘士の試合を見る観客と同じ心理状況といえばいいだろうか。

 血の女王は、切り裂かれた傷口から黒い液体をドロリと垂れ流した。死霊人形に血は流れていない。ならば、あれは、外側の皮が破れて出てきた死霊の残骸だろう。

 ジャクソンは、人間の血液と似て非なる黒いドロドロの液体を、床に倒れたまま、食い入るように見つめていた。


 気づいた時には、もう遅い。


 ジャクソンは、動くはずもなかった痺れた両腕で自然と床を這い、血の女王にゆっくりゆっくりと近づいていた。ジャクソンの喉を支配しているのは、堪えがたい渇きと血への欲求だ。

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